日韓ワールドカップのメンバー入りを逃した後、イタリア・セリエAのレッジーナへと移籍していった中村俊輔。
その後スコティッシュ・プレミアシップのセルティックでレジェンド級の活躍を見せ、スペインのエスパニョールを経て日本へと戻ってきた。
今回はその中村俊輔の欧州キャリアから「同僚ベストストライカー」を10名選んでみたぞ。
エミリアーノ・ボナッツォーリ
中村俊輔と同僚だったクラブ:レッジーナ
所属したクラブ:パルマ、サンプドリア、フィオレンティーナなど
現在:ファンフッラ監督
パルマ時代には中田英寿ともチームメイトだった長身ストライカー。ジラルディーノやディ・ヴァイオ、ムトゥ、アドリアーノらのポジションを奪うことができず、2003年1月にレッジーナへとローンで加入した。
いきなり半年で7ゴールを決める活躍を見せて才能を開花させ、2005年にはサンプドリアへと移籍。前十字靭帯断裂も経験したものの次年度にはイタリア代表に選ばれるなど飛躍を遂げた。その後は様々なクラブを渡り歩いて2016年に引退している。今季はセリエDのファンフッラで監督を務めた。
ダヴィド・ディ・ミケーレ
中村俊輔と同僚だったクラブ:レッジーナ
所属したクラブ:ウディネーゼ、パレルモ、トリノ、ウェストハムなど
現在:指導者
2002年にウディネーゼからローンでレッジーナに加入したストライカー。サレルニターナ時代にはコッパ・イタリア得点王にも輝いた選手だった。2シーズン中村俊輔とともに過ごし、15ゴールを決めた。ウディネーゼに戻ってからはイタリア代表にも選出され、6試合に出場している。
その後はトリノやウェストハム、レッチェ、キエーヴォ・ヴェローナなど様々なクラブでプレーし、2013年にはレッジーナに復帰。そしてルパ・ローマという下部リーグのクラブで引退した。現在は指導者を務めており、今季途中までトゥリスというセリエCのクラブを率いていた。
マチェイ・ジュラフスキ
中村俊輔と同僚だったクラブ:セルティック
所属したクラブ:レフ・ボプナニ、ヴィスワ・クラクフなど
現在:解説者
ヴィスワ・クラクフから2005年にセルティックへと加入したポーランド代表ストライカー。ヘンリク・ラーション、ジュニーニョ・パウリスタが着けていた7番を受け継ぎ、スコットランド初年度に16ゴールを奪取。「マジック・ジュラフスキ」の愛称で呼ばれた。
ただ2年目からは怪我にも苦しめられてパフォーマンスを落とし、2008年に退団。ギリシャとキプロスを経てポーランドに戻り、2011年に現役引退している。現在は解説者。
ジョン・ハートソン
中村俊輔と同僚だったクラブ:セルティック
所属したクラブ:アーセナル、ウェストハム、ウィンブルドン、WBAなど
現在:解説者
セルティックでクリス・サットンからエースの座を受け継いだ存在。スキンヘッドのパワフルストライカー、ジョン・ハートソンだ。1995年から2シーズンはアーセナルでもプレーした彼は、前線でフィジカルを生かしたプレーを見せ、セルティックに所属した5年間で201試合109ゴールを決めた。その一方で熱くなりやすい性格でも知られ、何度も退場処分を受けている。
2008年に現役引退してからは解説者となったが、その後精巣癌が発覚し、さらに脳や肺にまで転移していることが明らかに。かなり危険な状態にあると心配されたものの、化学療法を受けて回復している。
ヤン・フェネホール・オフ・ヘッセリンク
中村俊輔と同僚だったクラブ:セルティック
所属したクラブ:トゥウェンテ、PSVアイントホーフェン、ハル・シティなど
現在:PSVアイントホーフェン テクニカルマネージャー
サッカー界で最も長い名字を持つと話題になったオランダ代表ストライカー。ユニフォームの背中はその「Vennegoor of Hesselink」という文字でいっぱいになっていた。中村俊輔と公私共に仲がよく、ピッチ内でも多くのラストパスを提供されている。
