もはやアート映画!?全てを破壊する過激で実験的な『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』

はじめに

お疲れ様です。今週の新作は『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』。アニメ映画のトレンド、歴史を大きく変えた『スパイダーマン:スパイダーバース』待望の続編なんですが…もう目が吹きトびます。脳が開きます。前作を超える過激で、実験的で、もはやアート映画として、とてつも無い出来になっています。目の前の映像にのまれているだけで十二分に鑑賞価値のある映画ですが、そこに強固でアツい物語が加わった、これは傑作でしょう。今回は、さっき観てきたばかりなんですが、一回、開いた脳を閉じまして落ち着いて、まとめいきたいと思います。今週の新作『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』です。お願い致します。

あらすじ

作品の性質上、前作『スパイダーマン:スパイダーバース』のネタバレを含んでしまう事、ご了承下さい。本作は前作以上の映像表現という事をまずお話しなければいけないのですが、改めて前作「スパイダーバース」は何が凄かったの?ただのスパイダーマンのアニメでしょ?とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。そうではないよというお話をします。

この「スパイダーバース」シリーズは、作り手のお言葉を借りると「コミックの中を歩くような映画」と、原作のアメコミ、コミックスをそのままアニメーションにしたような作品と言えます。その象徴として、前作でも本作でも、映画が始まると真っ黒なスクリーンにポンっと「コミックス・コード」、日本語だとコミックス倫理規定委員会かな?昔のアメコミの表紙の端っこにある、大雑把に言うと映画における「映倫」のマークみたいな感じで、それが映画始まると必ず出ます。映画全体をまるで一冊のコミックのように見せるギャグなんですが、これは作り手の所信表明でもあって、本作はコミックスをそのままアニメにした作品ですよーという事ですね。

実際、その映画の中身は、一見、普通の3DCGアニメーションなんですが、今まで見た事のない質感の、コミックのアートが動いているようなアニメが続くきます。「スパイダーバース」では3Dで一回作ったアニメの上から、アニメーターが手描きでキャラクターの表情とかを重ねて描いているんですね。とてつもない作業量。100人弱ものアニメーターを雇って人海戦術、手描きで作ったという、通常のアニメの4分の1のスピードでしか制作進行できない特殊な制作方法を取っています。故に3DCGアニメなんですが、2Dアニメのようにも見える。コミックスの絵柄のようにも見える、2Dと3Dの間を突き進む奇妙な映像を観客に見せます。

その他、通常のアニメでは1秒24フレームの所、その半分1秒12フレームにしたカクカクした映像は、コミックを読んでいる時と同じような感覚を与える。もっと分かりやすい所で言うと、コミックにある登場人物の心情を表すパネルとか、ドット、網点、印刷した時に出る色のずれなど、コミックスでしかあり得ない表現をそのままアニメにした、まさしくコミックをそのままアニメーションにした作品でした。

ご存知の通り、この3Dアニメだけど、2Dアニメ、コミック的でもあるという表現は、その後の作品、特にドリームワークスのアニメ『バッドガイズ』とか『長ぐつをはいたネコと9つの命』。おそらくディズニーの100周年記念アニメ『ウィッシュ』にも多大な影響を与えているでしょう。アニメは『スパイダーマン:スパイダーバース』以前、以後に分かれると、アニメ映画のトレンドを作った作品でした。

2Dと3Dの間を行く、おまけにコミック表現を持っていきたアニメ映像というだけでも大分、視覚的には情報量が多いんですが、それだけではありません。加えて『スパイダーマン:スパイダーバース』では、多元宇宙、並行世界、マルチバースという設定を活かして、主人公のいる世界にそことはまた別の世界から別のスパイダーマンが来る、何よりその別のスパイダーマンが全く別の絵柄になっています。

ペニー・パーカーだったら日本のアニメ。スパイダー・ノワールはもはや色もなくモノクロ。スパイダー・ハムはカートゥーンアニメのような絵柄。別々の絵柄のキャラクターが一つの画面に同居する異常な映像。コミックスとかだと一冊のコミックでもパートごとにアート、デザインが違うなんてのは当たり前にありますが、それを一つの映画で、しかも同じ画面でやってしまうという、かなり実験的で、挑戦的で、ドラッギーな「こんなの見たことないよ」と観客に視覚的快楽を与える前作『スパイダーマン:スパイダーバース』でしたが…ようやく本作のお話です。

