小田原攻めの「一夜城」南曲輪、国史跡に追加 半世紀経て全域指定へ

新たに史跡指定された石垣山一夜城の南曲輪の石垣=小田原市早川

 国の文化審議会は21日、豊臣秀吉の小田原攻めの拠点となった「石垣山」について、新たに南曲輪(くるわ)などを国史跡の指定範囲に追加するよう文部科学相に答申した。短期間で築城されたことから「一夜城」の名で知られ、1959年の史跡指定から半世紀余りを経て城郭の主要部分が全て史跡範囲に加わることとなった。

 新たに史跡に加わったのは神奈川県小田原市所有の城郭(約4万8千平方メートル)のうち本城南側に位置する南曲輪と西曲輪を含む約5800平方メートル。南曲輪は城郭の出入り口にも当たり、当時は城防衛のため櫓(やぐら)台が置かれていた。

 一夜城は1590年、小田原城攻めの本陣として北条家の小田原城を見下ろす標高250メートルの丘陵に築城。3カ月の短期間で林の中に隠して建てられ、北条氏側には一夜で築城されたように見えたため「一夜城」と呼ばれるようになった。

 戦国期に土塁や空堀が主流だった東日本で初めて石垣で組まれた。自然の石を削らずそのまま積み上げる「野面(のづら)積み」と呼ばれる工法で積み上げられた高さ11メートルの石垣が、現在も良好な状態で残されている。

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