「ベーコンみたいな木」アートに向き合い自由に発想。企業も注目する「対話型鑑賞」とは

「ベネッセハウスミュージアム」で開かれた「対話型鑑賞」の体験会で、作品について議論する参加者たち=5月、香川県直島町

 もっと自分の意見を分かりやすく伝えたい。もっと言葉の表現力を広げたい―。そんな悩みを抱えている人も多いのではないだろうか。思考力や表現力を磨く手法として、複数の人でアート作品と向き合い感想を共有する「対話型鑑賞」という手法が注目されている。他者の視点に気づくことでコミュニケーション能力の向上も期待できるらしい。もともとは教育向けもプログラムだったが、その効果に着目して社内研修に取り入れる企業も増えている。対話型鑑賞にどんな効果があるのか。気になる私は瀬戸内海に浮かぶ直島(香川県直島町)で、ベネッセホールディングスなどが開いている体験会に参加した。(共同通信=広川隆秀)

 ▽初めて会った6人と一緒に鑑賞
 直島は、面積約8平方キロメートルの小さな島。ベネッセグループの直島文化村や、福武財団などが運営する美術館・ギャラリーが集まる。

 5月中旬、私はベネッセハウスミュージアムを訪れ鑑賞会に加わった。ほかの参加者は6人。ほとんどの人が初めての参加で初対面だ。作品を前にぎこちなく自己紹介した後、直島文化村の職員で進行役の高田ゆうきさんが呼びかけた。「まずは2分間、じっくり観察してください。何を発見したか順番に話を聞きます」

 目の前にあるのは、流木を集めて直径約5メートルの円形に並べただけの作品。参加者はしゃがみ込んだり、じっと一点を見つめたりして、それぞれが真剣な表情で鑑賞している。私も写真を撮るのを中断し、作品の周りをぐるりと歩いた。

「ベネッセハウスミュージアム」で開かれた「対話型鑑賞」の体験会で、作品について議論する参加者たち=5月、香川県直島町

 2分後、沈黙を守っていた高田さんが次々に問いかける。「どう見えましたか」「なぜそう思ったのですか」。

 参加者は「よく見ると、木の色や素材に違いがある」「6年間この作品を見てきたけど、流木ではなさそうな木があることに気づいた」と思い思いの感想を伝える。
 こんな発言もあった。「ベーコンみたいな木がある。においを嗅いでみたい」

 同じ作品でも、人それぞれ異なる見方をしていることが分かった。何を言っても許される雰囲気のため、最初は緊張気味だった参加者の距離が縮まり、時間の許す限り鑑賞を楽しみ、議論を深めた。

 約1時間の体験会で見た作品はわずか二つ。高田さんはこう締めくくった。「単なる流木だと思って見ると、5秒で次の作品に移ってしまう人も多い。でも時間をかけると、見る角度や気候にも左右され、さまざまな発見があります」。参加者は納得した表情でうなずいた。

 初めて参加した中村貴浩さんは「育った環境によって作品の見え方が違うことを教わった。見過ごしがちなことでも内省して考える機会が今後は増えると思う」と満足そうだった。

 ▽もとは教育向けのプログラム
 対話型鑑賞は1980年代にニューヨーク近代美術館が子ども向けの教育プログラムとして開発した。基本的なルールはシンプルで次の通りだ。

 (1)思ったことを自由に話す(2)他人の意見を否定しない(3)作品を鑑賞する以外の情報は必要としない。

 専門家が作品の情報や解釈を一方的に伝えるのではなく、鑑賞者自身の受け止め方を尊重し、集団での対話を通して理解を深める。相手に自分の意図を分かってもらうためには論理的に話す力が必要で、コミュニケーション能力を養う効果が期待されている。

 特筆すべきは、誰もが対等な立場で学び合う点だろう。アートの解釈に正解はない。自由に意見を述べ合い、相手の発言に耳を傾ける。その結果、自分の思い込みに気づくこともある。こうした態度は、年齢も属性もばらばらな人々で構成する社会で、異なる価値観を受け入れ、無用な摩擦を避ける賢さに通じる。

ニューヨーク近代美術館=7月、米ニューヨーク

 ▽社会人向けの研修は10倍に増加
 もともと教育向けだった対話型鑑賞は、ビジネスシーンでも注目を集めるようになった。ベネッセホールディングスなどが2022年に実施した社会人向けプログラムの件数は26件と、前年に比べ約10倍に増えた。発想を広げたり、自身の考えを言語化して伝えたりする能力が、今のビジネスパーソンに欠かせないと考えられていることが背景にあるようだ。

 三菱地所はこれまで、社内研修として3回の対話型鑑賞を実施した。提案したのは社員の後藤瞳希さんだ。後藤さんは手応えをこう語る。「すぐに業務に生きるわけではないが、考え方の癖に気づくなど確実に良い効果はある」

 参加した社員も肯定的な反応を示した。「同僚とのコミュニケーションを見直すきっかけになった」「人の意見を聞くことで自分の感性を広げられた。自分の意見も主張していきたい」

 ▽試行錯誤で始まった新しい鑑賞スタイル
 福武財団などは李禹煥美術館(直島町)が開館した2010年から対話型鑑賞を取り入れている。主導したのは福武財団経営企画部の藤原綾乃さんだ。現代美術家の李禹煥氏の作品を扱うこの美術館は石や鉄板を置いた抽象的な展示が多く、作品を理解できなかった来館者から「お金を返してほしい」といったクレームもあった。

 美術に造詣が深くない人も作品と向き合ってもらうにはどうすればいいのか。藤原さんは知識にとらわれることなく、自由に見え方を議論する対話型鑑賞に着目した。

 ただ、当初は上司からの理解が得られなかったという。作品を解説する一般的なガイドツアーと異なり、対話型鑑賞は利用者に与える情報が少ない。参加者から料金を取るのは難しいとの指摘を受けた。

 それでも、対話型鑑賞に可能性を見いだしていた藤原さんは「なら無料でやる」と主張。美術館とホテルを一体化したベネッセハウスの宿泊者向けにトライアルを始めた。現在も李禹煥美術館では毎週土日に、無料で対話型鑑賞の体験会を開いている。多い時は約20人の参加者が集まる盛況ぶりだ。

「対話型鑑賞」の導入を主導した福武財団の藤原綾乃さん=5月、香川県直島町

 私は対話型鑑賞の面白さを体験する一方、「背景知識がない状態で作品を鑑賞し、好きに意見を言い合うことは作者の意図をねじ曲げないのか」という疑問も湧いた。

 藤原さんはこう言いきる。「鑑賞者が作品を見てその場でどう思うかは自由」。その上で、「正解を外に求めるのではなく、自身の考えを大切にしてほしい」

 交流サイト(SNS)の普及により、人は自分が知りたい情報にしか触れない傾向が強まっている。結果的に、考え方や信条の違いによる社会の分断が進んでいることが問題になっている。主体性を持ちつつ他者の意見も尊重する対話型鑑賞は、世代や立場の違いを乗り越えて社会を結び直す力があるかもしれないと感じた。

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