意外に多い?「どうせよりが戻る」と思いながら別れる人たちの“危険な関係性”とは

衝突や喧嘩を繰り返し、別れ話にまで発展してそのときは縁が切れるのに、しばらく経つと元恋人に復縁を迫ってしまうことを繰り返す恋愛。

相手も受け入れる気が当たり前にあって、「よりを戻すことが暗黙の了解」で別れることを選び続けるような関係は、素直さから遠ざかるため幸せな愛情は育ちません。

その結果、いつまでも傷つけ合っては復縁する依存関係が出来上がります。

今回は、不毛な関係を避けるための「別れ」との向き合い方について、ご紹介します。

「別れを繰り返す」そのワケは…

「別れる」は関係が終わることなのに

ある女性は、5年以上もひとりの男性と付き合ったり別れたりを繰り返していました。

「お互いに好きなときは誰も間に入れないくらいラブラブなのですが、たとえば私が自分の気に入らない態度を取ると彼が怒り出してすぐ喧嘩になり、そこから仲直りすることなくすぐ『もう終わろうか』となります。

そのときはいったん別れるのですが、3ヶ月とか半年とか経つと私のほうが彼を思い出して連絡を取り、会えばすぐ復縁という流れです。

彼は私が追ってくるのをわかっていて『別れよう』と言うのはわかっているのですが、愛情を試されているようでつらいし、何回よりを戻しても最後はいつも別れるし、もうこんな関係をやめたいです」

そう言って、女性は「これが腐れ縁というのでしょうか」とうなだれました。

腐れ縁と呼ばれるものは確かにあると筆者も感じますが、それは双方の意思によらず接触が復活するようなケースを指すのであって、みずから復縁を求めて彼にLINEでメッセージを送ったり電話をしたりするのは、執着ではないかと思います。

お互いに別れを決めて離れるのに、時間が経てば当たり前のようによりを戻すようなつながりは、そもそも「終わる」ことをふたりが受け入れていません。

別れ話はそのときの喧嘩の始末でしかなく、仲直りして問題を解決していく姿勢を双方が持っていないのであれば、何度よりを戻しても同じことを繰り返します。

別れるとは関係を終えること、復縁が前提ではなく「それぞれが違う道を歩きだす」選択です。

いずれよりを戻すだろう、片方が復縁を持ちかけるだろうとあらかじめわかっている状態で別れを決めるのは、相手が持つ自分への恋愛感情に依存しているといえます。

衝突や喧嘩の末に仲直りではなく終わることを選ぶのは、正面からお互いの本心や本音を知ることを避けたいからで、避ける理由には「関係に責任を持ちたくない」「責められる側になりたくない」という弱さがあるのではと感じます。

「復縁が前提の別れ」は執着ばかりが育つ

上記のケースでは、女性は自分が男性に依存していることを自覚していませんでした。

「別れるって、相手の気持ちや状態に依存していればできないのではないですか?」と女性は尋ねますが、「復縁が前提だと想像できる、ここで別れても次に自分が連絡をすればこの人は受け入れてくれる、とわかっていて別れを選ぶのは依存だと感じます」と答えると考え込みました。

依存状態とは、自分が向ける気持ちのベースに相手からの関心があり、「それがあるから好きだし、ないのであれば好きじゃない」と相手の在り方に左右される自分を当たり前にすることです。

本当に男性と縁を切りたいとは思っていないから別れた数カ月後に自分から連絡をしているわけで、そこには「受け入れてもらえる」という安心感がどこかにあります。

それがなければ、復縁が叶う想像できなければ、別れを全力で否定して恋人関係を続けられるよう問題の解決と向き合うはず。

別れることは関係を終えること、だから終わりたくないと思えば仲直りのために自分を変える努力をし、お互いの在り方を見つめ直す力を持てます。

それを避けても関係がふたたび成立するのが依存状態にあるふたりですが、自分の気持ちを素直に伝える勇気がなく、また相手のありのままの姿を受け取る力もないため、我慢したりひねくれたりが続き結局はまた衝突します。

