「安倍元総理が撃たれました」現場で目撃した記者が抱えた、得体の知れない不安 1年かけてたどり着いた正体とは

事件直前に演説する安倍元首相。その左脇のあたりには山上被告の姿も見える=2022年7月8日、奈良市の近鉄大和西大寺駅前(大谷敏治さん提供)

 2022年7月8日、安倍晋三元首相が撃たれた時、私は選挙取材のため現場にいた。あの事件から1年。周辺の整備が進み、景色が様変わりした近鉄大和西大寺駅前に、もう一度立ってみた。
 正直に言うと、あの時耳にしたあのすさまじい音は記憶の中で薄れつつある。目の当たりにした光景を脳裏に再現しようにもぼんやりとして焦点が定まらない。私は当時、事件の4日後になって急に涙が止まらなくなった。目の前で1人の人が亡くなる重みに、体が気付いたのだと今になって分かる。あの頃覚えた臨場感が色あせていくことにいらだちもあるが、時間の経過にはあらがえないものなのだと実感する。
 その一方で、事件後は言い表しようのない不安が、胸の奥底に居座り続けた。記者として取材を続ける傍ら、その不安の正体を探し求めた。(共同通信=酒井由人)

記者が事件当時いた場所から撮影した現在の現場周辺。花壇(中央)脇の車道部分が安倍元首相が倒れた場所に当たる=2023年6月29日、奈良市の近鉄大和西大寺駅前

 ▽15分の出来事
 まず、事件当日の出来事と、自分の動きをもう一度振り返りたい。
 あの日は2日後に投開票日を控えた参院選の最終盤だった。私は、奈良市の近鉄大和西大寺駅前であった自民党候補の街頭演説を取材していた。追い込みをかける候補者陣営が招いたのは、歴代最長政権を築いた安倍元首相。持病の悪化を理由に総理の座を譲ったものの、多くの議員を抱える派閥の長となり、息を吹き返そうとしていた。間違いなく、あの場所で最も注目を浴びる存在だった。
 安倍元首相がいたのは、ガードレールで囲まれた交差点付近の中州。その周辺の歩道を中心に200人ほどが集まった。私は中州から15メートルほど離れた人混みの中で、演説に耳を傾けた。
 「お忙しい平日の昼間に足を運んでいただき、誠にありがとうございます」
 元首相は、右に左に体を向けて、訪れた人たちにまんべんなくその姿をさらす。持ち前の話術で聴衆を引き込み、隣でたすきを掛けている候補者の実績などを順番に紹介していった。
 ふと、元首相の背後に1人の男の姿が視界に入った。黒い物体を胸の前に構えたのが見える。そう思ったのもつかの間。次の瞬間、体に響くほどのごう音が会場の空気を切り裂いた。
 「ドオーン」「ドオーン」。午前11時31分、少し間を空けて2回、大きな音が鳴り響いた。
 遠くで花火でも打ち上がったのかもしれない。でもこんな昼間にどうして―多くの人がそんな風に思ったに違いない。だが、安倍元首相が力なく崩れ落ちると、会場の雰囲気は一変した。さっきの男が銃撃したことを初めて認識した。

銃撃事件直後、騒然とする現場=2022年7月8日、奈良市の近鉄大和西大寺駅前

 警護員が取り押さえにかかる。安倍元首相の心臓マッサージが始まる。関係者がマイクで助けを求める。一方、遠くで見ていた人たちは事態を把握できぬまま、傍観者となって何をするわけでもなくその場にとどまっている。異様な光景だった。
 私は無我夢中でカメラを回した。そして会社に電話をかけ状況を伝えた。「安倍(元)総理が撃たれました」
 午前11時45分ごろ、安倍元首相は救急車で搬送された。確保された男は山上徹也被告(42)=殺人罪などで起訴=。こちらも捜査車両に乗せられ、去って行った。
 すると、大事件が起きたはずの現場が一気に平静を取り戻したように感じた。規制線が張られ警察の鑑識作業が続いたものの、事情を知らない買い物客らはいぶかしげに眺めるだけでその場を通り過ぎていく。歴史的かつ衝撃的な事件はたった15分ほどの出来事だったのだ。