本作について

本作はそれをゆうに超えるという『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』です。もうここまで来ると、一種のアート映像集というか実験映画ですよね。もし僕がTSUTAYAの店長だったら間違ったフリして『ファンタジア』の横に本作のDVDを置きたいです。

冒頭から驚かされます。本作の冒頭は、前作でも登場したグウェン・ステイシーが、観客に語りかけながら一心不乱にドラムを叩いているという所から開幕します。ドラムを叩くと、抽象絵画、図形がスクリーンに現れる、ドラムの音に呼応して図形が踊り狂う。未来と過去の映像が交差する。開始数秒から実験アニメの領域ですよ。もちろん短編のアニメとかでこういったアバンギャルドな表現見たことある方、いらっしゃると思いますが、本作「アクロス・ザ・スパイダーバース」は製作費1億ドルのエンタメ作品ですからね。

この冒頭から「今回は前作に増して過激。実験的です。ついて来てねー」という作り手からの挑戦状。そしてグウェン・ステイシーのユニバースが本作の1パート目になります。前作でもチラッと登場したんですが、この世界は背景が水彩画のような、ちょっと表現が正しいか心配ですが、印象派の絵画のような、まぁ「スパイダー・グウェン」のコミックスの表紙のアートを思い浮かべて頂ければ一番分かりやすいですが、この抽象的な水彩画ユニバースがずっと続くんですね。これが超序盤ですから、何という映画だと。何度も言いますがこれ製作費1億ドルの映画です。

このパートで描かれるのはスーパーパワーを手に入れたグウェンと父との関係性。グウェンは父に自分がスパイダーウーマンである事を隠している。とてもシリアスなテイスト、グウェンの孤独が描かれますが、そのグウェンの心情を表すように「背景が泣くんですね」。何言ってるんだ?と、水彩画的な背景に水がしたたって、にじみたらし、絵の具がにじんでいくような表現をするんですね。これ監督…前作では美術監督だったジャスティン・トンプソン曰く、ディズニーアニメの『シンデレラ』のシンデレラがドレスを破られるシーンで、背景がシンデレラの悲しみの感情を表すように紫色から赤色になっていくシーン。ここからインスピレーションを得たと仰っていますが、本当に悲しくも美しいアニメーション表現から開幕します。

アートの破壊と再構築

ここからとんでもないんですよ。事件が発生。グウェンが現場に駆けつけると、スパイダーマンお馴染みの悪役ヴァルチャーが登場します。これ予告でもあったようにいつもと何かが違うと。このヴァルチャー、羊皮紙に書かれているようなんですね。劇中のセリフであるようにレオナルド・ダ・ヴィンチのデッサン、手稿が飛び出して来たようなデザインなんです。ここで水彩画とダ・ヴィンチが衝突する。

この開始数分からお分かりの通り、本作は前作でもあった別々の絵柄、デザインのキャラクターが同居する表現というのを、かなり過激にして、その別々の世界観のデザインの違い、ギャップを大きくしています。前作からの飛び級的パワーアップ。人の視覚が耐えられる限界という感じもします。これをずっとやっていくんですね、この「アクロス・ザ・スパイダーバース」は凄いですよ。

タイトルの通り、本作は主人公マイルスとグウェンが色々なスパイダーマンのユニバースを“アクロス”横切っていきますが、その度に激しいギャップの世界観、絵柄の異なるスパイダーマンが登場して、どんどんと一つの画面上にギャップが蓄積していくと、結果、前作を遥かに超えた情報量で、見た事のない視覚的快楽を観客に生み出します。

とても象徴的なのは先ほど言った、水彩画世界のグウェンとダ・ヴィンチ=ヴァルチャーがバトルするステージが美術館、グッゲンハイム美術館なんですね。そこでグウェンとヴァルチャーがアートの変遷について軽い議論というか、言い合いをしながら、美術館にある彫刻、モニュメントを壊しながらバトルをすると。これは本作のテーマを端的に表していて、過去のアートを破壊、ぶっ壊しながら、アニメとしてまとめ上げる。アートの破壊と再構築。この世界各国の旧来のアートから本作「アクロス・ザ・スパイダーバース」という新しいアートを作り上げるという、作り手のテーマ表明にもなっています。もはやアート映画だろという本作です。

