「父が母の奴隷に…」ありふれた日常が一転 母を殺害した父 娘が法廷で語った“家庭環境” 【前編】

「父が母の奴隷に…」一転した日常

ある日、娘の優香さん(仮名)と母・佳寿美さんの2人は、近所のディスカウントストアへ買い物に出掛けていた。取り立てて何かがあった訳ではないので、詳しい日時を記憶している訳でもない、そんなありふれた日常の1コマだった。
(前編・後編のうち前編)

だが、その日を境に、母の様子は大きく変わったという。

「父が、母の奴隷みたいになった」

佳寿美さんは「家事をしなくなった」。
そして父の宗武被告は「すぐに謝るようになった」。

法廷で証言台に立った娘・優香さんは、そう振り返った。

「妻を殺しました」

2022年8月22日、午後9時29分。警察に、1本の電話が入った。

「妻を殺しました。首を絞めて殺した」

殺人未遂の疑いで逮捕されたのは、被害者の夫・藤田宗武被告(54)(※当時、容疑者)。

現場は、愛媛県新居浜市内の自宅マンションの一室。約10分間、首をタオルで締め付けられた妻・佳寿美さん(当時57)は、意識不明の重体で救急搬送され、翌23日午前9時17分に死亡。

検察は宗武被告を殺人罪で起訴した。

裁判で認定された事実などを元に、事件と裁判を振り返る。

事件の発生から約10か月経った2023年6月5日。宗武被告の裁判員裁判の初公判が、松山地裁で開かれた。

傍聴席は、ほぼ満席。大学生だろうか、若い人たちの姿も見える。

法廷に現れた宗武被告は、上下とも灰色のスウェット姿、スリッパを履いている。逮捕直後には長く見えた白髪交じりの頭は、刈り上げたように短く整えられていた。

検察官が起訴状を読み上げた。

「殺意を持って妻の首をタオルで強く締め付け、急性窒息による心停止後脳症により死亡させ、殺害した」

その後、裁判長が問い掛ける。

「検察官が読み上げた起訴状に間違いは?」

宗武被告は、はっきりとした口調で答えた。

「ありません」

母親は「ちょっと過保護だった」

続く証人尋問。黒いスーツ姿で証言台に立ったのは、宗武被告の娘・優香さんだ。刑務官に挟まれて着席している宗武被告は、入廷する優香さんに視線を送っていたが、しばらくすると目を伏せた。

弁護士が、宗武被告の人柄を問う。

「口数は多くない、仕事には真面目な性格」

母・佳寿美さんについては。

「心配性で、ちょっと過保護だった。責任感が強く…。プライドが高く、完璧主義だった。ずっと面倒を見てくれる感じで」

妻・佳寿美さんと娘・優香さんの3人家族だった宗武被告。優香さんは、高知の大学に進学し一人暮らしをしていて、事件当時、医療業界への就職を目指す4年生だった。

臨床検査技師として、地元の総合病院で働いていた母・佳寿美さんは「医療業界にはコネがないと入りにくい」と考え、勤務先の院長に手紙を出すなどして、優香さんの就活を後押ししていた。

そして、家族関係について聞かれた優香さんは。

「昔は、旅行に行くなど仲が良かったと思う」 「家事は主に母がしていた」 「母に心臓の病気があることは知っていたが、精神的な病気については知らなかった。通院していることも知らなかったし、病名も知らなかった」

精神状態が不安定になった母・佳寿美さん「なにをやるのもしんどい」

不規則な生活などによるストレスから、不眠の症状を感じるようになり、2011年9月に病院を受診した母・佳寿美さんは、その後「うつ」「双極性障害」と診断された。精神状態に波があることから、2週間に1度は通院していたという。

証拠として提出された医師の診察記録には「仕事上のストレスでトラブルになる時がある」「不眠、焦燥(しょうそう)から大声を出したり、物を壊そうと思うことがある」などの症状が残されていた。

