夕顔の娘、玉鬘が上京~巻名:玉鬘・初音・胡蝶(たまかずら・はつね・こちょう)~【図解 源氏物語】

源氏が親代わりに(玉鬘)

源氏は、かつて自分が誘った廃院で急逝した夕顔のことを、月日のたったいまでも忘れられずにいました。夕顔に仕えていた右近は、その後、紫の上の侍女となっていました。夕顔と内大臣(元・頭中将)の間に生まれた娘(玉鬘 たまかずら)は、乳母の一家とともに筑紫(つくし)で暮らしていました。美しく成長した玉鬘に、その地の豪族が強引に求婚してきます。困り果てた乳母は、玉鬘を守るため、都に行くことを決意します。

都で心細い生活を続ける玉鬘は一行は、仏に救いを求めて長谷に詣でました。すると偶然、長谷に詣でていた右近と奇跡の再会を果たします。両者は涙を流しながら再会を喜びました。同時に、夕顔の消息を知らなかった乳母たちは、その死を右近から聞いて泣き崩れます。右近は源氏が「亡き母に代わって世話をしたい」と、当時から言っていたと伝えます。

右近から事情を聞いた源氏は、紫の上に夕顔との一件を告白します。しかし他の人には自分の娘と見せかけて、父である内大臣には内密のまま、六条院に玉鬘を引き取り、花散里に託しました。田舎育ちでも、美しく聡明な玉鬘に、源氏は養父以上の感情を抱きますが、同時に、六条院を訪れる男たちに玉鬘を見せびらかしたいとも思い、その様子を見てみようと考えるのでした。

長谷・・・大和国城上郡(現在の奈良県桜井市初瀬)にある長谷寺。観音信仰で名高く、広い現世利益が得られるとして人気があった。※玉鬘から真木柱の巻までの10巻を「玉鬘十帖」と呼ぶ。

玉鬘と母が文を交換(初音)

新春を迎え、雲一つない空の下、六条院の女性たちが住む町々は、それぞれ美しく飾られ、言い表しようもないほど華やいでいました。暮れに源氏は、六条院に住む女性たち、一人ひとりに衣裳を誂(あつら)えていました。それをまとった姿を見ることを兼ねて、紫の上の新年の挨拶をしたのち、女性たちのもとへ年賀に訪れました。夕方、冬の町の明石の君のもとへ行くと、香を焚き、和歌を書いていました。その慎み深さや優美さに心惹かれ、その夜、源氏は明石の君と一夜を過ごしました。朝帰りした源氏は、紫の上にあれこれと言い訳をするのでした。翌日は多くの人々が新年の挨拶に訪れ、男たちは、早くも美しいと評判の立った玉鬘を意識して、めかしこんでいました。やがて男踏歌(おとことうか)が催され、六条院にも来たので、女性たちも見物しました。

養父でありながら恋情をもつ(胡蝶)

3月下旬、源氏は船楽(ふながく)を催し、雅楽寮(うたづかさ)の人々を呼んで管絃の宴を開きました。玉鬘はますます洗練され、源氏の企みどおりに評判となり、多くの文が届けられます。源氏の弟である兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)は、正妻が亡くなって3年ほどたつので、玉鬘への求愛の気持ちも強いようです。「右大将」(通称「鬚黒の大将(ひげくろのだいしょう)」)も文を送ってきました。実の姉とは知らない内大臣の息子、柏木も思いを寄せています。

源氏は求婚の手紙に眼を通して、その対応を玉鬘に指示します。そのように親代わりとして接しながら、自分自身も玉鬘に惹かれていくのでした。紫の上は、玉鬘への源氏の気持ちに気づきはじめ、玉鬘も、源氏の思いを感じはじめて困惑します。雨の夜、源氏が恋情を訴えると、玉鬘は我が身のつらさに涙します。苦悩する玉鬘を見て、源氏もその夜は自制し、自邸に帰りました。その一方で、玉鬘に求婚する男たちは、引きも切らずに寄ってくるのでした。

男踏歌・・・983年に中止になり、源氏物語の成立期には催されていない。
雅楽寮・・・宮廷の音楽・舞踊などをつかさどる役所。
兵部卿宮・・・藤壺の兄の兵部卿宮とは別人。区別するために、蛍の巻のエピソードから「蛍兵部卿宮」「蛍の宮」とも呼ぶ。

出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 源氏物語』高木 和子

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 源氏物語』
高木 和子 監修

平安時代に紫式部によって著された長編小説、日本古典文学の最高傑作といわれる『源氏物語』は、千年の時を超え、今でも読み継がれる大ベストセラー。光源氏、紫の上、桐壺、末摘花、薫の君、匂宮————古文の授業で興味を持った人も、慣れない古文と全54巻という大長編に途中挫折した人も多いはず。本書は、登場人物、巻ごとのあらすじ、ストーリーと名場面を中心に解説。平安時代当時の風俗や暮らし、衣装やアイテム、ものの考え方も紹介。また、理解を助けるための名シーンの原文と現代語訳も解説。『源氏物語』の魅力をまるごと図解した、初心者でもその内容と全体がすっきり楽しくわかる便利でお得な一冊!2024年NHK大河ドラマも作者・紫式部を描くことに決まり、話題、人気必至の名作を先取りして楽しめる。

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