「若くしてビッグクラブを退団して成功」したスーパースター10名

サッカー選手としてのキャリアは紆余曲折あるもので、時にはビッグクラブを退団する決断が後々のためになるということも。

今回は『FourFourTwo』から「若くしてビッグクラブを離れたことが後々のキャリアのためになった」選手を特集しよう。

マルコ・ロイス

若くして退団したクラブ:ボルシア・ドルトムント

国籍:ドイツ

ドルトムントのユースでプレーしたロイス。2006年に痩せすぎているとして退団しなければならなくなったが、ロット・ヴァイス・アーレンに移籍してプロデビューし、ボルシアMGで評価を高め、2011年には古巣ドルトムントに高値で買われている。

クラース・ヤン・フンテラール

若くして退団したクラブ:PSVアイントホーフェン

国籍:オランダ

アヤックスで世界的ストライカーに成長したフンテラールであるが、実はPSVアイントホーフェン出身だ。デ・フラーフスハップとAGOVVに貸し出されたあと、レギュラーポジションを求めてヘーレンフェーンへ移籍し、その2年後にはアヤックスへと移籍している。

フアン・マタ

若くして退団したクラブ:レアル・マドリー

国籍:スペイン

フアン・マタといえばバレンシアのイメージが強く、それからチェルシー、マンチェスター・ユナイテッドで活躍を見せたことで有名だ。スペイン代表でもプレーした名司令塔である。

ただ彼は2006年にレアル・マドリーのBチームにあたるカスティージャでデビューした選手であり、下部リーグでの活躍が認められてバレンシアへと引き抜かれたという経験を持っている。

サミュエル・エトー

若くして退団したクラブ:レアル・マドリー

国籍:カメルーン

バルセロナでリーガ優勝を3回、チャンピオンズリーグ優勝を2回経験した名ストライカー。彼は元々少年時代にレアル・マドリーへと加入したところからキャリアを始めている。

ただリーガでは3試合しかプレーできず、その後レガネス、エスパニョール、マジョルカに貸し出されて退団。そして後にバルセロナへと引き抜かれ、フランク・ライカールトとジョゼップ・グアルディオラの下で中心選手になった。

ポール・ポグバ

若くして退団したクラブ:マンチェスター・ユナイテッド

国籍:フランス

マンチェスター・ユナイテッドの下部組織で天才と評価されていたポグバであるが、当時のクラブでは彼を起用するポジションがなかった。そのため彼はトップチームでのチャンスを求めて契約更新を拒否し、ユヴェントスへとフリーで移籍した。

そしてイタリアで4シーズンを過ごし、世界トップクラスのセントラルMFとして評価を高めたあと、2016年にとんでもない移籍金で再獲得された。残念ながら彼のキャリアにとってもマンチェスター・ユナイテッドにとっても良くない未来が待っていたが…。

セスク・ファブレガス

若くして退団したクラブ:バルセロナ

国籍:スペイン

バルセロナ生まれのセスク・ファブレガス。2003年に15歳でアーセナルの下部組織に移籍するという当時珍しい手法をとったが、これは大成功だった。16歳でプレミアリーグにデビューし、すぐにパトリック・ヴィエラの後継者としてレギュラーを奪取。選手として華々しいスタートを切った。

2011年にバルセロナへと復帰するチャンスに飛びついたあとには苦しい時間を過ごしたが、後にチェルシーと契約してプレミアリーグに復帰し、再びイングランドで活躍を見せた。

セルジュ・ニャブリ

若くして退団したクラブ:アーセナル

国籍:ドイツ

シュトゥットガルト生まれのニャブリは16歳でアーセナルの下部組織に加入。天才的なアタッカーだと評価されトップチームでのキャリアも有望視されていたが、WBAへのローン移籍で失敗したことがその道を狂わせてしまった。

そしてアーセナルに戻った彼はイングランドを離れることを希望し、ドイツへ移籍。ホッフェンハイムとヴェルダー・ブレーメンを経てバイエルン・ミュンヘンにたどり着き、ようやく世界最高の舞台へと上り詰めた。

アルバロ・モラタ

若くして退団したクラブ:レアル・マドリー

国籍:スペイン

レアル・マドリーの下部組織で育ち、Bチームでも目覚ましい結果を残したモラタ。しかしトップチームでのチャンスが限られていたこともあり、2014年にユヴェントスへと移籍することになった。

イタリアで彼はその才能を開花させ、2016年にレアル・マドリーは買い戻し条項を活性化。そして復帰したモラタはスーパーサブとして活躍を見せ、高い額でチェルシーに買われていった。

アドリアン・ラビオ

若くして退団したクラブ:マンチェスター・シティ

国籍:フランス

カルロ・アンチェロッティ監督に見込まれて10代でパリ・サンジェルマンのレギュラーとなったアドリアン・ラビオ。エレガントな長身MFは若くしてフランス・リーグアン屈指の選手として評価されることになった。

しかし彼は2008年にマンチェスター・シティでプレーしていた経験がある。わずか半年間の所属であったが、母親の証言によれば「息子は虐待されていた」とのことで、フランスに戻った選択はとてもいいものだったという。

ジェラール・ピケ

若くして退団したクラブ:マンチェスター・ユナイテッド

国籍:スペイン

バルセロナの下部組織で育ったピケは若くしてマンチェスター・ユナイテッドへと引き抜かれた。ただリオ・ファーディナンドとネマニャ・ヴィディッチという強大な2名のセンターバックがいたために、ピケには多くのチャンスが与えられなかった。

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そして2008年にバルセロナへと戻ることを決めたピケは、復帰後すぐさま最終ラインの重要な選手としての立場を確固たるものに。それから長くチームを支え、手にできるすべてのタイトルを獲得することに成功した。

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