日本人選手が数多く所属するようになったセルティック。スコットランド・プレミアシップの「2強」として長い歴史を刻んできた名門が、ここに来て日本でその存在感を一気に高めている。
今回は『fansbet』から、そのセルティックの「1990年代からのベストイレブン」をご紹介しよう。
GK:アルトゥール:ボルツ
セルティック所属:2005~2010
セルティックで221試合に出場したポーランド代表GK。オールドファーム・ダービーでの振る舞いやフィールド外でのエキセントリックな行動もあってカルト的な存在でもあり、「聖キーパー」と呼ばれたこともあった。
欠点やミスもあったもののショットストッパーとしては傑出しており、そしてエンターテイナーでもあった。2007年にはスコットランド年間最優秀選手の候補に選ばれ、1年後にはFIFProワールドイレブンの候補GK5人に入っている。
DF:ジャッキー・マクナマラ
セルティック所属:1995~2005
セルティックの歴史上でもトップクラスに長くチームを支えたディフェンダーの1人。スターティングメンバーとして10年を過ごし、6人の監督の下で常に信頼を得ていた。
情熱的で全力を尽くす選手であり、最終ラインの様々なところで役割を果たした。2004年には年間最優秀選手に選ばれており、セルティックでのキャリアを通して4回のリーグタイトルを獲得した。
DF:フィルヒル・ファン・ダイク
セルティック所属:2013~2015
彼がセルティックで過ごした時間は短かった。しかしファン・ダイクをスコットランドに連れてくることができたのはあまりにも幸運であった。数年後には世界最高のセンターバックとして評価されるようになった選手だ。
スコットランドでは115試合で15ゴールを決めた。豪快なクリアや強烈なタックル、圧倒的なスピードを生かして活躍。その才能はプレミアリーグのクラブからも注目を受け、ステップアップを果たしていった。
DF:トム・ボイド
セルティック所属:1992~2003
チェルシーで失敗した後にセルティックへとやってきたトム・ボイド。アグレッシブなサイドバックとしてすぐに信頼を受けたが、それから徐々に守備的なスタイルにチェンジ。信頼できる最終ラインのユーティリティとして300試合以上に出場した。
キャプテンとしてもチームを支える存在になり、素晴らしいプロフェッショナリズムを見せた。2003年に引退後もセルティックで働いており、現在も大使を務めている。
DF:ヨハン・ミャルビー
セルティック所属:1998~2004
1998-99シーズン、グラスゴー・レンジャーズに5-1で勝利を収めた伝説的な試合でデビューしたミャルビー。このスウェーデン人DFはなにか特別なものを宿していたのかもしれない。
大きくてパワフルで、優れた技術もあり、冷静で落ち着いており、中盤でも使われるようなセンターバックだった。特にマーティン・オニール監督の下で最高のパフォーマンスを見せた。またニール・レノン監督時代にはアシスタントコーチを務めたことも。
MF:ポール・ランバート
セルティック所属:1997~2005
スコットランドのサッカー界でポール・ランバートほど権威がある選手はほとんどいない。ボルシア・ドルトムントではチャンピオンズリーグ決勝を戦い、ジネディーヌ・ジダンを封じた。その直後にセルティックへとやってきて、中盤に品格とコントロールをもたらした。
28歳になってからセルティックへとやってきた選手だが、年齢を重ねても常にモチベーション高く戦えるプロフェッショナルで、2000-01シーズンに三冠を獲得したチームの不可欠な歯車であった。
MF:スコット・ブラウン
セルティック所属:2007~2021
セルティックにおいては伝説的なボランチがたくさんいるが、スコット・ブラウンほど圧倒的な存在感を示したものは数少ない。彼の戦う姿勢は近年のセルティックの成功において大きな影響力を示したといえる。
ファイターでありながらも優れたパサーでもあり、多くの監督によって信頼を受けた。その好戦的なスタイルはもちろん万人に愛されるものではなかったが、私生活も含めた模範的な存在であり、真のキャプテンであった。
MF:中村俊輔
セルティック所属:2005~2009
検索エンジンに「最高のフリーキック」と入れれば、中村俊輔に出会うまでそう時間はかからない。止まったボールを蹴る状況になれば、彼はただの魔術師であった。
しかしそれだけではなく、4シーズンの間スコットランドで最もクリエイティブな選手であり、流れの中でも予想だにしないパスやシュートを見せられる華麗なMFであった。そしてこの種のファンタジックな選手には珍しい、たゆまぬ労働倫理を備えた人物でもあった。様々な理由により、真なるファンのお気に入りになった男である。
MF:スティリヤン・ペトロフ
セルティック所属:1999~2006
1999年に短期間セルティックを率いたかつての名選手ジョン・バーンズ。成績以上に批判を受けて退任することになったが、彼はスティリヤン・ペトロフをわずか280万ポンドで獲得するという巨大な成功を収めた。素晴らしいボールタッチと技術を備えたボックス・トゥ・ボックス・プレーヤーであり、試合を影から支配できた。
スコットランドでの7年間で300試合以上に出場し、55ゴールを記録したほか、4回のリーグ優勝を経験。その後アストン・ヴィラに去った後白血病に侵されてしまったが、不屈の精神で回復している。現在は引退後の選手をサポートする企業で働いている。
MF:エイデン・マクギーディ
セルティック所属:2004~2010
セルティックのシャツを着た選手の中でもっとも才能があった男の1人だ。残念ながら全く一貫性がなかったためにスターへの道筋から外れてしまったが、チームにファンタジーをもたらすような真の「型破り」であり、そしてセルティックの生え抜き選手であった。
デビューから数年は中村俊輔やショーン・マロニーの影に隠れたが、2007年頃から主力としての地位を確率。気まぐれなプレーはカリスマ的なものがあり、結果以上にファンから愛された選手である。
FW:ヘンリク・ラーション
セルティック所属:1997~2004
ストライカーを選ぶにあたって、ラーション以外を選ぶファンはいないだろう。セルティックの創設以来すべての歴史を紐解いたとしても、彼が最高のFWとして選ばれる可能性は極めて高い。
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313試合で242ゴールという記録は、リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドが生まれて基準が崩壊するまでは伝説的な数字として扱われるようなものだった。そして30代後半になってからバルセロナやマンチェスター・ユナイテッドで活躍した事も含め、唯一無二の愛される男でもあった。