恋人に「テメェ、魚のことばっかりじゃねえかよ」とふられても 石垣の「魚クン」、釣り三昧590種

 【石垣】人見知りで内気な性格。友達は2人。大人数でにぎわう場所が苦手だという沖縄県石垣市の國吉義彦さん(31)が、自らを解放し、熱くなれることがある。釣りだ。「釣りは一人でできる」。もはや釣りなしで人生は語れない。修学旅行中に抜け出し釣りをして先生に雷を落とされた。「テメェ、魚のことばっかじゃねぇかよ」と恋人にふられたこともある。それでも釣りへの思いは増すばかりだ。狙っている魚が世界の海や川、沼、湖にいるから。これまで6カ国で590種を釣り上げた。いつしか付いた呼び名は「魚クン」。年内で600種到達を目指す。

 東京都東村山市出身。会社員で釣り好きの父に、3歳から渓流釣りに連れて行かれた。月に一度ほど、長野県や群馬県などに行きヤマメやイワナを釣った。自分でさおを握り始めたのは中学1年生の頃。週に2~3回、自宅近くの池でブラックバスや雷魚、ナマズを釣った。登校前に池に網を仕掛け、下校時にかかった獲物を水揚げした。夏休みは毎日釣りに明け暮れた。

 高校3年の修学旅行では自由時間に我慢できずに釣りに向かった。「先生、國吉君がまたさおを持って消えました」。女子生徒が告げ、ばれた。

 高校を卒業後、「魚を触りたくて」と料理人を目指した。埼玉県内の調理師専門学校に進んだ。すし屋でアルバイトをし、そのまま社員になった。石垣島を初めて訪れたのは21歳。「マングローブジャック(ゴマフエダイ)」と「大ウナギ」を釣りたくて、遠征と称して1人で向かった。目的の2種以外にも多くの魚を釣った。石垣島の魚の量と種類の多さに驚き「ここに住もう」と決心した。

 1週間の滞在期間中に釣り船を営む男性に出会った。のちに「師匠」となる運命の出会いだった。全財産50万円を頼りに石垣島に移住した。パイン農家やしゃぶしゃぶ屋で働きながら、3年ほど釣り三昧(ざんまい)の日々を過ごした。

 24歳、「旅をしよう」と思い立つ。ヒラマサを求め、ワーキングホリデーでニュージーランドに向かった。キウイ農家で汗を流しながら、8カ月の間に1メートル30センチ超、35キロの「満足できる大きさ」のヒラマサを捕った。その後も魚を追い求め、北海道や八丈島などに行った。釣りに夢中になりすぎて、彼女にふられた。

 南大東島にいた27歳の時、師匠から電話で「船買わないか」と持ちかけられ、即決した。約1トンで6人乗りの船を購入した。現在に至るまで漁師だけでなく遊漁船の船長として、石垣市北東部の船越漁港から客を乗せて、東シナ海や太平洋に繰り出している。

 魚との駆け引きだけでなく、目を見張る自然の光景も釣りをやめられない理由だ。「フナのようにボーッとできる」ことも魅力だという。590種の釣果の内、半数以上を石垣島で釣った。今、生きがいの釣りに理解を示してくれる交際相手にも巡り会えた。好きな食べ物は魚ではなくハヤシライス。石垣の「魚クン」は好きを仕事にした幸せをかみしめながら、日夜、大海原へ繰り出す。

(照屋大哲)

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