消える本田宗一郎の執務室 遺志を尊重、移築せず

本田宗一郎の執務室=4月、東京都中央区(ホンダ提供)

 ホンダが東京駅前の旧本社「ホンダ八重洲ビル」内に維持してきた創業者本田宗一郎の執務室が、周辺地区の再開発に伴うビル解体でなくなることが26日、分かった。移築はせず、室内のゆかりの品はホンダ関連施設で保管し、一般には公開しない。ホンダは本田宗一郎の遺志を尊重し「創業者を神格化していないため」と説明している。

 本田宗一郎は「創業者といえども一個人である」「(自分の)写真を飾るのも嫌いなんだ」と語っていたという。ホンダは執務室を生前のまま残してきた一方、これまでも存在をアピールしたり、公開したりはしていなかった。

 ホンダによると、本田宗一郎は1985年9月から91年7月まで八重洲ビルの執務室を使い、91年8月に84歳で死去した。執務机には地球儀や将棋盤、趣味だった絵画の筆などを置いていた。ソファとテーブルの応接セットがあり、ホンダ車の写真なども飾っていた。

 八重洲ビルは60年3月に完成し、地上9階・地下2階。74年まで本社機能を置いた。ビル完成時に執務室ははなく、85年に新たに設置した。

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ホンダ八重洲ビル=4月、東京都中央区

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