韓国で「NO JAPAN」が再燃する可能性はあるのか 日本製品の不買運動から4年、「敵対国」の意識は減少、拭い切れない「繰り返し」のリスク

ソウルの日本大使館前で日本製品の不買を呼びかける韓国の高校生ら=2019年7月

 2023年4月初旬、若者たちが集うソウルの繁華街、弘大。韓国人の客でにぎわう日本風居酒屋で、会社員の洪一浩は、友人3人とアサヒビールで乾杯をした。「日本のビールを大っぴらに飲めず、買うこともできない雰囲気ではなくなり、解放された気持ちだ」
 洪が口にした「雰囲気」とは、2019年に韓国で巻き起こった日本製品不買運動を指す。同年7月、日本政府が半導体材料の対韓輸出規制を強化したことへの反発から不買運動や日本旅行のボイコットが広がり、日本産ビールの輸入額が前年同期比で9割以上減少するなど、日本企業に大きな打撃を与えた。
 それから4年あまり。日韓関係は改善に向かい、ソウルの街から不買運動の面影は姿を消した。日本へ向けられた厳しい視線は、もはや過去のものとなったのだろうか。それが再びわき起こる可能性はないのか。新型コロナウイルスの感染拡大による入国規制がなくなり、日本人観光客の姿が目立つようになったソウルの街を歩いた。(共同通信=佐藤大介、敬称略)

 ▽広まらなかった新たな「不買運動」の呼びかけ

 大きく変化したのが日本への人の流れだ。日本政府観光局のまとめによると、2023年2月に日本を訪れた韓国人は56万8600人で、全訪日客の3分の1を占めた。
 日本による植民地支配下の朝鮮半島で最大規模の抗日独立運動が起きた日で、祝日になっている3月1日も日本行きの航空便はほぼ満席となり、聯合ニュースは「不買運動が起きた19年とは対照的な雰囲気だ」と伝えている。
 近く東京へ遊びに行く予定という33歳の女性会社員は「日本の政治家が過去の歴史を軽視するような発言をすれば不愉快だが、だからといって自分の消費行動が制限されるのはおかしい」と語り、不買運動は「行き過ぎだった」と話した。
 韓国の世論調査会社が22年12月、19~59歳の男女千人を対象に行った調査では、「日本は敵対国家だと思う」との回答は36・1%で、20年12月より13・8ポイント減少した。「日本が嫌いでも日本への旅行はする」と答えた人は17・3ポイント増の45・5%で、「いくら安くても日本には旅行しない」とした26・8%を大きく上回っている。

ソウルのスーパーで陳列棚から下ろされた日本メーカーのビールやたばこ、食品など=2019年7月(聯合=共同)

 日韓関係改善の背景にあるのが、昨年5月に大統領に就任した尹錫悦が示している日本重視の姿勢だ。日韓間の懸案となっていた元徴用工問題について、今年3月に韓国政府としての解決策を発表し、約5年ぶりとなる日本での日韓首脳会談を実現させた。
 韓国メディアの世論調査では解決策への反対が6割を超え、野党や市民団体は尹への批判を強めている。こうした中、交流サイト(SNS)では再び不買運動が呼びかけられたが、ほとんど広がらなかった。
 日本での取材経験がある韓国のテレビ記者は「19年の不買運動は日本への反発から始まったが、今回は大統領の対日姿勢に批判が向けられ、質的に異なる」とした上で、「若者を中心に『政治と文化は別だ』と考える人が多くなり、不買運動のような政治行動は起きにくくなっているのではないか」と話す。

