今季はスペイン3部に当たるプリメーラ・フェデラシオンを戦ったデポルティーボ・ラ・コルーニャ。惜しくもプレーオフで敗れ、昇格を逃している。
デポルティーボ・ラ・コルーニャといえば、かつてリーガを優勝するなど黄金期が存在し、「スーペル・デポル」と愛称がつけられた伝説のチームが知られている。
2003-04シーズンにはチャンピオンズリーグ準々決勝でACミランを相手に戦い、ファーストレグで1-4と敗れながら、セカンドレグで4-0と大逆転するという伝説的な試合を繰り広げた。
今回はそのミランとのセカンドレグでスタメン起用された「スーペル・デポル」集大成の伝説的なイレブンをご紹介しよう。
GK:ホセ・モリナ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ所属:2000~2006
他に所属したクラブ:バレンシア、ビジャレアル、アトレティコ・マドリーなど
現在:指導者
2000年にアトレティコ・マドリーが2部降格したため、デポルティーボ・ラ・コルーニャに加入したスペイン代表ゴールキーパー。2002年に精巣癌を患ったことが発覚し、2002-03シーズンのほとんどを欠場して治療に専念した。
それから見事に復活して2006年までデポルティーボ・ラ・コルーニャで活躍。その後レバンテで1年プレーした後に引退し、指導者に転身している。昨年のカタールW杯で辞任するまでスペイン代表のスポーツディレクターを務めていた。
右SB:マヌエル・バブロ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ所属:1998~2016
他に所属したクラブ:ラス・パルマス
現在:デポルティーボ・ラ・コルーニャBアシスタントコーチ
プロとしてのキャリアのほとんどをデポルティーボ・ラ・コルーニャで過ごした名右サイドバック。1999-00シーズンのラ・リーガ初優勝に大きく貢献し、スペイン屈指の選手として評価を高めた。
2001年に脛骨を骨折する大怪我を負ったことで長期の離脱を経験したものの、この2003-04シーズンの終盤に復帰。このミラン戦では完全復活をアピールする素晴らしい活躍を見せ、逆転に大きく貢献している。
CB:ヌルディーン・ナイベト
デポルティーボ・ラ・コルーニャ所属:1996~2004
他に所属したクラブ:ナント、スポルティング、トッテナム・ホットスパーなど
現在:引退
1996年にスポルティングCPから加入したモロッコ代表のレジェンド。非常にパワフルなフィジカル、冷静なプレー、そしてリーダーシップを備えたアフリカ屈指のセンターバックとして知られた。
1999-2000シーズンのリーガ優勝でその知名度を一気に高め、チャンピオンズリーグでもその能力を発揮。この2003-04シーズンは34歳で迎えたが、全13試合ですべて先発している。ただ準決勝のポルト戦では2枚の警告を受けて退場となった。
CB:ジョルジュ・アンドラーデ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ所属:2002~2007
他に所属したクラブ:エストレラ・アマドラ、ポルト、ユヴェントス
現在:指導者
FCポルト時代にポルトガル代表まで上り詰めたセンターバック。ナニなどと同じカーボヴェルデにルーツを持つ選手で、高い身体能力に加えて技術にも優れていた一方、20代後半からは大きな怪我に苦しめられた。2007年に移籍したユヴェントスではほとんどプレーできず、31歳で引退している。
この2003-04シーズンのチャンピオンズリーグではいいパフォーマンスを見せたものの、準決勝の古巣ポルト戦では友人であるデコに対して冗談で蹴るジェスチャーをしたことで退場処分を受けるという不運に見舞われた。
左SB:エンリケ・ロメロ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ所属:1998~2006
他に所属したクラブ:バレンシア、マジョルカ、ベティス
現在:引退
1971年生まれの左サイドバック。マジョルカから1998年にデポルティーボ・ラ・コルーニャへとやってきた選手で、スペイン代表としても活躍。2002年の日韓ワールドカップではレギュラーメンバーの1人であった。
デポルティーボ・ラ・コルーニャでは7歳年下のジョアン・カプテビラとポジション争いを繰り広げ、この時期は高いレベルの二人が共存していた。後にはセンターバックもこなすなどユーティリティにプレーし、リーガで396試合に出場した。
DMF:マウロ・シウヴァ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ所属:1992~2005
