「自分に対して厳しくあれ」イチローさん“夢の指導”から7か月 “進学校”高校球児の現在地

7月2日に開幕した第105回全国高校野球選手権記念静岡大会。2022年12月、元メジャーリーガーのイチローさんから直接指導を受けた富士高校野球部が8日、初戦に臨みました。進学校の球児たちがイチローさんから学んだこと、とはー。

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イチローさんから多くのことを学んだ富士高ナイン

<イチローさん>

「こんにちは」

<富士高校野球部員>

「え~!」

2022年12月、富士山のふもと・静岡県富士市。県立富士高校のグラウンドに姿を現したイチローさん。富士高ナインは、驚きを隠せませんでした。

1979年の夏、さらに1987年の春に、甲子園出場経験を持ち、進学校として知られる富士高校。勉強をやりながら、地域の子どもたちに向けた教室を開催するなど、野球に熱心な姿勢を知ったイチローさんが自ら申し出て、2日間の夢の指導につながりました。

<野球部員>

「自信を持って自分が盗塁に行ける距離は?」

<イチローさん>

「行ける距離を自分で測る。リードをとれるからといって大きくとらない。それがコツだね」

最後に、イチローさんは選手たちにこんな言葉を送りました。

<イチローさん>

「声出して、みんなで励まし合って、なんかこうチームな感じするでしょう。この感じを忘れないように。自分に対して、いつも厳しくあってほしい。そうすれば、将来どの世界に行っても人を引っ張っていける人間になれると思う、みんなにはそこを目指してほしい」

あれから半年。富士高校のグラウンドを訪ねました。

<富士高校 中澤樹キャプテン>

「イチローさんが来て、たくさん明るい雰囲気でやろうとか、声出してやろうといってもらい、チームにとっても変わるチャンスになった」

特に変わったというのが、チームの士気をあげるために、自ら進んで声を出すという個々の姿勢。

イチローさんは、富士高の選手たちを「社会に出て、リーダーになる志を持った子どもたち」と呼び、接していました。

前人未到の記録を不断の努力で成し遂げてきたスーパースターと過ごした時間は、“子どもたち”に大きな影響を与えていました。

<富永大輝内野手>

「1球、1球のプレーに対して真摯に、全力で向き合うことを、イチローさんの背中を見て学んだ」

<水越壱成投手>

「イチローさんに教えてもらったことを思い出すのではなくて、それが自然と出るように、普段から心がけて、意識をしていた」

チームは春の大会で東部地区を勝ち抜き、静岡県大会に出場するなど、着実に力を付けてきました。

そして、迎えた夏の高校野球静岡大会、小山高校との1回戦。2回、富士高に1アウト2、3塁の試練が訪れると、スクイズを決められ、先制点を許します。

追い付きたい富士は4回、イチローさんの教えを日頃から心がけていたという4番・水越投手がヒットで出塁。さらに5番・後藤選手が続き、1アウト2、3塁のチャンスをつくると、富士高ナインは互いを盛り立てます。しかし、後続が倒れ、チャンスをものにできず。

その後、7回にも追加点を奪われ、5点ビハインドで最終回に。2アウトとなって、迎えるバッターは中澤キャプテン。結果は…三振。イチローさんの教えを胸に、最後まであきらめなかった富士高でしたが、初戦で涙を飲みました。

【第105回全国高校野球選手権記念静岡大会1回戦=7月8日、富士球場】

富士 000 000 000=0

小山 010 101 20×=5

<中澤樹キャプテン>

「悔しいです。イチローさんが来てくださって、教えてもらって学んだことも、きょう味わった悔しさも、全部次につなげようと思えばつなげることができると思うので、全部無駄にせずにこれからも頑張っていきたい」

<水越壱成投手>

「誰かを引っ張っていけるような人材になって、社会でリーダーになれるような人になりたい」

稲木恵介監督によりますと、選手たちは、受験を終え、進路が決まったところで、イチローさんに報告する予定だということです。富士高校の夏は終わりましたが、イチローさんが選手たちに残したのは、野球だけでなく、その後の人生にも生かせる「教え」だったと思います。

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