2015年には、飲酒量が増加。
「疲れやすいが仕事には行ける」「人間関係にストレス」「過食と嘔吐」などの症状を確認している。

そして、2018年の記録には、症状悪化を伺わせる内容が記載されていた。
「何をやるのもしんどい」「車で突っ込んだら楽になれるかと思った」

さらにこの時期、佳寿美さんの両親のガンが相次いで明らかとなっている。

2019年に優香さんが大学に進むと、佳寿美さんの看病と介護の負担が増したという。

2021年。
「死にたくなったり、朝から強い酒を飲んだりするようになった、止められない」と医師に訴える一方「夫に当たってしまうことがあるが、夫がいるから頑張る」とも話している。

7月、佳寿美さんの母親が闘病の末、死去。
9月の診察記録には「あまり眠れない。ついつい長々と酒を飲んでしまう」

事件の半年前、2022年2月の記録には「まずまず安定」。
翌3月には「良かったり悪かったり、すぐ腹が立つ」。

ここまでの診察記録には、宗武被告に向けられた直接的な不満は見当たらなかった。

一転した日常 そして「父が奴隷に…」

娘・優香さんに対する証人尋問は、弁護士のほか、検察官や裁判官、そして裁判員からも行われた。

事件に至るまでの経緯について質問が重ねられる。

「母が変化したきっかけは、近所のディスカウントストアに向かう車の中での出来事だと思う」

優香さんの体型や体重をめぐるささいな理由で口論となったと振り返る。

この日を境に、家事を放棄するようになるなど、母・佳寿美さんの振る舞いは、明らかに変化したという。

親子の口論は特別珍しくはなかったことから、何故この日の出来事が母を変化させたのかは、分からないという。

ただ、この時から、宗武被告は「奴隷みたいになった。すぐに謝るようになり、母が家のカネに主導権を握るようになった」

さらには、宗武被告に対する暴行や暴言が始まったと証言。髪を引っ張る様子を撮影した動画や、けがを撮影した写真などがLINEで送られてくるようになったという。包丁を持ち出すこともあった。

「死ねや」 「優香があんな風に育ったのはあんたのせいや」 「カネを払って家から出ていけ」

宗武被告は「ストレス解消に繋がれば」との思いから、我慢していたという。

夫婦が娘を訪ねると…

2022年8月10日、事件12日前。

宗武被告と妻・佳寿美さんは、よさこい祭りを見るために、娘・優香さんが暮らす高知を訪れた。

この時の母の様子について、優香さんは「楽しそうにしていた」と振り返る。

当時、優香さんは社会人の恋人がいた。
「転職を期に転居するという交際相手と同居したい」と両親に明かすと、母は「ふーん」とだけ答えたという。

ところが後日、宗武被告から優香さんに、交際相手に関するLINEが届いた。
「母さんがダメだと言っている」「(恋人の)金づるにされる」

その直後、佳寿美さんからも「家の中の写真を送れ」

「毎晩午後7時、自宅に電話すること」

8月19日。事件3日前。恋人を否定されたと感じ、半ば自暴自棄になった優香さんは、宗武被告に「もう死んでやる」とLINEを送信。

宗武被告は、話を聞くために優香さんの元に駆け付けた。

同じタイミングで、母からは「(こんなことは)もうやめにしませんか?」のメッセージが届いた。

翌20日。宗武被告と佳寿美さんは、優香さんと交際相手を自宅に呼んで話し合った。

優香さんは、この時の母・佳寿美さんの言動について「恋人を侮辱するものだった」と振り返る。

また、交際相手に対して「損害賠償を求める」「探偵を雇う」ことなどをほのめかした。

そして、優香さんには「恋人と会わないこと」「部屋に入れないこと」「毎晩7時、自宅に電話すること」を約束させた。

傍聴席から表情は伺えないものの、泣いているのだろうか、証言を続ける優香さんの耳は赤く染まり、声もどこか震えているような印象を受けた。

被告人席に腰掛ける宗武被告は、法廷の天井を見上げ、涙をこらえているようなしぐさを見せた。

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後編では、事件当日の父との会話や事件後の後悔など、娘・優香さんの法廷での証言の続きや一審の結末などを伝える。

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