ポチェッティーノ監督だけが本物で最高だった。デル・アリが明かす「彼が去って、24歳で引退しようかと思った」

トッテナム・ホットスパーやエヴァートン、ベシクタシュでプレーしてきた元イングランド代表MFデル・アリが、薬物中毒やうつ病を抱えていることを告白した。

若くしてイングランド代表の中心的な司令塔となった天才アタッカーであるが、ここ数年はなかなかピッチで結果を残せておらず、批判を受ける対象となっていた。

昨季はベシクタシュの練習を無断で欠席したとしてローン契約が打ち切りとなり、シーズン途中でエヴァートンへと送り返されるというトラブルもあった。

彼は今回「オーバーラップ」というプログラムでギャリー・ネヴィルによるインタビューで様々なことを告白。その中で、トッテナム・ホットスパーに加入したときに出会った恩師マウリシオ・ポチェッティーノ監督については以下のように話していた。

デル・アリ

「ポチェッティーノは最高の監督だった。当時彼以上の監督を求めることはできなかった。彼のスタッフも素晴らしい人々で、理解力があり、ただ選手と監督という関係ではなかった。もっと深いものを感じていた。

サッカーの前に、1人の人間として自分のことを気にかけてくれた。それこそ当時の自分が必要としていたものだし、若い選手にとっては重要なことだ。

新しい環境に行くときは怖いものだが、監督は僕に快適なプラットフォームを与えてくれた。できる限り最高の自分を表現するための舞台をね。

だからこそ、ポチェッティーノが去ったときは大変だった。彼は自分のキャリアのあの時期を大いに助けてくれた人物だったからね。

その後新しい監督が来ることになるわけだ。ただ、その時点で他の人物に対してオープンになることは、自分にとって難しいものだった。すべてが偽物であるように感じていた。

他の監督には偽りの話をしたが、それはおそらく僕のエゴによるものだ。

彼らは僕のことを個人的なレベルで知りたがってはいないと感じていたので、自分がすべてを捧げて全力を尽くすのは難しかったんだ。

最も悲しい瞬間は、ジョゼ・モウリーニョが監督だったときだ。彼が僕をプレーさせなくなった時だろう。

当時僕は最悪の状況になってしまった。24歳になった時、好きなことをするために引退してもいいだろうかと、鏡を見て自分に尋ねたのを覚えている。

そのような考えを抱く状況自体が悲痛なことだ。自分にとってとても傷つく事実で、背負わなければならないことだった」

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マウリシオ・ポチェッティーノ監督とは深い関係を作れたためにピッチ内でもパフォーマンスを発揮できたものの、その一方で後に出会った監督は「偽物」のように感じ、全力を尽くせなくなっていったという。

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