ユヴェントスにいた北朝鮮人FWハン・グァンソン、消息不明…24歳で実質引退 「もうプレーはできない」

かつて北朝鮮のエースになると期待されていたFWハン・グァンソン。

弱冠18歳でセリエA初ゴールを決めると、2020年1月にはユヴェントスに買い取られた。

その直後にカタールのアル・ドゥハイルに売却されたが、その動向は報じられなくなった。

『CNN』では、「サッカー界を驚かせた北朝鮮選手、その後姿を消す」として彼の話題を伝えている。

国連安全保障理事会が2017年に6回目の核実験を行った北朝鮮に対して制裁を科した後、いい時は続かなくなった。

この制裁は金正恩の核兵器開発計画を支援するために外国からの資金が送金されているとの懸念から、加盟国に対して全北朝鮮国民の送還を命じるものだった。国連安保理決議は2019年末を送還の期限としていた。

だが、新型コロナの大流行により、北朝鮮が国境を完全に封鎖したことで、ハンら送還された北朝鮮国民の帰国は不可能に。

彼は国連の制裁に従い、2021年にカタールから飛び立つ予定だったが、それ以来消息を絶っている。CNNの調査で彼の失踪に新たな光が当てられた。

ハンは1998年に北朝鮮の首都である平壌で生まれた。スポーツ好きである金正恩が設立した名門の平壌国際サッカースクールに入学したこと以外、その人生についてはほとんど知られていない。

金正恩が2012年に政権を握ったとき、スポーツは世界から隠されがちなこの国を知る貴重な窓となった。

韓国統一省によれば、北朝鮮の指導者はソフトパワーの行使としてスポーツを利用し、自国を国際的に宣伝するためにエリートスポーツに、国防力と労働力を強化するために大衆スポーツに投資したという。

2013年、金正恩は綾羅島に平壌国際サッカースクールを設立。サッカータレントを育成し、生徒を海外に派遣し、専門家や海外からのサッカー選手を受け入れるというものだった。

設立後数か月で生徒14人がスペイン、15人がイタリアに国費で派遣され、地元の実績あるクラブで指導を受けた。このエリートプログラムの卒業生のなかでもハンは際立っていた。

彼はイタリアのユーススカウトセンターISMアカデミーの才能発掘プログラムによってスカウトされ、金正恩が北朝鮮をスポーツ大国に変えようと励むなかで最大のサクセスストーリーになった。

その後、ハンはカリアリのユースチームに引き抜かれる。2017年3月に加わったカリアリユースで得点を量産すると、同年4月にはプロデビュー、その1週間後には初ゴールを決めた。

当時のカリアリU-19監督は「最初は簡単ではなかった、彼は英語もイタリア語も分からなかったからね。でも、すぐにイタリア語を覚えた」、カリアリユース時代のチームメイトも「とてもとても良い選手。ちょっとシャイだけどナイスガイ。彼に話しかけて馴染める助けをした。車で迎えにいって、一緒にトレーニングに行くこともあった」と話している。

その元チームメイトは、ハンとペルージャにいた北朝鮮人FWチェ・ソンヒョクに何度か北朝鮮について尋ねたものの、彼らは何も語らなかったそう。

「2人は何も言わなかった。何かを言うことを少し怖がっているように見えた。

『分からない』とかちょっとしたことは言うけれど、大抵は遠慮がちで何も言いたがらなかった。

彼(ハン)が家族について話したことを覚えている。家族は国にいて、会いたいけれど、いつ帰れるのかも会えるのかも分からないと。あの時、彼がイタリアと母国を行き来するのは簡単じゃなかったからね。

自分がやっていることと比べて、彼が故郷についてほとんど話さないのはクレイジーだと思ったことを覚えている」。

その後、2020年1月にユーヴェが350万ユーロ(5.5億円)でカリアリからハンを獲得。

U-19の元監督は「カリアリにとっては相当な掘り出し物になった。彼は0円でやってきたからね。(ユーヴェからの関心には)かなり驚いた。彼はとてもいい選手だったけれど、若かったし、どこまでやれるかは分からなかった。チームには同じような資質の選手たちもいたがあまり話題にならなかった。彼が北朝鮮人であることは大きな問題だったからね」と話している。