他に所属したクラブ:グアラニー、ブラガンチーノ
ブラジル代表ではドゥンガとコンビを組んだ名守備的ミッドフィルダー。巧みなタックルと豊かなスタミナ、そして中盤からチームを落ち着かせるリーダーシップに優れた選手であった。1992年にブラガンチーノから加入してから13年にわたってデポルティーボ・ラ・コルーニャでプレーし、引退まで所属し続けた。
このミラン戦でも見事な安定感を見せたものの、準決勝のポルト戦ではファーストレグで警告を受けてしまい、セカンドレグを累積で欠場することになってしまった。
DMF:セルヒオ・ゴンサレス
デポルティーボ・ラ・コルーニャ所属:2001~2010
他に所属したクラブ:エスパニョール、レバンテなど
現在:カディス監督、カタルーニャ選抜監督
エスパニョールから2001年に加入した名ボランチ。勤勉で安定感がある選手であり、地味ながら守備と攻撃をつなげる存在としてチームに欠かせないプレーヤーであった。デポルティーボ・ラ・コルーニャでは9年を過ごし、383試合に出場した。
引退後はエスパニョールで指導者になり、2014年にはハビエル・アギーレの後任として監督に就任。その後バジャドリーを経て昨年からカディスの監督を務める。また、2015年からはカタルーニャ選抜の指揮官を兼任している。
右SH:ビクトル・サンチェス
デポルティーボ・ラ・コルーニャ所属:1999~2006
他に所属したクラブ:レアル・マドリー、ラシン・サンタンデール、パナシナイコスなど
現在:カルタヘナ監督(2023-24から)
スペイン代表とデポルティーボ・ラ・コルーニャで活躍した名クロッサー。古きよきウインガーといえる存在で、右から入れる正確なキックに定評があった。この2003-04シーズンはリーガで得点を量産するなど絶好調だったが、一方でCLではノーゴールだった。
2010年にヘタフェのアシスタントコーチとして働きはじめ、2015年には監督としてデポルティーボ・ラ・コルーニャに復帰している。ただ成績不振のために1年で解任され、その後はオリンピアコス、ベティス、マラガを指揮。自身の出演したインディーズアダルトビデオが流出したことで解雇されたあとはしばらく現場を離れたが、先日カルタヘナの監督に就任している。
左SH:アルベルト・ルケ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ所属:2002~2005
他に所属したクラブ:バルセロナ、マジョルカ、マラガ、ニューカッスル・ユナイテッド、アヤックスなど
破壊力ある左足のシュートで知られたアルベルト・ルケ。バルセロナのユースで育ったもののCチーム以上に上がれず、マジョルカへ移籍して才能を開花させた。そして2002年にデポルティーボ・ラ・コルーニャへと加入し、このミランとのセカンドレグでは3点目を決めている。
引退後はあまり動向が伝えられていなかったが、今年からホセ・モリナの後を継ぐ形でスペインサッカー連盟のスポーツディレクターに就任している。
AMF:フアン・カルロス・バレロン
デポルティーボ・ラ・コルーニャ所属:2000~2013
他に所属したクラブ:ラス・パルマス、マジョルカ、アトレティコ・マドリーなど
現在:指導者
スペインで最も尊敬されたトップ下の1人であり、あのアンドレス・イニエスタも好きだった選手の1人にあげている。華麗な技術とアイデアあるパスに長けており、生来の怪我の多さと不安定さも一種のロマンを与えるほどのスター性があった。
2013年までデポルティーボ・ラ・コルーニャでプレーし続けた後は故郷カナリア諸島に戻り、ラス・パルマスで40代まで現役を続けた。引退後はすぐにライセンスを取得して指導者になり、2020年にはデポルティーボ・ラ・コルーニャのBチームで監督も務めた。
FW:ワルテル・パンディアーニ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ所属:2000~2005
他に所属したクラブ:マジョルカ、エスパニョール、オサスナなど
現在:アルビオン監督
ディエゴ・トリスタン、ロイ・マカーイとポジションを争ったウルグアイ代表FW。無骨な容姿、そして真っ赤なトレーラーヘッドを愛車として使うというトラック野郎ぶりで知られた。このミラン戦では試合開始直後にゴールを決め、逆転勝利に向けた流れを引き寄せた。
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40歳で現役を引退し、なんと83万キロも走ったというトレーラーヘッドもバルセロナで売却。指導者として裸一貫で仕事をスタートさせ、様々なクラブを率いている。現在はウルグアイ2部のアルビオンで監督。