アーセナルで長く指揮をとったアーセン・ヴェンゲル監督。22年に渡るその時代には多くの選手が発掘されてスターになった一方、大物選手が驚きの退団をすることも多かった。
今回はそのアーセン・ヴェンゲル監督の時代にアーセナルを退団した驚きの放出選手7名を特集しよう。
ヴォイチェフ・シュチェスニ
放出したクラブ:ローマ
アーセナルでデビューしたポーランド代表のシュチェスニ。2009年に若くしてトップチームでブレイクしたものの、なかなかそれから評価を高められず、最終的にペトル・チェフの加入で追い出される形に。しかしその後ローマへのローン移籍で復活を見せ、2017年にはユヴェントスへ移籍。あのブッフォンの後釜として信頼を受ける存在に。
トーマス・ヴェルマーレン
放出したクラブ:バルセロナ
2009年に1000万ポンドでアヤックスからアーセナルに移籍したトーマス・ヴェルマーレン。公式戦150試合に出場する主力の1人であったが、その一方で決してフィットネスは安定していなかった。そして彼は契約更新を拒否して2014年にバルセロナへ移籍したが、それ以降さらに怪我の連鎖に悩まされてしまった。
アシュリー・コール
放出したクラブ:チェルシー
2000年代初頭に世界最高の左サイドバックとして評価されたアシュリー・コール。2003-04シーズンには伝説の無敗優勝に貢献したものの、2006年にライバルのチェルシーへと引き抜かれていった。お金目当てだと言われ「キャッシュリー・コール」とも揶揄されたが、その後もプレミア屈指の選手として長く活躍した。
セルジュ・ニャブリ
放出したクラブ:ヴェルダー・ブレーメン
アーセナルの下部組織で育ったニャブリ。若くして期待は受けていたが、WBAでのローン移籍で大失敗するなどして信頼を失い、ヴェルダー・ブレーメンへと売却されることになった。しかしドイツで輝かしい復活を遂げ、2017年にはバイエルン・ミュンヘンへと引き抜かれた。
セスク・ファブレガス
放出したクラブ:バルセロナ
バルセロナの下部組織から15歳でアーセナルに加入し、すぐにトップチームで活躍するようになった天才セスク。プレミアリーグで頂点を極めるなか、なんと2011年にはバルセロナへの復帰を決断する。2800万ポンドもの移籍金が動いた大型取引だったが、古巣に戻った彼はイニエスタやチャビとのポジション争いに勝てず、後にチェルシーへ移籍することに。
ティエリ・アンリ
放出したクラブ:バルセロナ
アーセナルで世界最高クラスのストライカーに成長したティエリ・アンリ。まさにヴェンゲル監督の愛弟子という存在であったが、彼は2007年にバルセロナへと移籍する。彼自身もそれを考えたことはなかったそうだが、アーセナルの選手やヴェンゲル監督の去就が不透明な時期だったために決断したという。
ロビン・ファン・ペルシー
放出したクラブ:マンチェスター・ユナイテッド
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そしてアンリと同じようにアーセン・ヴェンゲル監督によってストライカーにコンバートされ、世界最高の点取り屋となったファン・ペルシーも…。2012年にマンチェスター・ユナイテッドへと突如移籍し、アーセナルのファンに衝撃を与えた。そして新天地でのデビューシーズンに26ゴールを叩き込み、プレミアリーグ優勝を果たしている。