ユニバースのご紹介

予告で分かる範囲内で、再構築されたアート世界、ユニバースをご紹介すると。まずグウェンの水彩画ユニバース…マイルスの基準となる前作から引き継いだユニバースと来て…スパイダーマン・インディアのユニバース。ムンバイとマンハッタンをマッシュアップしたムンバッタイというユニバースでは、曼荼羅アートのようなカラフルな、作り手によるとインドのコミックス「チトラカター」をインスピレーションにした色彩豊かなユニバースが登場します。

最も過激なのはスパイダー・パンク、もう本作をご覧になった方は皆、ホービー好きになったと思います。もうカッコいいんですよ。ホービーのデザインは彼のアナーキーな性格を表すようにかなり尖っていてパンクで、70年代イギリスのパンクカルチャーから飛び出したような、モンタージュ、コラージュがアニメとして動き出すキャラクターになっています。

最後は、前作のクレジット後にチラッと登場しましたミゲル・オハラの世界。未来のニューヨーク「ヌエバ・ヨーク」は、とても均一化された80年代ディストピアSFに登場するようなAIが管理する世界となっています。作り手曰く、シド・ミードのアートから影響を受けたという事です。こんなのは一例でもっとぶっ飛んだ映像が連なります。前作はまだ手加減してくれていたんだなと。ドラッギーな映像体験が観客を襲う映画になっています。

物語について

ただ決していたずらに映像を過激にしているだけではない。当然、この過激なデザインのギャップは基本の設定である「多元宇宙」「マルチバース」を強調するもので、冒頭で申し上げた通り、本作「アクロス・ザ・スパイダーバース」は前作同様、挑戦的な映像の一方、物語は物凄く地に足が着いたものでした。1パート目のグウェンと父親との関係性と対応するように、2パート目では主人公マイルスとやはり両親との関係性が描かれます。

前作から1年半が経ち、大学進学の事を考えなければいけないと、2パート目はマイルス、両親、学校の先生の三者面談から始まります。マイルスは量子物理学を学ぶため家を出たい、しかし両親はそれを止める。親と子の間で確執が生まれると、さっき説明していた映像のお話とは比べ物にならないほどミニマムな、我々の現実世界に近い話ですよね。前作「スパイダーバース」でも親と子、特にマイルスと父親の関係性は描かれましたが、それをより深ぼっていきます。

前作から続いて本作の製作・脚本を担当しているのはフィル・ロードとクリストファー・ミラーのコンビ、本作でも相変わらずコンビの持ち味である早い台詞回しとギャグのつるべ打ちが鈍ることなく発揮されています。コンビ名はロード・ミラーですね。ロード・ミラー作品では本作の子と親、子と父親の物語は反復されていて、『くもりときどきミートボール』、『LEGO®︎ムービー』、製作だけですが『ミッチェル家とマシンの反乱』の全てにおいて夢、自分のやりたい事をしようとする子とそれを止めようとする親子の関係性を、ずっと描いてきたのがロード・ミラーコンビです。

コンビらしい地に足の着いた親と子の物語、マイルスは自分の夢を叶えたい。父親は父親で息子の成長のスピードに驚いて、マイルスを止めるというか、どうして良いか分からない。父の子離れの動揺を感じます。本作では「ここではないどこか」、舞台となるブルックリンの街のその先を登場人物たちが見つめるシーンが沢山あります。

本作のキービジュの一つでもある、マイルスとグウェンがブルックリンの街の先を一緒に見るイメージもそうです。二人の孤独を強調しながら、二人が大人の階段を登り始めて、いよいよ世界と向き合わなければいけないと、そんな心情を表す街を見つめるイメージですが、これがマイルスの父親にもあって、2パート目、ブルックリンの街でバトルを繰り広げた後、父親が瓦礫となったアルケマックス社を見ながら葛藤するシーンに対応します。ここもアルケマックス社の屋根に引かれたシートかな?それに青い空が反射して、まるで海のように見える。まさしく一人息子マイルスが未来に向かって航海に進む手前で、父は一人葛藤している美しいビジュアルでした。本作は前作、そしてロード・ミラーコンビが描いてきた親と子の物語の、より親側、父親側に重心が置かれた物語になっています。