相手が素直にならない姿を見れば自分も正直に本心を口にするなんてできるはずがなく、相手にも関係にもあたたかい愛着を感じることができず、最終的に迎えるのはまた「復縁が前提の別れ」です。

好きなのにうまくいかなかった自分ばかり残ると、それを相手のせいにして何とかしてほしくなり、愛情をねだります。

よりを戻すとわかっていて別れるような状態では、「この人が好き」という自信ではなく「この人に何とかしてもらわなければ」という執着ばかりが育ちます。

肝心なのは、「自分は」どう在りたいか

依存状態の悪い面は、まず自分自身が相手に向ける感情をまっすぐ知る機会がないため、相手の状態によって気持ちや在り方を決めてしまうことです。

相手は自分とは違う人間であり、抱える感情や本音もまた自分とは別なのだ、と思えば、「自分の気持ちは自分で決めるのが当たり前」だと気が付きます。

相手に自分の状態を「決めてもらう」ような依存では、しかも互いにそうならば、常に相手から向けられる関心にばかり意識が向くため関係は不安定になり、ささいな衝突でも「まだ好かれているかどうか」が前に出ます。

問題を解決して仲直りし、「これからは」と前向きな提案をしながら関係に愛着を持って向き合うのが健全な恋愛だと筆者は思っていますが、その役割を互いに押し付けていれば、心を開いて愛情を伝え合うような幸せな時間は訪れません。

肝心なのは「相手はどうなのか」ではなく「自分はどう在りたいか」で、気持ちを同一に置くのではなく離して見る、まず自分自身は心が安定するのはどんな状態なのかを自覚することで、不毛な執着を避けられます。

依存状態にあると、「相手の意思に沿わない自分は愛されないのでは」という不安が強く、ありのままでいることを恐れますが、その結果つらい別れを繰り返すような自分が幸せだと言えるでしょうか。

交際できる人がいる、両思いの相手がいるのは紛れもない幸運であり奇跡です。

だからこそその愛情にしがみついて「愛される自分」でいたい気持ちは誰にでもありますが、何か起こるたびに別れを持ち出して何の改善もなく終わってしまうようなふたりでは、その「愛される自分」すら本当は手に入っていないといえます。

自分の気持ちをまっすぐに知り、「どう在りたいのか」を掴むのが自分を愛する姿勢です。

別れを選ぶときは責任を持つ

上記の女性は、男性と自分の在り方を客観的に見て「もたれあっている」と気がついたそうです。

それこそ依存の正体であり、お互いに相手の意思に関係を任せている状態だから別れては復縁するようなおかしな付き合い方を繰り返しているのですね。

「そもそも、自分は彼のことが本当に好きなのか」。女性がたどり着いた疑問はここで、「自分への関わり方以外で彼に愛情を感じるところ」を改めて考えている最中だと言いました。

相手の本当の姿を見て好きなのではなく、自分に関わってくれるから好きだった、というのは依存状態の人にはよくあります。

そうではなく、その人をひとりの人間として見たときに確実に愛情を感じるか、「この人が好きな自分が好き」と胸を張って言えるかどうか、これが境界線です。

相手の状態に左右されずに自分の在り方を決めるのが健全な心を育てるのであって、別れを選ぶときはその自分にもしっかりと責任を持つ姿勢が、相手を尊重することにもなると筆者は考えます。

復縁を前提にするのではなく「終わる」のが別れ、ならばこそその選択は自分の「こう在りたい」に沿っているのかどうか、考えるエネルギーを持ちたいですね。

恋人への不毛な執着に苦しむ人は多いですが、そんな自分をやめられないのは本来自分はどう在りたいのかをきちんと掴んでいないから。

相手の状態を先に知って自分の気持ちを決めるのではなく、関係はみずからが能動的に大切にしようとする姿勢が、あたたかい愛情を育てます。

相手と自分を離して見る意識を持ち、まず自分自身の状態についてしっかりと考えましょう。

(mimot.(ミモット)/ 弘田 香)

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