今月プレシーズンツアーのために日本を訪れるインテル。イタリア・セリエAで唯一2部に降格したことがない歴史あるチームとして有名だ。
今回は『bleacherreport』から、そのインテルの歴史上最も素晴らしかったベスト10選手をランキング形式でご紹介する。もちろん各メディアでそれぞれ大きく違ったセレクトになるわけで、それは他の機会に…。
10位:ローター・マテウス
インテル所属:1988~1992
国籍:ドイツ
サッカーの歴史上最も偉大な選手の一人であるドイツの闘将ローター・マテウス。ワールドカップで5大会に出場した数少ない選手の一人であり、フィールドプレーヤーに限れば他にはクリスティアーノ・ロナウドとリオネル・メッシだけだ。
インテル時代にはセントラルミッドフィルダーとして主にプレーし、セリエA通算115試合に出場して40ゴールを記録。攻守に渡って絶大な存在感を見せた。
9位:レナルト・スコグルンド
インテル所属:1950~1959
国籍:スウェーデン
スウェーデンの歴史上最も偉大な選手の一人であり、「ナッカ」の愛称を持っていた伝説的レフトウインガー。驚くべきほどのボールタッチを備えており、スキルフルな突破から多くのチャンスを作り出した。
ヨーロッパの選手でありながらブラジルの名門サンパウロからオファーを受けたこともあるそうだが、1950年にインテルへと加入して1959年までプレー、241試合に出場して55ゴールを決めた。
8位:アルマンド・ピッキ
インテル所属:1960~1967
国籍:イタリア
伝説的なセンターバックであり、そしてキャプテンでもあったアルマンド・ピッキ。SPALから加入した際にはサイドバックであったが、後にリベロとして才能を開花させ、ブルーノ・ボルキ退団後は主将として「グランデ・インテル」を支えた。
素早く多彩で粘り強いディフェンダーとして知られた彼は指導者としても期待されていたが、引退後すぐに若年性がんのために入院。ユヴェントスの監督を辞して治療を受けるも、その甲斐なく35歳という若さでこの世を去っている。
7位:マリオ・コルソ
インテル所属:1957~1973
国籍:イタリア
そのキャリアのほとんどをインテルに捧げた伝説的なウインガー。豊かなテクニックに正確なクロスボールとフリーキックを持っていたため、「神の左足」という愛称も持っていた。
インテルで436試合に出場して78ゴールを記録し、4回のリーグタイトルを獲得。引退後にはインテルのプリマヴェーラやトップチームで監督も務めた。
6位:ジュゼッペ・ベルゴミ
インテル所属:1981~1999
国籍:イタリア
ハビエル・サネッティに更新されるまで、インテルでの758試合出場という数字は最多記録であった。1982年に18歳でワールドカップに出場し、優勝を経験している。
サイドでのマンツーマンを得意としたディフェンダーとしてデビューし、その後スイーパーに転向。キャプテンとして1999年に引退するまでインテルの魂を支える存在となった。
5位:サンドロ・マッツォーラ
インテル所属:1960~1977
国籍:イタリア
スペルガの悲劇と言われる飛行機墜落事故で死去したトリノ伝説のFWヴァレンティーノ・マッツォーラの息子。父と比較されることを嫌った彼はインテルでそのキャリアのすべてを過ごし、「グランデ・インテル」の中心的存在になった。
インテルではリーグ優勝4回を果たし、イタリア代表でも70試合に出場して22ゴールを決めた。若い頃はストライカーとして、ベテランとなってからはゲームメイカーとしてゴール、アシストの両面で目覚ましい活躍を見せた。
4位:ルイス・スアレス
インテル所属:1961~1970
国籍:スペイン
スペインの歴史上最も優れた選手の一人とも言われているルイス・スアレス。バルセロナから1961年にインテルへとやってきて、そのエレガントなゲームメイクによってチームにクリエイティビティを加えた。
1960年にバロンドールを獲得していた彼はインテルで256試合に出場して42ゴールを奪取。「グランデ・インテル」のレギュラーとして活躍し、セリエAでハットトリックを達成した初のスペイン人にもなった(後にスソが達成)。先日惜しまれながら死去している。
3位:ジャシント・ファッケッティ
インテル所属:1960~1978
国籍:イタリア
ジャシント・ファッケッティはまさに純粋なスター選手であった。1960年代から70年代にかけてインテルとイタリア代表の左サイドを一手に担い、隙のないディフェンスとオーバーラップによって試合を支配した。
インテルでは通算629試合に出場し、その中でわずか1枚しかレッドカードを受けることがなかった。引退後もクラブに残り、2006年に膵臓がんのために亡くなるまで多くの役割を果たした。
2位:ロナウド
インテル所属:1997~2002
国籍:ブラジル
度重なる怪我さえなければ、彼のインテルでのキャリアはもっと素晴らしいものになっていたはずだ。もしかしたらクリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシを凌駕していたかもしれない。
インテルでは99試合に出場して59ゴールであったが、その5年間の半分近くは重大な膝の負傷によって妨げられた。それであるにもかかわらず当時世界最高の選手として評価されていた。まさに夢のスターであった。
1位:ジュゼッペ・メアッツァ
インテル所属:1927~1940
国籍:イタリア
現在インテルが使用しているスタジアムにその名前が冠されているジュゼッペ・メアッツァこそ、このクラブ最大のレジェンドと言える。348試合に出場して245ゴールを決めた伝説的なストライカーだ。
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イタリア代表でも1934年と1938年のワールドカップで優勝を果たしたチームの一員として活躍し、キャプテンとして絶対的な存在感を見せていた。