テーマについて

「アクロス・ザ・スパイダーバース」は物凄い複雑な設定の映画に見えるんですが、こういった感じでシンプルで、普遍的な物語も描こうとしています。本作の映像的なテーマは象徴的な冒頭の美術館のシーンから分かるように、「アートの解体と再構築」だと言いました。やはり物語的なテーマも冒頭で示されていて、三者面談で先生が言うんですね。大学にマイルスを推薦したいけど「あなたの事、何も分からない」。白い紙を出して、ここに「あなたの物語を作りなさい」と言うんです。これが本作の物語的なテーマですね。「お前の物語を作っていけ」「お前の物語をお前の手で語っていけ」ということですね。

面白いなと思うのは、前作「スパイダーバース」でも同じように主題を提示していて、マイルスが学校の先生から宿題を出されますね。「作文を書きなさい」と。その作文のお題が「マイルス自身」について。先生が言う「あなたは将来、何になりたいの?」「あなたは何者になりたいの?」という事ですね。その先生の出したお題にアンサーするように、マイルスはスパイダーマンとしてブルックリンの街を救うヒーローになるんだと、決意するオリジンが前作でした。

同じように本作でもまさかの学校の先生が、物語のテーマを提示するという。学校の先生の言うことは聞こうっていう事ですね。ちょっとそれは違いますが。複雑な映画に見えますが、実は冒頭でテーマを示す親切設計で、優れた脚本の映画でもあります。過激で実験的な映像集であり、本作では何人も登場する親の物語であり、主人公マイルスにとっては「自分の物語の作る」映画です。

という事で、ここからは予告編以上の情報、中盤以降の展開にも言及しますので、ぜひ本編ご覧になってからご視聴下さい。悪い事は言わないので、「スパイダーマン何それ?」という方も映画館でご覧になった方が、少なくとも映像的には本当に一生モノの経験になると思います。

!!以下は本編ご鑑賞後にお読みください!!

ユニバースギャグ

ということで『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』ですが、皆さん疲れませんでしたか?目は喜んでいるんだけど、脳の疲労が凄いという。さっき帰る時、帰りの電車間違えるくらい僕、疲れたんですが、先ほど挙げたユニバース以上に、ギャグ描写としてユニバースが沢山出てきましたね。動くユニバース・ポータルと化したスポットが色々なユニバースに行くと、昔のコミックから、実写映像も挿入されます。

笑ったのはソニーズ・スパイダーマン・ユニバースにスポットが迷い込んで『ヴェノム』シリーズでお馴染みのチェンさんのコンビニに行く。しかしチェンさんの化け物体制が凄すぎて、スポットごときでは驚かさない、こっちは人を食う地球外生命体見てるからみたいな。あと、それこそロード・ミラーコンビの『LEGO®︎ムービー』のようなレゴのユニバースも出て来ますが、あれは本作の予告をレゴで再現したファンムービーの投稿者・14歳のカナダのアニメーターの方を、急遽、呼んできて、後から入れたユニバースらしいですね。

カメオ出演で言うと、マイルスのモデルの一人のドナルド・クローヴァーが登場しますが、ドナルド・クローヴァーが『コミ・カレ!!』というルッソ兄弟のドラマでスパイダーマンの服を着ていて、前作ではその映像がTVに映っているという小ネタがあったんですが、今回はちゃんと出演してくれたという感じでしたね。映像だけでも、ただでさえ情報量が多いのに、ギャグも早い多いというロード・ミラーらしい楽しい作品です。

メタファーとしてのマルチバース

三者面談で学校の先生がマイルス一家に言う「あなたの物語を作りなさい」は、本作のマイルスの物語のテーマに対応しますが、もう一個先生が言った「一人一人が宇宙 “ユニバース” なんだ」というセリフは本作の中盤以降、ヌエバ・ヨークのシークエンスを示していました。ここではミゲルがスパイダー・ソサエティを組織し、あらゆるユニバースから集まったスパイダーマンたちが、マルチバースの乱れをコントロールしていると。「スパイダーマン」の生みの親である、スタン・リーとスティーヴ・ディッコの「誰でもスパイダーマンになれるんだ」というメッセージをマイルスがスパイダーマンになるまでの物語で描いた前作「スパイダーバース」に続くように、この膨大な数のスパイダーマンがいるスパイダー・ソサエティは「誰もが」「我々全員」がスパイダーマンとして生きているユニバースです。

