阪神の近本、村上選手らもプレー 歴史重ねる「小学生の甲子園」 35回目迎える「神明あかふじ米兵庫県ジュニア軟式野球」、8月5日開幕 

2009年に4強入りした賀集少年野球クラブの村上頌樹選手=三木市志染町三津田

 軟式少年野球の兵庫県内ナンバーワンチームを決める「神明あかふじ米兵庫県ジュニア軟式野球選手権大会」は8月5日、神戸市須磨区のG7スタジアム神戸などで開幕する。今年で35回目(2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止)を迎える大会。出場者からは多くの甲子園球児やプロ選手らが巣立つなど、兵庫野球界のレベルアップに貢献してきた。昭和から平成を経て、令和へと続く歴史を振り返った。

 大会は「平成」を迎える直前の1988(昭和63)年、神戸新聞創刊90周年を記念して創設された。小学生の交流、心身の健全な育成を目的に、神戸新聞社と県軟式野球連盟などが主催し、大会名は協賛社で米穀卸最大手の神明(現神明ホールディングス=同市中央区)の商品名にちなんだ。

 第1回の県大会は県内9地区12ブロックの地区予選を勝ち抜いた20チームが出場し、トーナメント形式で熱戦を展開。グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸=同市須磨区)で行われた決勝はサンテレビで放映され、花田山彦との姫路地区対決を制した香寺クラブジュニアが初代王者に就いた。

 過去の優勝回数を9地区別に見ると、3度の優勝歴を誇る飾磨野球クラブなどが所属する姫路地区が最多7度を数え、阪神地区=6度▽神戸、東播地区=5度▽北播地区=4度▽淡路地区=3度▽西播、但馬地区=2度-と続く。

 これまでに連覇を達成したチームはなく、姫路勢も第23回大会(2010年)の香寺クラブジュニアを最後に栄冠から遠ざかっており、近年は群雄割拠の様相を呈している。一方、過去に5度決勝に駒を進めた摂丹地区(三田市、丹波篠山市、丹波市)の代表は、あと一歩のところで頂点に届いていない。

 今春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で「侍ジャパン」が金メダルを獲得した際には、日本中が熱狂するなど野球人気は健在。だが、少子化やスポーツの多様化などの影響で、軟式少年野球のチーム数は減少の一途をたどっている。県軟式野球連盟の阪本正博副理事長(75)=西宮野球協会理事長=は「郡部を中心にどんどんチームが減り、連合チームも増えている」と現状を明かす。

 侍の一員として世界一を達成した巨人の守護神・大勢(翁田大勢)選手はかつて、八千代少年野球クラブの主将として県大会出場を目指した経験がある。県軟式野球連盟の森本幸伸常任理事(71)=神戸軟式野球協会理事長=は「鳴り物を使った応援で家族も一緒に盛り上がれる。頑張ればプロが使う球場でプレーできて、テレビ放映もある。小学生にとってはまさに『甲子園』で、特別な大会」と話している。 (大原篤也)

■大会の精鋭、プロで脚光

 今年で35回を数える軟式少年野球の「神明あかふじ米兵庫県ジュニア軟式野球選手権大会」(8月5日開幕・ほっともっとフィールド神戸ほか)。大会を盛り上げた精鋭たちからは、高校や大学、社会人、そしてプロで脚光を浴びるプレーヤーが相次いで誕生した。

 1989年の第2回大会では牛谷(東播)の鶴岡一成主将が大活躍した。全5試合で4番に座り、打率5割5分1厘、3本塁打、6打点。エースとしても計32回を投げ8失点と投打に奮闘し、同年に創設された最優秀選手賞(MVP)を獲得した。

 高砂市立鹿島中学校では捕手、主将として全国制覇を達成した。神港学園高でも主将を担い、選抜高校野球大会でベスト8進出に貢献。高卒でプロ入り後は横浜・DeNAや巨人、阪神で21年間現役を続け、46歳でDeNAの2軍バッテリーコーチを務める現在まで一度もユニホームを脱いでいない。

 96年の第9回大会で初優勝した桜台ハンターズ(阪神)のエースでMVPに輝いた尾崎匡哉選手は、報徳高の遊撃手として2002年春の選抜高校野球大会優勝に貢献し、ドラフト1巡目で日本ハム入り。03年の第16回大会でベスト8に進出した養父カープ(但馬)は、主戦で2学年上の兄、剣志郎選手とバッテリーを組んだ坂本誠志郎選手(現阪神)が中心選手として活躍した。

 05年の第18回大会では、エースで主将を務める原樹理選手(現ヤクルト)が引っ張るTAKASHO(東播)、当時小学5年だった近本光司選手(現阪神)を擁する仮屋クラブ(淡路)が8強入り。09年の第22回大会は村上頌樹選手(現阪神)の賀集少年野球クラブ(淡路)がベスト4進出を果たした。 (大原篤也)

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