<レスリング>【2023年明治杯全日本選抜選手権・特集】東京の続きではない、「パリで新たに金メダルを取る!」…男子フリースタイル65kg級・乙黒拓斗(自衛隊)

 

(文=布施鋼治)

 「オリンピック前は、こういう厳しい闘いがあることも分かっていました」

 2023年明治杯全日本選抜選手権最終日。男子フリースタイル65㎏級決勝で安楽龍馬(nobitel)を9-0で破って優勝を決めた乙黒拓斗(自衛隊)は、いつものように静かな口調で大会を振り返った。

 続けて、こんな本音も。「いいところは特になかったので、自分としては納得していない」

 この階級で乙黒は優勝候補筆頭に挙げられていたが、ワンサイドゲームを続けていたわけではない。もっと言えば、苦闘の連続だった。第3日に行なわれた山口海輝(日体大助手)との準決勝では、試合中に右足甲の痛みを訴えたために中断。ドクターの診断を受け、マットで右のシューズを脱ぐなど、いつ棄権してもおかしくない素振りを見せていた。

▲山口海輝(日体大助手)の猛攻に防戦をしいられた乙黒拓斗(自衛隊)=撮影・矢吹建夫

 「動きの中で痛めてしまった。全力で闘っていただけで、正直、あまり覚えていない」

 重苦しい空気が漂う中、試合を続行した乙黒は3-2の僅差で山口を振り切り、最終日の決勝へ駒を進めたが、すでにガッツポーズをとる余力は残されておらず、セコンドにかつがれて退場した。その場面だけで判断するならば、とても翌日闘えるところまでコンディションが戻るようには見えなかった。

けがをした状態で闘うことも、「いい経験」

 実際、この大会での乙黒からは、いつものメリハリの効いたチータのような動きがほとんど見られなかった。もちろん途中で棄権し、プレーオフにかけるという選択肢もあったはず。乙黒自身も、一時は「立てないんだから、もうストップじゃないか」という方向に気持ちが傾きかけたと振り返る。

 だが、周囲のサポートもあって決勝のマットに上がることを決めた。「(最終的には)自分で出ることを決めました。強引に出たわけではない。周囲からは『痛かったら、ストップをかけるから』とも言われていたので、信頼していました。やれるところまでやってみようという感じでしたね。結果的には出てよかったと思います」

 決勝で勝利を収めた刹那、乙黒は今大会で初めて感情を露にするように咆哮(ほうこう=叫ぶ)した。

▲優勝を決めた直後、マットをたたいて雄叫びをあげた乙黒拓斗

 「しっかり勝てたのがよかった、という感じでしたね」

 決勝後、右足甲の状態について乙黒は「年始の合宿でけがをした」と打ち明けた。「詳しくは言えないけど、大きめのけがでした。それから治療をして、(この大会に向けては)ちょっと練習しただけだった。だから足というか、身体のコンディションはよくなかったと思います」

 終わり良ければ全てよし-。乙黒はすべてをプラスにとらえていた。

 「(以前から)けがは結構多い方なんですけど、立てるかどうかという状況で試合に出たことはなかった。しっかり経験することができたので、経験値は上がったと思います」

 昨年12月の天皇杯全日本選手権も制しているので、この優勝で9月の世界選手権(セルビア)への出場切符をつかんだ。もちろん周囲は東京に続いて来年のパリでのオリンピック2連覇に期待を寄せるが、乙黒は東京とは別ものと考えている。

 「東京オリンピックは昔のこと。東京の続きでという気持ちはない。パリでは、もう一回金メダルを取るという気持ちでしっかりととりたい」

 9月の世界選手権までに、才気あふれる24歳は完全復活できるか。

▲苦しい闘いだったが、この優勝でパリ・オリンピック予選に挑む

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