ここ何年間か「マルチバース」モノはSF・ヒーロー映画の主流になりつつあります。なぜこんなにも「マルチバース」モノが作られるのか?それは単純に映画の製作費が膨れ上がって、単体の映画の収益で製作費・宣伝費を回収するのは難しいというビジネス的な理由も多大にあると思いますが、我々の現実世界が非常に「マルチバース」の世界と接近しているという事もあると思います。商業映画ではないインディーズ映画で「マルチバース」を描いた『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』「エブエブ」の監督の一人ダニエル・クワンはこの「エブエブ」における「マルチバース」はSNSのメタファーだと仰っていました。一人一人がSNSアカウントというユニバースを持ち、そのユニバース同士の違いが、ツイートというテキスト、ポストされた写真などなどで明確に可視化される。今までメディアで語られなかったような価値観、ユニバースも可視化され、価値観同士、ユニバース同士が衝突する事もある。「一人一人が宇宙 “ユニバース” なんだ」と。

マルチバースモノが今、語られる意義は何なのか?このダニエル・クワン監督の言葉を借りれば、SNSの時代の今、現在はマルチバースの時代そのものであるからという事だと思います。「マルチバースはSNSのメタファー」という考えは、本作「アクロス・ザ・スパイダーバース」にも適応することができて、スパイダー・ソサエティを組織するミゲルと同等、ないしはもはやその上位に存在するように見えるのはAIでしたね。AIのライラです。ミゲルはかつてマルチバースを自分のために使った時に負った代償から絶望して、義務感で、死んだ目でただひたすらにAIの作ったカノン=基準、言われるがままマルチバースを管理している、AIのアルゴリズムが検出したマルチバースから外れたアノマリー、異分子を捕獲して元のユニバースに戻すと、もはやAIに支配されている人物にも見えます。

SNSのユーザーはアルゴリズムによって作られた、自分だけのトレンド、自分だけの「おすすめ」に従って、そのままに自分のユニバースを形成している。このスパイダー・ソサエティもSNSのメタファーとも言っても言い過ぎではないモチーフとして作っていると思います。そのアルゴリズムがアノマリーとして認識したのがマイルスだったという展開になっていく訳ですね。もしくはスパイダー・ソサエティはそれぞれのユニバースに居場所をなくした移民・難民たるスパイダーマンが行き着く先、アメリカでしょうか。しかしマイルスは母親が言うような居場所をこのアメリカ、スパイダー・ソサエティに見出すことはできませんでした。

グウェンの物語

本作「アクロス・ザ・スパイダーバース」は事前の情報の通り、来年公開予定の後編「ビヨンド・ザ・スパイダーバース」に続く二部作の前編という位置付けですが、本作とても上手い前編だなと思ったのが、主人公を二人にしたという物語です。二人の主人公というのはマイルス、グウェンですね。冒頭、グウェンの語りから始まるので、グウェンも主人公であるという事は強く意識させられます。本作はとっても良い所で終わる。超絶クリフハンガーで、来年まで待てないよという感じですが、ただ一方で消化不良感が少ないのは、マイルスの物語は途中ですが、グウェンの物語は本作で一旦、終わっているからだと思います。

冒頭、1パート目で提示されたグウェンと父親との関係性の物語です。冒頭で自分がスパイダーウーマンだと、スパイダー・グウェンだとカミングアウトしたグウェンを父親が受け入れる。「お前は私の最高傑作だ」と。このハグは本作、最高潮の感動シーンだと思います。今、敢えて「カミングアウト」「カムアウト」という表現をしたのは、本作のこのグウェンが二つのアイデンティティに苦しむ物語はセクシュアリティのメタファーであると、LGBTQ+コミュニティに好意的に受け入れられているからです。

グウェン・ステイシーがトランスかどうかは公式が明言していないので、正確に言及するのは難しいですが、映画を観ていて、そうじゃないと言い切るのは難しいくらいにグウェン周りはそれを示す描写が多いです。まずグウェンの水彩画背景の基調となるのがトランス・プライドの三色というのはとても分かりやすく。映画観ていて気付いた方もいらっしゃったと思います。グウェンの部屋に“PROTECT TRANCE KIDS”というポスターが貼ってある。グウェンが妊娠している身ながらスパイダーウーマン活動をするジェシカと出会った際の会話も印象的で、ジェシカはお腹の中のお子さんの「性別はまだ決めていない」と言う。赤ちゃんのセクシュアリティは親が決めない、自分で決めるものだと、それに対して、グウェンは「私の親になって」?「私を子供にして」と言う、これも印象的なやり取りでした。