だが、ビアンコネリのユニフォームを着るというハンの夢は1週間しか続かなかった。わずか1週間後にカタールのアル・ドゥハイルに700万ユーロ(11億円)で売却されたからだ。

(上記のように北朝鮮は国連安保理から制裁を科され)ハンは恵まれたサッカーの才能を持っていたが、例外扱いはされなかった。

ユーヴェとアル・ドゥハイルが国連安保理の送還期限が過ぎた2020年1月にどうやって移籍を進めたのかは不透明なままだ。彼の元代理人とアル・ドゥハイルにコメントを求めたが、すぐに返答は貰えなかった。

ハンのイタリアにおける有望なキャリアは断たれたが、アル・ドゥハイルでは歓迎された。シーズン途中に加入すると10試合で3ゴールを決め、リーグ優勝に貢献。

ハンとアル・ドゥハイルは5年で460万ドル(6.6億円)の契約を結んでおり、国連安保理の報告書によれば、2020年2月~4月には29.62万ドル(4272万円)の報酬を得ていた。

彼が国外で働く他の北朝鮮人と同じように母国に送金していたかは疑問が残る。国連の文書によれば、彼は「いかなる場合も北朝鮮に送金しない」とのカタール銀行の誓約書に署名していた。

ハンが金政権に送金していたかは不明だが、北朝鮮の国外労働者は本国政府への送金を強制されていると広く報じられてきた。

国連安保理は2020年3月に発表した報告書で海外で収入を得ている可能性がある北朝鮮人を調査しており、スポーツ選手などのスペシャリストもそこに含まれている。

ハンがアル・ドゥハイルで最後にプレーしたのは2020年8月のこと。サッカーファンがプロとしての彼のプレーを見るのはこれが最後になるだろう。

新シーズンが始まった翌月になると彼は消えた。スタメンにもベンチにもおらず、移籍のニュースもなかった。

2021年3月に発表された国連安保理の最終報告書で、ハンとアル・ドゥハイルとの契約は同年初頭に解除され、彼がカタールから国外追放されていたことが判明。アル・ドゥハイルとカタール当局にコメントを求めたが、即座の回答はなかった。

2021年、北朝鮮が新型コロナ対策のために国境を封鎖して人流や物流を制限した結果、ハンは立ち往生することに。国連安保理の最終報告書によると、彼は2021年1月26日にドーハ発のカタール航空便に搭乗し国外退去になっている。

だが、関係者によれば、帰国できなかった彼はローマに向かうことになったという。2016~2018年まで北朝鮮代表監督を務めたビョルン・アナセン氏は、「彼のマネージメントがイタリアに連れ帰ったことは知っている。彼はまだそこにいるだろうが、もうサッカーはプレーできない…。プレーも成長もできないのは非常に不運なことだった」と話している。FIFAとイタリア外務省に問い合わせたが、返答はまだない。

別の関係者によると、2021年時点でハンはどこかの北朝鮮大使館に滞在しながら、平壌への帰国便再開を待っていたという。帰国できない国民たちを受け入れている北朝鮮大使館もあるようで、関係者は「宿泊棟に数十人以上の北朝鮮国民を長期的に“トランジット”させているところもある」とも話している。

ハンがどのような状況にあるのかは不明だ。

カリアリU-19の元監督は「あのレベルを取り戻すのは簡単ではないだろうが、不可能ではない。もし復帰のチャンスが与えられれば、すごくいいモチベーションになる。いいキャリアといいお金を得られただろうから勿体ない」、アナセン氏は「彼はほぼ2年間プレーしていない。どこかは分からないが小さなチームで練習だけしていると思う。ただ、プレーはしていないので、クオリティの多くは失われた。彼がサッカーをやめなければいけなかったことは非常に残念だ。すごい才能を持っていた」と悲しんでいる。

CNNでは、ハンのビッグクラブでプレーするという夢が生い立ちのせいで消えてしまったことは2人の監督にとって最大の恥辱だろうとしている。

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韓国政府関係者によると、北朝鮮は国連から制裁処分を受けているにもかかわらず、10万人以上の北朝鮮労働者が中国やロシアなど40か国に滞在しており、年間2億~3億ドル(288~432億円)の外貨を稼いでいるという。

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