ドーピングで陽性になったスーパースター、6名。オナナ、マラドーナ…

スポーツにおいて大きな問題を引き起こすのがドーピング。パフォーマンスを高めたり筋力の増加をもたらすもののほか、単なる興奮剤や覚醒剤など多くの薬物が違反とされている。

そのためアスリートは市販の薬などは口にすることができず、違反となる成分を摂取しないように突き詰めなければならない。

そして、スター選手でもそれに引っかかってしまう者も…。今回は薬物に陽性反応を示した有名サッカー選手を取り上げる。

アンドレ・オナナ

かつてバルセロナの下部組織でプレーし、アヤックスへと移って大ブレイクしたカメルーン代表ゴールキーパー。チャンピオンズリーグでも上位進出に貢献し、攻撃にも力を発揮する現代的な選手として高く評価された。

彼が薬物で問題に直面してしまったのは、ブレイクした後の2021年2月。ビッグクラブへのステップアップが噂される中で、突如禁止薬物フロセミドを摂取したことが判明した…と発表された。

UEFAから12ヶ月の出場停止処分を受けた後、彼は妊娠中の妻が持っていた薬を誤って服用してしまったと告白。これが認められて出場停止は9ヶ月に減刑されたが、アヤックスでのキャリアに不幸な終わりをもたらすことになってしまった。

とはいえ、インテルに移籍してからの彼はそのトラブルを経験したとは思えないようなプレーを見せており、さらに恩師エリック・テン・ハフ監督が率いるマンチェスター・ユナイテッドから関心を受けているという。

エドガー・ダーヴィッツ

オランダ代表やミラン、ユヴェントスで活躍したことで知られるエドガー・ダーヴィッツ。目の病気を抱えたために着用しなければならなくなったゴーグルがトレードマークであった。

ただ、彼はそのキャリアの中で2000年代初頭にドーピング違反を経験している。2001年にアナボリックステロイドの一種であるナンドロロンが検出されていた。

そしてユヴェントス対ウディネーゼの試合のBサンプルにおいてもアナボリックステロイドのノランドロステロンとノレチオコラノロンの陽性反応を示していた。

これによって当初は2年もの出場停止処分を受けたものの、本人はドーピングを意図的に行ったことを断固否定。最終的には4ヶ月ほどピッチから離されることになった。

アドリアン・ムトゥ

中田英寿、アドリアーノとともにパルマで「トリデンテ(三叉の鉾)」と呼ばれる伝説的な3トップを組んだルーマニアの怪童アドリアン・ムトゥ。巧みなドリブルと圧倒的な得点力、そしてふてぶてしいプレーぶりが魅力であった。

そして2003年夏にはロマン・アブラモヴィッチ氏がオーナーとなったチェルシーへと引き抜かれた。プレミアリーグでの1年目には有望なシーズンを過ごしたものの、その後ジョゼ・モウリーニョ監督の下でキャリアを狂わせてしまった。

2004年に彼はコカインの摂取が明らかになり、7ヶ月の出場停止処分を受けることに。それが明けたあとにはフィオレンティーナで活躍するも、2010年には再びドーピング検査で陽性反応を示してしまった。

とてつもない才能を持っていたものの、残念ながら気難しい性格と一貫性のなさ、そしてこの2回のドーピングによってポテンシャルを発揮しきれなかった選手であった。

ヤープ・スタム

ダーヴィッツが2001年にアナボリックステロイドの陽性反応を示したとき、同じようにイタリア・セリエAの複数の選手が出場停止処分を受けていた。その1人が当時ラツィオに所属していたヤープ・スタムだった。

同じ2001年の10月において行われた検査で彼もナンドロロンが検出され、5ヶ月の出場停止処分を言い渡されることに。最終的には控訴の末に4ヶ月に短縮されたものの、チームにとっては大きな打撃だった。

というのも、ラツィオは同じ年にポルトガル代表DFフェルナンド・コウトもドーピングで出場停止になっており、世界レベルのディフェンダーが2人立て続けにいなくなってしまったからだ。

フランク・デ・ブール

そして2000年代のアナボリックステロイド流行に乗ってしまった選手の1人がオランダ代表のフランク・デ・ブールであった。

バルセロナでプレーしていた2001年、UEFAカップのセルタ・デ・ビーゴ戦が終了したあとに行われたドーピング検査においてナンドロロンの陽性反応を示した。

当初は1年間もの出場停止を受けたものの、フランク・デ・ブール自身はそれを不服として控訴。汚染されたサプリメントを知らずに摂取しただけだと説明し、それが認められた。最終的には11週間にまで短縮されている。

ディエゴ・マラドーナ

やはり最も大きな注目を集めたドーピングはディエゴ・マラドーナだ。1991年にナポリでプレーしていた際にコカインの陽性反応が出たときから、彼が薬物をやっていることは周知の事実になった。

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そして一度立ち直って復帰したものの、1994年のワールドカップではエフェドリンという交感神経興奮剤が検出されてしまい、大会から追放されることになった。

そして、それによってマラドーナの代表選手としてのキャリアは不名誉な終わりを遂げることになった。そしてサッカー選手としてもこれ以降は難しい時間を過ごすことになる。

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