原爆投下から10年後の俳句集 オペラ歌手が歌で伝える 原爆の惨状・悲しみ・怒りを17音に込めて

1955年8月6日―。被爆から10年後のこの日、1冊の本が出版されました。「句集 広島」。広島の原爆を詠んだ俳句集です。

アメリカの水爆実験で第五福竜丸が ”死の灰” を浴びた翌年、核兵器の禁止を求める運動が全国的なうねりを見せていたころ、句集は誕生しました。

作者は被爆者など一般の人たち。原爆の惨状や肉親を失った悲しみ・怒りが、17音に込められています。

「句集 広島」より
川炎ゆと 見しがびつしり 死者の顔 (広島・宮原双馨 作)
祈る掌は 拳となりて 原爆忌 (広島・須澤秀三 作)

この句集に曲をつけて、歌にする取り組みを始めたオペラ歌手がいます。

小暮沙優 さん
~ 蝉鳴くな 正信ちゃんを 思い出す ~(熊本・行徳功子 作)
「この句集『広島』を受け取って、向き合わないといけないと」

70年近い時を経て、句集は今、なぜ、彼女の元へ? 俳句を歌で伝えるオペラ歌手の思いとは―

東京在住のオペラ歌手・小暮沙優 さん。8月、広島市でコンサートを開くため、会場の下見に訪れました。

東京芸術大学の声楽科を卒業し、東京で活躍する小暮さん。重厚で表現力豊かな声を持つ、プロのオペラ歌手です。

コンサートで歌うのは、「句集 広島」に収められた原爆の俳句。小暮さん自ら1句1句に曲をつけて歌にしました。

小暮沙優 さん
~ 被爆の年 暮るる河底に 骨散らばり ~(広島・岡田正毅 作)
「歌い手として伝えることをなりわいとしてやってきたけれど、句集に込められた思いを伝えていかなくてはならないと思うようになりました」

被爆から10年後の句集 500冊発見 小暮さんの手元へ

被爆から10年後に広島の俳句団体が出版した「句集 広島」。戦後の復興が進む一方で、原爆の記憶がまだ生々しく残る時代。全国から1万を超える俳句が寄せられました。句集には、そのうち1500余りが収められています。

「句集 広島」より
流燈に 顔重ねあふ 孤児その兄 (広島・大堀千惠 作)
みどり児は 乳房を垂るる 血を吸へり (広島・西本昭人 作)

この句集が、あらためて注目される出来事がありました。当時、編集を担当した広島市の俳句関係者の自宅から500冊もの句集が新品の状態で見つかったのです。再び、多くの人に読んでほしいと考えた広島の俳句協会は、全国の関係者に句集を送りました。

広島俳句協会(夕凪俳句会・代表兼編集長) 水口佳子 さん
「(句集が)あることは知っていたけれども、書店にも売ってないし、古書店にもほとんどなくて。新しく見つかったということで若い人にもぜひ読んでもらいたい」

小暮さんも2022年から俳句を始めていました。所属する俳句団体の代表・島田牙城 さんは、広島から届いた句集を小暮さんにも渡しました。

小暮さんが所属する里俳句会(兵庫) 島田牙城 代表
「本当にぼくたちが被爆当時の現状を歩いているような、そんな錯覚すら起こさせるような句集です。例えばこの句集を読んで、絵を描く人もいるでしょう。彼女のように歌ってくれる人もいるでしょう。何らかの形でこの句集に残っている1句1句を後世に伝えていくのが、ぼくらの仕事なんだろうなと。手に取ってしまった者の―」

本から学んでいたヒロシマ。しかし、小暮さんは当初、「東京で生まれ育った自分には受け止めきれない」と感じたといいます。

小暮沙優 さん
「広島には子どものときから深い思いを抱いていたので、本当に自分が受け取っていいのだろうかとか、自分に受け取る資格があるのだろうかと本当に悩んで、(句集の)包みが届いてからもずっと開けられずにいました」

「東京で生まれ育った自分が…」初めて足を踏み入れた広島 93歳の被爆者との出会い

迷いを抱えながら2022年12月、初めて広島を訪れ、原爆資料館を見学しました。

そのとき、出会いもありました。

被爆者 伊達みえ子 さん(93)
「久しぶりです。またお会いできてうれしいです」

広島の俳句団体に所属する、93歳の被爆者・伊達みえ子 さん。初めて広島を訪れた小暮さんに自らの被爆体験を語りました。

被爆当時は16歳。救護所で瀕死の被爆者たちの手当をしました。今も忘れられないというその時の惨状、平和への願いを小暮さんに伝えました。

広島の俳句団体所属 被爆者 伊達みえ子 さん(93)
「全身、まだ生きているのにウジがわいて、口からも耳からも鼻からもウジがわき出してくる。小さなお子さんはね、泣く力もなくなっているんですけど、指でつまんでウジをとってあげた。そういうのを見たときに、戦争はいけないと思いました」

伊達さんが作った俳句も歌にしました。終戦の日に玉音放送を聞きながら見た光景です。

小暮沙優 さん
~ 蝉の穴 のぞけば被爆の 16歳 ~(伊達みえ子さん作)

オペラ歌手の自分にできるのは、歌で伝えること。

軍歌一色だった戦時中、伊達さんが好きだったと教えてくれた、思い出の歌「椰子の実」を贈りました。

「句集 広島」より
生きながら 腐りゆく身を 蛆に任す (千葉・釜我半夜月 作)

小暮さんは、「句集 広島」を歌にする取り組みを続けています。コンサートは8月3日。朗読も交えた一人芝居のような舞台を考えています。

オペラ歌手 小暮沙優さん
「わたしは直接、広島と関わりのない人間ですが、伝え続けていかなければならないということを、自らの使命に思っています」

被爆10年後に生まれた「句集 広島」に、ライフワークとして向き合っていくつもりです。

小暮さんの句集「広島」を歌う「朗読モノオペラ つなぐ」は、8月3日(木)午後6時半からJMSアステールプラザで開かれます。

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