PSVアイントホーフェンでプレーしたのを最後にピッチを離れ、2012年に現役引退。
ヨルギオス・サマラス
中村俊輔と同僚だったクラブ:セルティック
所属したクラブ:ヘーレンフェーン、マンチェスター・シティ、WBAなど
現在:引退
ゴール数という点ではそれほど優れてはいないものの、存在感では彼の右に出るものはいなかった。キリストのような風貌、巨体をゆったりと動かす気だるいスタイル、ハイボールへの圧倒的な強さ。その安定感のなさも含めて神々しさを醸し出す選手だった。
セルティックでは2007年から2014年まで長くプレーし、249試合で74ゴールを奪取。その後はWBAやサウジアラビアリーグ、アメリカの独立リーグなどを経て2018年に現役引退している。
スコット・マクドナルド
中村俊輔と同僚だったクラブ:セルティック
所属したクラブ:マザーウェル、ミドルズブラ、ミルウォールなど
2007-08シーズンにスコティッシュ・プレミアシップで得点王に輝いたオーストラリア代表FW。マザーウェルから加入してエースの座を勝ち取り、フェネホール・オフ・ヘッセリンクとのデコボココンビで多くのゴールを奪い取ってみせた。
晩年はオーストラリア・Aリーグでプレーし、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズで2021年に現役引退。その後ナショナルプレミアリーグ(実質2部)のゴールドコースト・ナイツで監督に就任したほか、怪我人の続出で少しだけ現役復帰したことがある。
ラウール・タムード
中村俊輔と同僚だったクラブ:エスパニョール
所属したクラブ:レアル・ソシエダ、ラージョ、パチューカなど
現在:エスパニョール フロント
エスパニョールで長く活躍した伝説的なストライカー。1996年から2010年まで389試合に出場して140ゴールを決めたという記録を持っているレジェンドだが、中村俊輔が加入した2009-10シーズンは怪我のためにほとんど出場できなかった苦しい年だった。
そしてそのシーズンを最後にエスパニョールを離れ、レアル・ソシエダへと移籍。その後ラージョやパチューカ、サバデルを経て現役引退している。現在はエスパニョールのフロント業をしているが、ジェラール・ピケが創設したキングス・リーグ(7人制サッカー)に参加していたことも。
イバン・アロンソ
中村俊輔と同僚だったクラブ:エスパニョール
所属したクラブ:アラベス、ムルシア、トルーカ、ナシオナルなど
現在:パチューカ 前フットボールディレクター
180cmという身長ながらも空中戦を武器にしてリーガを席巻したウルグアイ人ストライカー。中村俊輔が加入した2009-10シーズンはラウール・タムードが怪我をしてしまったため、このイバン・アロンソがエースとなってプレー。1部残留に貢献するゴールをいくつか決めた。
2011年にエスパニョールを離れてからはメキシコのトルーカでプレーしていたが、2012年に心臓病が発覚し退団。ただ治療を行いながらプレーを続け、2018年まで現役で戦い続けた。その後パチューカのフットボールディレクターを務めたが、現在は退任している。
ホセ・カジェホン
中村俊輔と同僚だったクラブ:エスパニョール
所属したクラブ:レアル・マドリー、ナポリ、フィオレンティーナなど
現在:グラナダ所属
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のちにナポリで大ブレイクを果たすことになるアタッカー。レアル・マドリーのBチームから2008年にエスパニョールへとやってきて活躍を見せ、2011年に買い戻されている。
もちろんセリエAでの活躍は説明の必要がないだろう。2022年にフィオレンティーナを離れてからはスペインに復帰し、2部のグラナダに加入。今季は優勝を果たしてリーガ昇格を成し遂げている。