欧州デビュー・鈴木冬一が「変化を恐れない」理由。自ら研磨してきた21歳の「環境適応力」

今季より湘南ベルマーレからスイス1部リーグのFCローザンヌ・スポルトへ完全移籍した鈴木冬一は、1月23日についに海外公式戦デビューを果たした。小学生年代からプレーしていたセレッソ大阪の下部組織から長崎総合科学大学付属高校への「移籍」、そしてFIFA U-17ワールドカップでの左サイドバックへのコンバートといった経験から得た「変化を恐れずモノにしていく」という大きな武器を持って、海外挑戦という夢の第一歩を踏み出した今の心境を語ってくれた。

(インタビュー・構成=川端暁彦、撮影=浦正弘)

クラブのため、次に続く選手たちのために“恩返し”を

――まずは欧州行きを決めるまでの経緯を教えてください。

鈴木:このタイミングでオファーが来たら行こうと計画していたとかではなく、(オファーが)来たから「行く」という返事をしたというだけですね。僕らの世代はみんなめちゃくちゃ海外志向が強いですし、僕もずっとそうでした。もちろん同い年の(菅原)由勢がヨーロッパでプレーしているのを見ていて感じる部分もありましたし、今度は僕が(欧州へ)出て行って活躍することで、(瀬古)歩夢や(谷)晃生とか、同じ世代の選手たちの刺激になれるとも思っています。

――中学生のときから「いつかヨーロッパに」という話はしていましたもんね。

鈴木:そうですね。でも、もちろん行くだけで終わるつもりはなくて、ローザンヌという場所で欧州の生活に慣れて、言葉も覚えて、サッカー選手としても成長し、もっともっと上の舞台に立てるようになりたい。もし半年のプレーでもっと上に行けるならそうしたいというくらいの気持ちですね。(フランスの)ニースとはクラブ間での連携があるので、チャンスもあると思っています。

――国にこだわりはなかったですか?

鈴木:大きな目標として言うなら、「スペインでプレーしたい」というのはあります。ただ、その過程において「絶対ここでしかやりたくない」なんてことはありません。ステップを踏んでいかないといけないのは分かっていますから。スイスはドイツにもフランスにもイタリアにも接していて、見てもらう機会の多い国だということもあって、ここに決めました。ここからどうなるのも全部自分次第というのも分かっています。

――一方で、プロ入りした最初のクラブである湘南ベルマーレに対する気持ちの強さも前々から感じていたところでした。

鈴木:ベルマーレに入っていなかったらこの移籍だってなかったかもしれないですし、だから移籍金をしっかり残して欧州へ行けたというのはよかったと思います。感謝の気持ちをお金という形にできたわけですし、この先に僕がもっと大きなクラブへ移籍できれば、ベルマーレにも、これまでお世話になってきたチームにもお金が入るので(FIFAの連帯貢献金制度により、国際移籍に伴って発生した移籍金の5%が12〜23歳までに在籍したクラブに支払われる)、そこは意識しています。

――クラブへ恩返しをしていきたかった?

鈴木:このコロナ禍で世界中の経済が苦しくなって、クラブも難しい状況だというのは分かっていましたから、僕がお金を残せればその力にもなれるじゃないですか。あとは僕がスイスへ行って活躍することで、ベルマーレや日本サッカーからスイスへのパイプができるし、欧州で「ベルマーレの選手はよく鍛えられていて使えるな」と思ってもらえるかもしれない。逆に僕がスイスでまるでダメだったら「やっぱり日本人は無理だな」と言われかねないわけで。だから後に続く選手のためにも頑張りたいという気持ちですし、その責任も胸に刻んでやりたいなと思っています。

環境の変化を恐れなくなった「ユースから高校サッカーへの移籍」という決断

――環境を大きく変える決断というのは決して簡単なものじゃないと思います。高校3年生を迎えるタイミングでセレッソ大阪U-18から長崎総合科学大学附属高校へ「移籍」したときもすごい決断をするなと思いましたが、そうやって「環境を変えることで成長した」という成功体験は大きかったですか?

鈴木:当時の年齢であの移籍を決めるのは本当にすごい難しい決断だったと、今振り返っても思います。ああいう成功体験があったからこそ、今こうやってスイス行きを決める決断に難しさを感じなかったというのはあるかもしれません。環境を変えることで得られるものの大きさというのはあのときに強く感じたものですし、スイスに行くことによる環境の変化をネガティブに捉えてないのはありますね。

――あのときはビックリしました(笑)。

鈴木:それはそうですよね(笑)。(2017年のFIFA)U-17ワールドカップが終わってすぐ後の決断で……。でも、ああいう決断をしたからこそ今がある。今後もきっとあると思うし、そういう決断力は大事だと思います。

