引退後に「意外な普通の仕事」に就いた名選手たち。画家、俳優、警察官…

サッカー選手のセカンドキャリアと言えば解説者や指導者が有名だが、もちろんそのような仕事を続けられるのは一握りだ。

今回は『Planet Football』から「意外な普通の仕事でセカンドキャリアを過ごしたイングランドのサッカー選手」をご紹介する。

サイモン・ガーナー

所属したクラブ:ブラックバーン、WBA、ウィコム・ワンダラーズなど

キャリア成績:603試合193ゴール

引退後の仕事:住宅塗装業

1978年にブラックバーンでデビューし、それからなんと2000年まで長く現役を続けたガーナー。そのブラックバーンでは今も最多得点記録保持者であり、晩年になってもアマチュアのノンリーグで40歳までプレーし続けた。

引退した後はしばらく住宅ローンの営業マンや郵便配達員として働いたが、最終的には住宅を塗装したり装飾したりする職人としてセカンドキャリアを固めた。

スチュアート・リプリー

所属したクラブ:ミドルスブラ、ブラックバーン、サウサンプトンなど

キャリア成績:510試合43ゴール

引退後の仕事:弁護士

90年代にイングランド代表にも選ばれた名ウインガー。1985年にミドルズブラの下部組織から昇格して活躍し、1992年からはブラックバーンへ移籍。プレミアリーグで6年戦った後、サウサンプトンへ移って2002年に現役引退している。

そのキャリアを終えた後はキャッスルフォード理学療法学校で学び、フィジオセラピストとして地元のクラブで働く。さらに2010年には弁護士の資格を取得し、現在はイングランドサッカー協会の司法委員会に入っている。

ジム・ホイットリー

所属したクラブ:マンチェスター・シティ、ノリッジ、レクサムなど

キャリア成績:208試合2ゴール

引退後の仕事:ミュージカル俳優

ザンビア人の母と北アイルランド人の父を持ち、マンチェスター・シティの下部組織で育った選手。2001年まではローン生活で数々のクラブに貸し出される状況だったが、その後レクサムへと移籍して活躍した。

彼はユース時代からマンチェスターのロレート大学でスポーツと芸術を学んでおり、引退後はミュージカル俳優としてデビュー。さらに画家としても活動している。また、現在は友人のロビー・サヴェージの誘いでマックルズフィールド・タウンでユース年代の指導者としても従事。

なお、弟のジェフ・ホイットリーもマンチェスター・シティの元選手で、アルコール中毒と薬物依存を克服した後に中古車ディーラーとして活躍した後、イングランドの選手組合で働いている。

デイヴィッド・ヒリアー

所属したクラブ:アーセナル、ポーツマスなど

キャリア成績:260試合7ゴール

引退後の仕事:消防士

アーセナルで1988年から1996年までプレーしたMF。技術的には高くなかったものの、スタミナを生かした労働者としてピッチ上の火消し役として活躍した。

大麻を摂取した事件や空港での窃盗事件で逮捕されたこともあり、ヴェンゲル監督の就任とともにチームでの立場を失い退団。2003年に現役引退したあとは消防士として働き、後に指導者に転身した。

ネイザン・ダラリア

所属したクラブ:マンチェスター・シティなど

キャリア成績:42試合1ゴール

引退後の仕事:教師、審判

マンチェスター・シティのユースでマイカー・リチャーズらとともにプレーし、トップチームに引き上げられたセンターバック。怪我や心臓の問題のためにあまりプロサッカー選手としてのキャリアは長くなかった。

2009年にセミプロのハイドでプレーしながらマンチェスター大学で学び、教師に転身。ブラッドフォードの中学校で数学を教えた後、現在は出身地のマンチェスターに戻って高校で教鞭をとっているとのこと。また、それと同時に審判としても活動しているとか。

アルヤン・デ・ゼーウ

所属したクラブ:ウィガン・アスレティック、ポーツマス、コヴェントリーなど

キャリア成績:557試合23ゴール

引退後の仕事:警察官

イングランドでも長く活躍したオランダ人センターバック。特にバーンズリーやウィガン・アスレティック、ポーツマスでプレーした印象が強い選手だ。2004年にはエル・ハジ・ディウフに唾を吐きかけられても全く報復をせず、しかもそのあと決勝ゴールを決めるというドラマを生み出した。

元々オランダでプレーしていたときに医学の学位を取得するなどインテリとして知られた選手で、引退後は警察官として就職。法医学を専門とする捜査チームの一人となっている。

レイ・ウィルソン

所属したクラブ:ハダーズフィールド・タウン、エヴァートンなど

キャリア成績:406試合6ゴール

1966年のワールドカップでイングランド代表の左サイドバックを務めたレイ・ウィルソン。Aマッチ63試合に出場した名選手であるが、もともとハダーズフィールド・タウンでデビューしたときも見習い鉄道員や配送員として働きながらプレーしていたという。

1971年に現役を引退した後はハダーズフィールドで葬儀屋としてビジネスをスタート。1997年に仕事を引退するまで経営面で成功を収めたという。2004年にアルツハイマー病と診断されてからは闘病生活を送り、2018年に死去している。

ジュリアン・ディックス

所属したクラブ:ウェストハム・ユナイテッド、リヴァプール、バーミンガム・シティなど

キャリア成績:379試合55ゴール

引退後の仕事:羊飼い

バーミンガム・シティでデビューした後、ウェストハム・ユナイテッドやリヴァプールでプレーしたDF。イングランドのB代表にも選出されたが、「ターミネーター」と呼ばれるほどの殺人タックラーであり、規律違反も多かったという問題児だった。

膝の負傷によって20代で現役を引退した後はコルチェスターで羊飼いや犬の施設を経営したという。またパブの経営も行っていたり、プロゴルファーへの転身を試みたこともあるそうだ。2009年からはサッカー界に復帰して指導者業。

クラス・インゲソン

所属したクラブ:メヒェレン、PSVアイントホーフェン、ボローニャなど

キャリア成績:371試合56ゴール

引退後の仕事:木こり

スウェーデン代表として57試合に出場した大型MF。190cmの身長を持ちながらも運動量豊富だった選手で、ベルギーやイングランド、オランダ、イタリアなど各国のクラブでプレー。ワールドカップにも2大会出場している。

2001年に引退後はスウェーデンに帰国して木こりとなり、テレビ番組で司会業も行っていた。2009年に多発性骨髄腫と診断されたあとは治療を経て指導者業をスタートしたが、2014年に46歳で死去している。

ジョン・チードジー

所属したクラブ:ノッツ・カウンティ、トッテナム・ホットスパーなど

引退後の仕事:子供用遊具レンタル業

ノッツ・カウンティやトッテナム・ホットスパーでプレーしたことで知られるナイジェリア代表ウインガー。まだアフリカのサッカーがそれほど知られていない1970年代からイングランドでプレーしたため、2002年には国から栄誉勲章を受け取っている。

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1992年に現役を引退した後はハンプシャー州で子ども用の遊具や動物をレンタルするビジネスをスタートし、成功を収めている。またゴルファーとしても活躍しており、一次はハンディキャップは7というシングルプレーヤーであったとか。

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