西日本豪雨5年…「記憶を伝える」 広島

県内で152人が亡くなった豪雨災害から5年。被災地は各地で祈りに包まれ県庁でも追悼の意を示す半旗が掲げられました。

12人が犠牲となった熊野町の大原ハイツ。家族4人を亡くした角森康治さんが自宅跡地を訪れました。

角森康治さん「きょうも一緒にここを見にこようよと思って(亡くなった)家族の写真もってきました。(被災三年目までは)心が壊れかけてたんでそれはちょっと楽になったかな。今は『(写真とともに)一緒に行こうね』っていう形になったんで」

災害から5年遺族の心境に変化も現われています。

呉市安浦町市原地区で父・良治さんを亡くした高取久美子さん。災害後、市原地区を離れていましたがこの地に戻ることを決めました。

高取久美子さん「お父さんにもらった前向きな気持ちとか、これから私がこの場所で引き継いでいけたらいいなっていうのを報告した感じですね。ちょっと時間はかかりましたけど心境の変化というか、ここに戻って再スタート出来たらいいなっていう、お父さんが好きだった場所を守りぬいていければいいなという気持ちでいます」

災害を忘れない…15人が犠牲になった坂町小屋浦地区。あの日を伝えるため被災を経験した子どもたちが選んだのは紙芝居です。

「その時外から雨の音に交じって助けてーという大声が聞こえた。助けてー助けてー」

自分たちが感じた“被災のリアル”を伝える紙芝居。下級生も真剣に聞いていました。

小1時に被災 半田実和さん「いつ災害が起きてもみんなが避難できるように、今知らない人たちにも知ってもらって災害の怖さを伝えていきたいです」

この春開校した呉市の天応学園でも全校集会で災害の怖さを伝えます。

小4の時に被災 山口蒼さん「このまま死ぬのではないかと思うぐらい生きた心地がしませんでした。困ったときにきちんと助けてと言えるようになることも大切です。人も自分も守っていきましょう」

災害後、県が緊急対策として計画した170カ所の砂防ダムなどの建設も残すは1カ所。今年度中には終わる見込みです。

また、ピーク時には約1300世帯が入居していた仮設住宅などでは2月に最後の世帯が退去し県内の建設型仮設住宅は全て撤去されました。

松井市長「ハード・ソフト通じて災害に強い街づくりをこれからもしっかりやっていかなければいかんかなと思っているところです。(災害の)経験値の風化が起こらないようにするということをやっていければなと思います」

復興が進む中2度と犠牲者を出さないために、被災地はあの日を伝え続けます。

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