街頭演説をする国民民主党の玉木代表と女の子=2022年8月31日、奈良市の近鉄奈良駅前

 ▽事件後初の街頭演説取材で抱いた「問い」
 私は事件後しばらく、大きな音に敏感になった。夏場の花火は当時の音と重なり、打ち上がるたびに身が縮まった。挙動が不自然な人を見かけると、急に落ち着かなくなった。何か事件を起こすのではないかと気になり、遠巻きで様子を撮影したこともあった。たとえようのない不安が、心の中に生まれるようになった。
 事件から約2カ月後、国民民主党の玉木雄一郎代表が街頭演説のため奈良を訪れた。事件後初めて、屋外で政治家の演説を取材することになった。
 場所は近鉄奈良駅前の噴水広場。歩道上に降り立った玉木氏は、党が用意した車を背にして、政府の物価高騰対策への不満を語りかけるように訴えた。帰宅途中のサラリーマンらは足を止め、真剣に聞き入っている。
 一方の私は演説に集中できないでいた。もし、この場に不審者が侵入して玉木氏が襲われたら、「あの時」のようにすぐに事件取材に取りかからないといけない。そう思うと気が気でなかった。不測の事態に備え、聴衆の顔が見えるよう玉木氏の背後に回った。話の内容はそっちのけで不審者が出て来ないかとひたすら警戒した。
 途中、人だかりの中からゆっくりと前に出てくる人の姿をとらえた。よく見ると、ぬいぐるみを抱えた女の子。立ち止まって玉木氏を見つめた。まもなく母親とみられる女性が後ろから駆け寄り、女の子の手を取る。会場には和やかな雰囲気が漂っていた。最後まで異常は起こらず、30分ほどでお開きとなった。
 何の変哲も無い街頭演説だった。それなのに、私はその場で感極まっていた。「無事に終わって良かった」。政治活動が安全に行われることがどれだけありがたいことかと実感していた。
 この頃から、私は一つの問いを抱くようになった。
 「政治家は日々、各地を飛び回って見ず知らずの人の前に立ち、マイク1本で自身の主張を訴える。そこに恐怖はないのだろうか」
 今年3月、この問いに答えてくれそうな政治家が奈良を訪れた。
 野田佳彦元首相だ。立憲民主党の最高顧問でありながら、昨年10月に国会であった追悼演説では、立場を超えて安倍元首相を悼んだ。その際に「暴力にひるまず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けよう」と同僚議員に訴えかけていた。
 政治活動の一環で奈良を訪れた野田氏に取材を申し込むと、多忙であるにもかかわらず快く応じてくれた。さっそく思いをぶつけると、野田氏はこう語った。
 「私も毎日街頭に立っていますが、ぶつぶつ言っている人が後ろに立っていると緊張が走りますね。でも、民主主義の危機だと思いましたから。ああいう暴力的な行為で言論が屈してはいけないと思いましたのでね。そういうメッセージを込めて訴えたつもりです」
 思い詰めた様子もなく淡々と答える姿に、感銘を受けると同時に拍子抜けもした。私が感じた不安は的外れだったのか。思わず首をひねった。

銃撃現場で手を合わせる野田元首相=2023年3月5日、奈良市の近鉄大和西大寺駅前

 ▽危険に遭遇、ようやく理解
 今年4月に実施された春の統一地方選は、昨年の参院選以来となる全国規模での選挙戦となり、各地で舌戦が繰り広げられた。
 選挙期間が折り返しを迎えた4月15日、会社での作業中にテレビをつけると目に飛び込んできたのは、岸田文雄首相が応援に入った和歌山市での事件だった。男が取り押さえられた後に爆発音がして聴衆が逃げ惑う。ドーンという大きな音はあの時聴いたものとそっくりだ。一気に鼓動が早くなった。
 何が起きたのか、何が爆発したのか、岸田首相や聴衆にけがはないか。画面にかぶりつくようにニュースを見ていた。映像が繰り返し流れるたびにだんだんと気分が悪くなっていった。それでも、新しい情報が入ってこないかが気になって仕方がなかった。

岸田首相の街頭演説会場で爆発物が投げ込まれ騒然とする現場=2023年4月15日、和歌山市の雑賀崎漁港

 私は、安倍元首相の事件で自分がいかに危険な場面に遭遇していたかを、この時ようやく理解した。当時は状況を記録しようと、カメラを体の前に構えて現場に突進していた。だが、もし爆発物が持ち込まれていたらどうなっていただろうか。爆発物がなくても、安倍元首相を狙った銃弾は90メートル離れた立体駐車場の壁にもめり込んでいた。突進せずにとどまっていたとしても、流れ弾が当たっていれば命はなかった。
 そこまで考えたとき、私の中で新たな問いが生まれた。街頭演説を聞きに来た市民を守る対策は、万全なのだろうか。

安倍元首相が倒れた場所近くに設けられた花壇=2023年6月29日、奈良市の近鉄大和西大寺駅前

 ▽聴衆の安全確保、どうする?
 これまで目にした街頭演説では、大物政治家が来た時を除いてほとんど警備は実施されていなかった。大物が来て警察が警備をしていたとしても、その目的は要人警護であって演説を聴きに来た人たちの安全確保という観点は抜け落ちているのではないか。私を含めた聴衆の生命が脅かされるかもしれない―。安倍元首相の事件後、私がずっと抱えてきた不安の正体は、これなのではないか。
 警備の実情がどうなっているのか、急に気になった。奈良県内の地方議員に尋ねてみると、諦めにも似た言葉が返ってきた。「私たちでできる対策にも限界がある」
 警察はどう考えているのだろう。警察庁は今年6月、岸田首相が襲われた和歌山での事件の検証報告書を公表した。その中で、聴衆の安全確保についても、警護計画に盛り込んで対策を取るべきだと指摘されていた。安倍元首相の事件の報告書では言及がなかった点だ。私の問題意識をすくいあげてくれたような気がした。
 とはいえ、警護対象となる大物政治家がいない演説会場には警察はほとんど出動してくれないのが実情だ。選挙の注目度が高くなれば聴衆は増える。ただ、情勢が厳しくなれば候補者陣営は支持獲得を優先せざるを得ず、聴衆の安全を考える余裕もなくなるはず。すべての街頭演説を警察が把握することができない事情は分かる。かといって候補者側や政党に任せきりにしていては、必ずしも安全を確保できるというわけではないだろう。
 どうすれば、有権者が安心して政治家の演説を聴けるのか。警察と政治家側が膝を詰めて議論するべき時が来ていると思う。まさか、と思う二つの事件が日本で起きた今、聴衆に多くの犠牲者が出る悲劇も、いつ起きてもおかしくない。

【酒井記者が1年前に書いた記事はこちら】
「銃声が耳にこびりついて消えない」安倍元首相銃撃の一部始終 参院選担当記者の眼前で起きたこと
https://www.47news.jp/8054402.html

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