名前の重み

 詩人の川崎洋さんに「存在」という一編がある。〈「魚」と言うな/シビレエイと言えブリと言え/…「花」と言うな/すずらんと言え鬼ゆりと言え〉。名前の一つ一つに存在の重みが宿る。「魚」「花」と、ひとくくりにはできない。そんな意味だと察する▲詩はこう結ばれる。〈「二人死亡」と言うな/太郎と花子が死んだ と言え〉。名前の、存在の重みを忘るるなかれ。「二人」と束ねることなかれ。詩人の願いだろう▲思い当たることがある。東日本大震災が起きたあと、死亡が判明した人の数多くの氏名が連日、紙面を埋めた。一つ一つの名前に詰まった何年、何十年かの歳月を思って、心が痛んだのを覚えている▲では、公表する側はどうかといえば、多分に迷いがあるらしい。災害時に亡くなった人の氏名の公表について、まとまった方針を国が示すように多くの自治体が求めていることが、共同通信の調査で分かった▲本県を含む多くが「遺族の同意を得て公表」だが、非公表とした県もある。「遺族」とはどの範囲なのかもあいまいで、自治体の一存による公表をためらう向きが強い▲7月はとりわけ豪雨被害が案じられる。太郎に花子と、まずはその名を公表する事態にならないよう、用心に用心を重ねる時季でもある。名前の重みを確かめたい。(徹)

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