――単に高校サッカーへ移るというだけではなく、生まれ育った大阪から何も知らない長崎へ、ですからね。

鈴木:いろいろと相談していた父にも言われたんですが、「代表のときの鈴木冬一と、クラブでの鈴木冬一が明らかに違う。伸び伸びやれているのが前者で、そうじゃないのが後者だ」と。だから当時は自分もセレッソでの未来が見えなくなってしまっていました。でも本当に長崎へ行くことを決めてよかったと思っています。チームメートにも恵まれて仲間になれたし、長崎という場所にも馴染めました。

――サッカースタイルも大きく違いますし、適応力を見せましたね。

鈴木:そういう意味では、アンダー世代の代表や選抜チームだったり、いろいろな人が集まる場に行ったり、違うサッカーに触れる機会はあったので、そこのチームで求められるモノを出さないと生き残れないという経験をしていたのは大きかったですね。僕が好きなのはテクニックのある選手を生かすようなスタイルですけれど、それでなければ嫌だとかはないですよ。今度行くFCローザンヌ・スポルトは縦に速くてダイナミックなサッカーをやるチームなので、そのサッカーに適応しながら、自分の良さを出していければと思っています。ただ、これまでと違い海外になるので、そんな簡単じゃないだろうと思いますけど(笑)。

――今度は国が違いますからね。長崎弁と大阪弁は通じるけど(笑)。

鈴木:そうそう(笑)。サッカー選手はコミュニケーションが大事で、その壁は絶対に越えないといけない。いくらプレーでアピールしても、思っていることを伝えられない選手って信用されないと思います。一日でも早く言葉を覚えて、僕が適応しないといけない。環境を大きく変えるという意味では高校時代の決断と似た部分はありますけれど、やっぱり住む国を変えるというのは、ずっと大きな決断ですね。

――ただ、不安を抱えていた高校生のときと、プロでプレーして自信をつかんだ今とでは違うでしょう?

鈴木:成長していると思いますし、プロとしての覚悟も違うと思います。だから不安はないです。

――フランス語の勉強はもう始めているんですか?

鈴木:はい。でも難しすぎて頭が痛い(笑)。数字がまず難しいですよね。めちゃめちゃ複雑。マジで分からなくなります。でも覚えるしかないので、そういうのも全部覚えていっています。もちろん言葉だけじゃなくて体づくりのところもやりながら、ですね。

――海外で言葉は大事だけれど、同時に分からないなりに飛び込んでいけるかも大事です。

鈴木:いかに自分から行けるかですよね。やっぱりJリーグにブラジルから来る助っ人とは違うと思うんですよ、日本人が欧州へ行くというのは。日本から来る選手に好意的な人ばかりじゃないのも分かっていますし。そういう環境に飛び込むことに関しては抵抗ないので、とにかく言葉が分からなくても、チームメートとも家の近所の人とも積極的に話して、仲良くなっていきたいです。逆に向こうで日本人のコミュニティを作りたいとか全く思わないですから。

――日本代表の長友佑都選手もそういうメンタリティがあったからこそ彼は世界中の国でああやって愛されています。

鈴木:長友さんは選手としてはもちろん、そういう部分もすごく尊敬しています。自分と同じ左サイドバックで10年以上も日本代表として活躍し続けている人ですし、意識している存在です。あの偉大な選手の後を誰がやるのかまだ見えていないと思うので、自分も長友さんみたいに長い間にわたって日本代表を任される選手になりたいです。長友さんのことは本当に尊敬しているので、いつか一緒にやってみたいという気持ちもあります。絶対に学ぶことがたくさんあるので。

――今は東京五輪を意識するというよりA代表ですか?

鈴木:もう年代別の大会は(U-17)ワールドカップ(以下、W杯)で経験してきているので余計にそういう意識かもしれません。あの経験は大きかったですし。もちろん、五輪に出られるなら出たいですし、呼ばれれば全力でやります。ただ、そのためにもローザンヌで試合に出て活躍するしかないわけで、五輪を意識するにしてもしないにしても、結局やることは変わらないかな、と。

人の意見を素直に受け入れることで身になることは多い

――U-17ワールドカップでの経験は鈴木選手のサッカー人生にとって、きっと大きな意味がありましたよね。

鈴木:大きかったです。チームとしてもみんなが応援したくなるようなサッカーができたと思いますし、あそこから活躍する選手も出て来ているじゃないですか。

――(UEFA)チャンピオンズリーグを見ていても、「あっ、あのときの選手だ」となりますもんね。

鈴木:そうなんですよ。だからずっと刺激を受けています。

――あの大会の直前に左サイドバックへコンバートされたことが、今に至るまで大きな意味を持っていると感じます。

鈴木:7月の国際ユースサッカーin新潟の前にコンバートされて、10月に(U-17)W杯でしたからね(笑)。新潟でアシストもできて、「結構できるじゃん」みたいになりました。あのとき、右MFのままだったら(U-17)W杯のメンバーにも入れなかったかもしれないですし、あれは今につながってますよね。縁というか、感謝というか。

――それともう一つ左サイドバックへのコンバートに対し前向きに取り組んだのも大きかったように感じます。ずっと攻撃的なポジションをやってきた選手はああいったケースにおいて不満が先に出てしまうことが多いと思いますが。

