都市壊滅の空撮写真が現存 関東大震災、高度低く克明

関東大震災で壊滅的な被害を受け、バラックが点在する旧国技館(現東京都墨田区)周辺(峰松巌さんの遺族提供)

 1923年9月1日に発生した関東大震災で、壊滅的な被害を受けた旧国技館(現東京都墨田区)周辺や横浜市中心部などを直後に撮影した航空写真と、軍艦で避難する被災者を撮った珍しい写真を、元海軍将校が保管していたことが分かった。遺族が29日までに共同通信に提供した。

 未曽有の惨状を上空から捉えた写真は、これまで旧海軍の横須賀航空隊や旧陸軍による撮影分などにほぼ限られていた。航空写真が貴重なのに加え、今回の写真は撮影高度が低く、対象との距離が近い。狭い路地なども克明に捉えており、専門家は「延焼火災で被害が拡大した都市構造も分かる。100年前の教訓を今に伝える史料だ」と注目している。

 写真は全体で49枚あり、「飛行機カラ。若宮」という見出しのアルバムに収められ、故峰松巌氏が神奈川県逗子市の自宅で保管していた。大震災当時24歳で、少尉の峰松氏は軍艦「若宮」の乗組員だった。航空写真は25枚あり、若宮が搭載する水上機で撮ったものもあるとみられる。ただ、飛行記録は確認されておらず、撮影者や目的は分からない。

関東大震災で壊滅的な被害を受けた横浜市中心部。右端は神奈川県庁。横浜都市発展記念館の吉田律人主任調査研究員は「木造の建物が多かった地域はかなり片付いているが、外国人が多かった山下町(左下)はがれきで埋まったままだ。れんがなどの建物が多く、撤去に時間がかかったことを示すものだ」と話す(峰松巌さんの遺族提供)

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