以前もSONYは『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネッジ』において、ヴェノムが「カミングアウトだ!」と言って自分の姿を露わにするシーンがありましたがそこでヴェノムはレインボーフラッグ色にサイネージを身にまとっているという、LGBTQ+的な描写がありました。ロード・ミラーコンビの『ミッチェル家とマシンの反乱』の主人公も服に、レインボーフラッグのバッジを付けている。このグウェンの描写は作り手に一貫したものです。スタン・リーとスティーヴ・ディッコはユダヤ系アメリカ人という自身のアイデンティティをピーター・パーカーに託し、マイノリティでもヒーローになれる事を「スパイダーマン」で描いてきましたが、その想いがグウェン、そしてマイルスに繋がっている事を考えると、このグウェンの設定も意義深いと思います。

新しい「物語」へ

そしてもう一人の主人公マイルスの物語。こちらも観客を強く奮い立たせるものでした。何度も言ってしまいますが、本作「アクロス・ザ・スパイダーバース」の物語的なテーマは冒頭で提示された「あなたの物語を作りなさい」でしたね。本作は自分の意思に反して科学的な事故で能力を得てしまった、自分と似ている鏡写りな悪役スポットと対峙していく、今まで何回も語られてきた「スパイダーマン」の物語あるあるをなぞりますので、初見時はこれはマイルスが「スパイダーマン」として成長する「スパイダーマンとしての物語を作っていけ」という風にも見えたんですが、違いました。違いましたね。

マイルスは「スパイダーマンの物語」を否定するんですね。かつての「スパイダーマンの物語を否定」する事で、真にマイルスにしか語れない「自分だけの物語」を見出していく。「大いなる力には大いなる責任が伴う」。そんな責任追わなくていいと。グウェンが冒頭で我々に語った通り、我々の知らない物語でした。本作の日本版宣伝コピーの「運命なんてブッつぶせ。」これは端的にマイルスの選択を表していて凄く良いなと思いました。大人たち、もしくはアルゴリズムが用意した「スパイダーマンの物語、スパイダーマンの運命なんてブッつぶせ」と。

マルチバースか?父親か?マイルスは全ユニバースを巻き込んだトロッコ問題を提示され、確かにミゲルの言う通り、マイルスの父を救ってしまうとマルチバースは崩壊してしまうかもしれない、どちらかを選ぶというのは合理的なのかもしれない、でもどちらかしか救わないのはこれはヒーローの発想ではないですね、サノスの発想ですよ、悪役の発想ですよ。前作でピーター・ハムの言った「スパイダーマンは全員救えないこともある」も反響します。でも「全員、救うんだよ」というのが、やっぱりヒーローの発想ですよ。サム・ライミ版『スパイダーマン』一作目でも悪役グリーンゴブリンが、ロープウェーに乗った子どもたちか?MJか?やはりトロッコ問題を突きつけますが、ピーターはどっちも救おうとします。これがやっぱりヒーローの発想ですよ。「どっちも救うんだよ」と。無責任かもしれない。でも若者が、子どもの世代が大人の責任を一方的に押し付けられる筋合いはないと断固として言いたいですね。

以前、『スパイダーマン:NWH』のレビューで、結局、ピーターが大人の責任を押し付けられ、自分の物語を語る余地を奪われて可哀想と言いましたが、本作のマイルスはそれに対する華麗なアンサーのように見えて本当に爽快でしたね。俺はアルゴリズムなんかに支配されないぞと、大人の責任も知らないぞと、ただ目の前の人を救って「自分の物語を作るんだ」と。いやぁ非常にパワフルな物語だったと思います。そしてグウェンの物語もしっかりと幕を閉じます。JJJが市長をしていて、シニスター6が抗争を続けるスパイダーマンがいないアース42に迷い込んだマイルスを、グウェンが救う、しかもようやく仲間というバンドを組んで、「あなたも来る」。もちろん行きますよと。しっかりグウェンの物語は一旦の幕を閉じ、マイルスの物語は続く、これ来年まで待つのしんどいですが、きっとこの作り手たちなら本作を超える続編になるんじゃないかと期待しております。今週の新作は『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』でございました。

【作品情報】
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』
劇場公開日:2023年6月16日(金)
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茶一郎
最新映画を中心に映画の感想・解説動画をYouTubeに投稿している映画レビュアー

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