亡き母に「甲子園の1勝を」 長崎日大4番・加藤 全国高校野球選手権長崎大会

4番打者として「甲子園での1勝を届ける」とバットを振る加藤=諫早市、長崎日大学園野球場

 6日に開幕する第105回全国高校野球選手権記念長崎大会。第2シードに選出されている長崎日大の加藤太陽は、4月に45歳で他界した母真紀さんへの思いを胸に夏の戦いに臨む。「17年しか一緒に過ごせなかった。大人になっていく姿を見せたかった」。天国の母へ甲子園出場の吉報を届けるために、強く成長しているという姿を見てもらうために-。2年生で4番を任されている17歳は、今、自らができる最高のプレーを披露する。

■力を振り絞り

 物心がつくころに両親が離婚。介護福祉士として自らと妹を育ててくれた母は、多忙を極める中でも「めちゃくちゃ明るくて、いつもポジティブだった。何よりも野球の応援に行くことを楽しみにしていた」。
 事態が一変したのは、大村市立西大村中から高校に入学した昨年4月の下旬。頭痛を訴えて病院に行くと即入院となり、検査で脳腫瘍や乳がんが見つかった。6月までにそれぞれ手術で摘出して、夏に退院した後は元気な姿を見せていたものの、病は確実に体をむしばんでいた。
 今春の選抜大会が間近に迫ったころだった。放射線治療の影響で夜中に出血が止まらず救急搬送。そのまま入院を強いられたが、試合本番の日は甲子園に車いすで駆けつけた。発症以降、一緒に暮らすようになった祖父母に頼らず、船や宿の予約からすべて自分で仕切って、スタンドで応援していた。憧れの舞台で安打を放ってホームベースを踏む姿を喜んでくれた。
 付き添った祖父母の松添節生さん(69)、洋美さん(69)が追憶する。「最後の力を振り絞ってという感じだった。甲子園から帰った後はきつそうだったけれど“本当に行って良かった”と言った。昔から助けを求められたことはなく、陽気で何でも自分でやった娘。再入院後、亡くなる前日になって初めて“先生、助けて”と弱音を吐いたと医師から聞いた」

■甲子園1勝を

 4月11日、母は家族に囲まれ静かに旅立った。葬儀では気丈に喪主を務め、中学3年の妹とともに最後の別れを告げた。「何かあったらお母さんに頼ってきた。自立するということを伝えた」。それから約2週間後の九州地区大会。4番三塁手として出場した。「ずっと見守ってくれていると思っている」。だから頑張れた。
 母が病気になってからは祖父母が親代わり。2人は目を細める。「娘を亡くしてさみしいけれど、孫たちがおったから、それに癒やされて生活できている」。毎朝5時前に起きて作る弁当や大村駅までの送迎、練習試合から欠かさない応援…。祖母は母がそうだったように、打てなかったら文句も言ってくる。「でも、感謝しかない。プレーで恩返しをしたい」
 例年以上の混戦が予想される今夏。長崎日大は春こそ2年連続で甲子園の土を踏んでいるが、夏は2010年を最後に遠ざかっている。
 「お母さんに甲子園の1勝を届けたい。活躍して褒められたい」
 今、できることに全力を尽くす。それを積み重ねて大人になっていく。そうすればきっと、母がほほ笑んでくれると信じて。


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