 ▽店舗の撤退を余儀なくなれた日本人の思いは

 一方、ソウルで韓国人の妻と子どもの3人で暮らす臼井雄也は、韓国世論の変化を複雑な思いで見つめている。
 2006年に渡韓し、日本語講師や日本風居酒屋の店長などを務め、16年9月にソウルで日本食の総菜専門店を開いた。調理は日本人女性が担い、本格的な味で人気を博し、全国配送も手がけて順調に売り上げを伸ばしていった。だが、不買運動の波が状況を一変させた。
 「韓国人は心の中で常に日本への対抗心を抱いており、それが時に高まることがあっても、自分の生活に影響は及ぶことはなかったが、19年は違っていた」。客足は一気に遠のき、売り上げは最盛期の半分以下になった。新型コロナウイルスの感染拡大もあって売り上げはさらに落ち込み、20年12月に閉店を余儀なくされた。
 不買運動の間、客から「あなたは日本人か」と聞かれ、そうだと答えると帰ってしまったこともあった。常連だった韓国人からは「周りの目があるので店に入りづらくなった」と打ち明けられたという。臼井は「悔しく、悲しい思いの連続だった」と振り返る。
 臼井は、不買運動の嵐が去った後も「再び韓国で店を開く考えはない」と言い切る。その理由を尋ねると、嘆息交じりにこう話した。「歴史問題など日韓間に火種は常にあり、対立をあおる政治勢力によって不買運動が再び起きるリスクが否めない」
 日韓経済協会の専務理事、内田敏明も、同様の懸念を拭い切れない。「韓国の政権が代わっても変化しない関係を築きたい。次世代の交流を拡大するのも有効な手段だと思う」。リスクを意識しながらの模索が続いている。

ソウルの日本大使館前にある、慰安婦問題を象徴する少女像。背後には「反日行動」の文字とスローガンが並ぶ=2023年3月30日

 ▽対日感情の「火薬」を爆発させないために民間交流の積み重ねを

 「不買運動」が起きた要因と、再び起こる可能性などについて、韓国・延世大の権聖主・客員教授に話を聞いた。
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 2019年に日本製品の不買運動が起きた背景には、韓国社会の内部的な要素と外部からの要素がある。若い世代を中心に弱まってきてはいるものの、韓国社会には日本への被害者意識があり、教育などを通して再生産されることで、対日感情という「火薬」を心の中に抱き続けている。
 歴史認識や領土問題といった外部要素によって火薬が加熱され、刺激的な発言やイベントなどが火花となって爆発に至った。衣料品店「ユニクロ」を展開する会社の幹部が、不買運動の影響を軽視する発言をするなどしたことも、火薬を爆破させる火花となった。
 不買運動は、日本が韓国向け半導体材料の輸出規制を強化したことが直接の原因だった。だが、そこからは韓国社会を理解する上で重要な「関係主義」というキーワードが浮かび上がる。個人主義や集団主義と違い、関係主義の社会では、周りからどう見られているかという評価軸で自分の個性を定義する傾向がある。そのため、流行がとても早く広まる。

ソウル市内にあるユニクロの店舗。不買運動ではユニクロも大きな影響を受けた=2023年3月

 韓国では、「親日」というレッテルが社会的に大きなマイナスとなる空気がある。保守も革新も、日本をかばうことは「親日」と見られることから、交流サイト(SNS)を中心に不買運動は一気に拡大した。当時の文在寅政権が「日本に負けない」とのスローガンで運動を後押しするという政治的な意図があったことも大きい。
 だが、不買運動によって、いったい誰が得をしたのかという疑問もわき上がった。苦労を味わうこととなった日本の商品を扱う店の経営者や従業員たちも多く、政治的目的で不買運動の旗を振っていた一部の人たちに利用されたと考える人も少なくないだろう。

ソウル市内でインタビューに答える韓国・延世大客員教授の権聖主氏=2023年4月

 そうした経験を通して、火薬の発火点がこれまでより高くなり、今後政治的な問題で加熱されることがあっても、すぐに爆発することはないかもしれない。しかし、火薬自体を韓国社会から取り除くことも難しい。そこで重要になってくるのが民間交流だ。
 日韓の政治レベルで問題が起きても、日本の世論は決して一枚岩ではないことが韓国で理解されれば、受け止め方は違ってくる。民間での日韓交流を積み重ねることで、両国関係は質的な変化を生み出していくだろう。
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 コン・ソンジュ 1979年釜山生まれ。延世大卒業後、東京大で博士号(国際政治)。延世大で日本企業駐在員を対象とした教育プログラム「Gateway to Korea」を行う。

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