雅子さま インドネシア訪問はパールで統一!アクセサリーでも示された相手国への敬意

6月23日、ジャカルタのホテルを出発される天皇陛下と雅子さま(写真:時事通信)

すべてのスケジュールを終え、ジャカルタのホテルから空港に向けて出発された天皇陛下と雅子さま。見送る関係者たちに雅子さまは笑顔を向けられた――。

皇室担当記者は次のように語る。

「雅子さまにとってはおよそ20年半ぶりの国際親善のための海外ご訪問でした。スケジュールを完遂されたばかりではありません。6月20日には現地の大学や高校を訪問し、学生たちと交流されましたが、もともとは陛下お一人でのご予定でした。予定外の行事にまでも臨むことができたことで、あれほど明るい笑顔をお見せになったのではないでしょうか。

また今回のインドネシアご訪問では、身に着けられていたアクセサリー類からも、相手国へ敬意を払う、お心の余裕が伝わってきました」

実は雅子さまは日本出国から帰国まで、ネックレスやイヤリングなどのアクセサリーはすべてパールで統一されていたのだ。

皇室担当記者が続ける。

「雅子さまをはじめ女性皇族方はふだんから真珠を愛用されていますが、初日から最終日まで“パール尽くし”であったことに、雅子さまが今回のご訪問に込められたメッセージを感じました。

日本は世界有数の真珠生産国です。いっぽうでインドネシアも生産が盛んで、日本にも輸出しています。さらに一部地域では、邦人が真珠養殖の指導も行っているのです。雅子さまは真珠を日本とインドネシアの共通点であるとともに、両国の絆の象徴ともとらえ、“パール尽くし”を思いつかれたのでしょう。

特に女性皇族方は、海外ご訪問の際、相手国への敬意を示すためにお召し物に工夫を凝らすことを大切にされてきました。国旗の色、国の象徴的な花……、そういったものをファッションに取り入れられるのです。雅子さまが今回のご訪問で選ばれたのが真珠だったということなのでしょう」

■雅子さまはいつも節目のイベントでは真珠を

また古くからの小和田家の知人は、かの地での雅子さまのお姿を見て、胸に熱いものがこみ上げてきたという。

「インドネシアでの人々との交流を、心の底から慈しんでいらっしゃることが伝わってきました。まるでご新婚時代に戻られたような、生き生きとした笑顔でいらして……。

6月9日にはご成婚30周年を迎えられました。“真珠婚”でもありますが、天皇陛下に感謝のお気持ちを伝えるために雅子さまはパールにこだわられたのかと。そうであれば、とても雅子さまらしいと思います。それに真珠は雅子さまにとっても、そしてご実家の小和田家にとっても“特別な宝石”でもあるのです」

雅子さまは節目のイベントや行事などでは、いつも真珠を身に着けてこられた。ご成婚前から雅子さまの装いを見守り続けてきたファッション評論家の石原裕子さんはこう語る。

「’93年2月に、お勤め先だった外務省に退職のご挨拶に行かれたときは、紺とグリーンのスカーフの結び目にパールのブローチをお着けになっていました。

それに先んじた1月19日に、天皇陛下とご婚約会見に臨まれましたが、その際に着けていらしたパールのネックレスは、当時としては珍しい10ミリの大粒なもので、お顔立ちのはっきりした雅子さまにお似合いでとても素敵でした」

この10ミリパールのネックレス、雅子さまの母・優美子さんが会見前日に買いに行ったお品だったのだ。

前出の小和田家の知人が続ける。

「優美子さんが訪れたのは東京・有楽町の真珠専門店で、以前から小和田家にはなじみのあるお店でした。

’92年12月にはこのお店で小和田夫妻が雅子さまの誕生日プレゼントとして真珠にダイヤの飾りのついたイヤリングを購入しています。それから約1カ月後、会見前日の1月18日に優美子さんが購入したのがシルバーピンクの天然真珠40個をつないだネックレスでした。

当時、優美子さんは“嫁入り道具の一つとして雅子に持たせてあげたかった”と言っていたのです」

優美子さんが“嫁入り道具に”と願ったのには理由があった。

「優美子さんの母で、雅子さまにとっては祖母にあたる江頭寿々子さん(’04年に88歳で逝去)も真珠がお好きでした。

優美子さんが外交官・小和田恆さんと結婚することが決まったときには、寿々子さんも有楽町のお店を訪れ、“嫁入り道具”として真珠のアクセサリーを注文したと聞いています」(前出・小和田家の知人)

真珠の石言葉は健康・富・長寿など。貝の中で守られて育つため、敵から持ち主を守護する力が強いといわれているという。寿々子さん、優美子さん、そして雅子さま、三代百年を真珠が守り続けてきたに違いない。

「寿々子さんが持っていた真珠のアクセサリーは、雅子さまに直接託されたり、優美子さんがリフォームしてから雅子さまに贈ったりしたそうです」(前出・小和田家の知人)

祖母や母の愛が詰まり、受け継がれてきた真珠。インドネシアでそれらを身に着けられた雅子さまの笑顔は、まさに宝石のように輝いていた。

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