鈴木:たしかにそうですね。でも、サイドバックといっても守備的にやるつもりはなくて、ドリブルやキックなどの攻撃的な部分で自分の良さを出そうと思っていたし、実際にそういうプレーができたと思います。

――長崎総合科学大学附属高校の小嶺忠敏監督もおっしゃっていましたが、鈴木選手は「他人の指摘や提案を受け入れる姿勢がある」と。それは弱点の指摘を含めて。

鈴木:まず素直に聞くことは大事だなと感じていますし、それで身になることは多いと思います。それは海外に行っても同じかな、と。例えば守備に関してもベルマーレに入ってから教わって身になったということが本当に多くて。どこで寄せればいいのか、どういうときに体を当てればいいのかといった細かい部分までしっかり教えてもらえて、プロの舞台で戦う中で守備力も伸ばせたと思っています。

――改めてヨーロッパのトップレベルに自分が達するために、もっと高めないといけない部分はどこでしょう。

鈴木:ボールを持ってからというより、ボールを持つまでのところをもっと高めないといけないなと感じています。いつ上がるのか、いつボールを受けるのか、あるいは守備のときにどこまで戻って、どこなら戻らなくていいのか。そういう判断のところがまだまだ甘かったり遅かったりするので、そこは上げないといけないなと感じています。そこは課題です。ボールを持ってから仕掛けていくところには自信があるし、いろいろなイメージがありますから。

「僕がA代表に入ることで、『自慢の息子』みたいになれたら…」

――いよいよヨーロッパで大きく羽ばたいていくための第一歩、どんな心境ですか?

鈴木:森山(佳郎)さん(U-17/U-15日本代表監督)もそうですし、僕が欧州への移籍を決めたことで、今まで僕を指導してくれた方々も喜んでくれているんじゃないかなと思いますし、そうやって恩を返したいですね。きっと森山さんも、あのとき(U-17W杯で)優勝したイングランドに負けて僕たちと同じように悔しかったはず。だから僕や由勢とかが、あのときのイングランドの選手がいるチームを欧州で倒したら絶対喜んでくれると思うので、喜ばせたいですね。

――そしていつかA代表で……。

鈴木:そうそう、イングランドとW杯で当たって、あの借りを返せるような選手になりたいです。これを言うと自信過剰と思われるかもしれないですけれど、そういうのではなくて、高い目標を持ちながら刺激し合って成長しているのが僕らの世代である“00ジャパン”(2000年以降生まれの選手たちの代表チームの愛称)なので、すごく自然にそう思っています。ああやって由勢がA代表に入って、歩夢がJリーグのベストヤングプレーヤーに選ばれて、そういうのをお互いの刺激にしています。今ちょっとうまくいっていない選手にしても、例えば宮代大聖(徳島ヴォルティス)にしても絶対に出てくると思います。あいつのすごさはみんな分かっているので。そうやってみんなの存在が刺激になって成長してきました。

――森山さんがU-15代表のときから「お前らみたいな、中学生で代表に入っている選手のほとんどは消えるんだ」と脅してくれたおかげですね(笑)。

鈴木:間違いなくそうです(笑)。ずっと言われてビビってました。テクニカルスタッフの片桐央視さんとかも、「冬一、お前とやるのもこの遠征が最後になりそうだな。今までありがとう」とか言ってくるんですよ(笑)。あそこで甘やかされなくて本当によかったです。反骨心を育ててもらえたからこそ、ここに来られたと思います。

――鈴木選手の左サイドバックへのコンバートに関して、実は当時森山さんに対して批判的な意見もあったんですよ。「鈴木選手の将来を毀損している」という。ただ現実は逆でしたね。

鈴木:だから森山さんには「俺がアイツを左サイドバックへコンバートして開花させたんだぜ」と自慢してほしいですし、そうやって胸を張って言ってもらえるような選手になりたいです。僕がA代表に入ることで、「自慢の息子」みたいになれたらいいですね。欧州で成長して結果を残すことで、「鈴木冬一」が誰かにとっての誇りになれる、そういう選手になっていきたいと思っています。

<了>

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PROFILE
鈴木冬一(すずき・といち)
2000年5月30日、大阪府生まれ。スイス1部リーグのFCローザンヌ・スポルト所属。セレッソ大阪U-12、セレッソ大阪U-15、セレッソ大阪U-18とセレッソ大阪の下部組織に所属していたが、2017 FIFA U-17ワールドカップを機により厳しい環境への変化を望み2018年3月、高校3年生になるタイミングで長崎総合科学大学附属高校へ転入。2019シーズンより湘南ベルマーレに入団。2021シーズンよりFCローザンヌ・スポルトへ移籍。代表では、2015年のU-15日本代表の立ち上げからメンバー入りし、AFC U-16選手権2016に出場。2017年10月、2017 FIFA U-17ワールドカップのU-17日本代表に選出され、全試合出場し1得点を挙げ、チームのベスト16入りに貢献した。

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