福井空襲からの復興祝った「花電車」福井鉄道が情報求める モハ60形に豪華装飾、1947年の写真現存

福井市復興記念祭に合わせて披露された「花電車」。1947年開催時とみられ、車体側面に「祝復興祭」と書かれている(福井鉄道提供)

 1945年7月19日の福井空襲からの復興を記念し、福井鉄道(本社福井県越前市)が47年に披露した「花電車」の写真が同社に残されている。当時運行していたモハ60形の車両を造花などで豪華に装飾し、焼け野原からの復興を象徴していた。空襲や福井地震(48年)の時期の路面電車に関する資料や写真は少なく、同社は提供を広く呼びかけている。

⇒福井城址に崩れた石垣現存、1948年6月28日の激震伝える

 福井空襲は、米軍のB29爆撃機127機が19日午後11時24分から81分間にわたり多数の焼夷弾を投下。福井市街地は焼け野原となり、死者は1684人(うち108人は重傷後に死亡)に上ったとされる。

 福井市は翌46年、犠牲者の冥福を祈り、復興に向けた市民の努力に報いるため、7月19日を復興記念日とし、市復興記念祭として多数の行事を催した。47年の第2回記念祭は7月15~24日の10日間にわたり、野球大会や美術展、盆踊り、子どもみこし、水泳、花火大会、演劇など約50種の行事を実施したという。

 福井鉄道は47年の復興記念祭に合わせ、福武線の軌道区間を走っていたモハ60形の車両に「祝復興祭」と掲示し、造花をふんだんにちりばめ、花電車として走らせた。当時の福井新聞には「福武電車はこの日(7月17日)夕刻から市街に豪華な花電車を走らせ街の人気を呼んでいた」とある。

 花電車の写真は、2019年に同社元常務の遺族から寄贈されたアルバムに3枚あった。同社鉄道営業部の白崎正臣さん(47)は「たくさんの電球が装飾された“イルミネーション電車”の先駆けのような存在だったのでは」と話す。

 48年の第3回記念祭は、直前の6月28日に福井地震が発生し中止となった。モハ60形の4両(モハ61~64)も被災し、うち1両(モハ61)は車体焼失から復活し、新たな車体で再度運行を果たした。「震災電車」として知られ、現在は福井市下馬中央公園に展示されている。

 白崎さんは「モハ60形は4台とも空襲と大地震を乗り越え、壮絶な福井の歴史を背負ってきた。空襲後にこんなに立派な花電車を走らせた当時の人たちのパワーも感じる。あまり知られていない復興記念祭も含め、広く伝えたい」と話す。

 今後モハ60形の資料を動画にまとめ、ユーチューブの福井鉄道公式チャンネルで紹介したい考え。資料提供の連絡は、同社鉄道営業部=電話0778-21-0706。

⇒【鉄道連載】乗り鉄・蜂谷のいつもリュックに時刻表

© 株式会社福井新聞社