「戦争で傷ついた日用品をアート作品に」ウクライナ避難民女性が創作に込める“願い”

今年6月、ユリヤさんは富士山の麓にある会場で、展覧会を開いた

「これは、私の故郷から送ってもらった物。戦争で傷つき、壊された物の数々を、私はアート作品にしました」

祖国で暮らしていたころから、日本語を学んできたという女性。この日も、展覧会を訪れた人たちに向かって、彼女は流暢な日本語で作品解説を続けていた。

彼女は、ウクライナ人美術家のユリヤ・ボンダレンコさん(31)。ユリヤさんは祖国がロシアの侵攻を受けた後の昨年6月、日本にやってきた。京都府内で避難生活を送りながら、絵画などの制作活動を続けている。そして、来日からちょうど1年たった今年6月。彼女の姿は静岡県富士宮市にあった。

富士山の麓にある結婚式場「ゲストハウス フォレスト・ヒルズ」。ユリヤさんはそのバンケットルームで「Power to live(生きる力)」と題した展覧会を開催していた。1カ月前の5月には東京で最初の個展を、さらに8月10日からは大阪でも展覧会を開催する予定だ。展覧会で得た収益については、その9割を、戦争で親を亡くした子どもたちを支援する団体に寄付する。

「ウクライナの人は、虹を見ると希望を連想します」

虹色に彩られた、もともとは割れた花瓶だった作品を手に、ユリヤさんは笑顔を見せた。

「雨の後、空に虹が出るように、早く戦争が終わってウクライナに希望が訪れてほしいとの願いを込めています」

今回、展示している作品は鍋や皿、洋服など、どこにでもあるような日用品ばかり。ユリヤさんがそれぞれに、パテやアクリル絵の具などで虹色の装飾や花の絵を描くなどしてアート作品に仕上げていた。一見するときれいで、とてもかわいらしい作品たち。だが、彼女が施した装飾の下には、生々しい“戦争の傷痕”が隠されている。

「この鍋に描いたたくさんの花はすべて、銃で撃たれた痕を覆っています。子ども用のワンピースも、銃弾であいた穴に花のパッチをつけたもの。このスチール製のゴミ箱の蓋にも弾痕があります。それに、爆撃された家にあったので、焼け焦げてしまっています」

そう、これらの作品の向こう側には、戦争の犠牲になった人、あるいはいまも戦禍の中にいる大勢の人たちの悲しみがある。

20代半ばになって、アーティストになるという幼いころからの夢をかなえたユリヤさん。アメリカやイギリス、ドイツなど、欧米各国の顧客や企業から注文を受け、絵を描いてきた。ところが昨年、けたたましいサイレンの音とともに、彼女を含め、すべてのウクライナ国民の人生は暗転してしまう。2月24日、ロシア軍が国境を越え、ウクライナへ侵攻を開始したのだ。

「私の故郷はロシア、ベラルーシの両方向から爆撃を受けることになりました。市長は『外を出歩くのはとても危険です』と警告を発し、私たち家族は穴蔵のような自宅地下室に逃げました」

地下室に身を潜めながら、時折外に出ると、そこには焼け焦げた戦車が転がり、夜空は爆撃の炎で赤く染まっていた。3月上旬にユリヤさんは国外退避を決意。しかし、総動員令が発出されたため、54歳の父は国外に出られない。母はともにとどまることを決めた。

この先、どうしたら……。独りになり、先行きを思い悩んだ彼女の心に浮かんだのが、日本だった。

「’15年に、東日本大震災で被災した人たちのことをラジオで知りました。家や愛する人を失っても、ゼロから人生を立て直した人たちがいたことに感銘を受けました」

いつか、行ってみたい。そう心に誓って、独学で日本語を学んできた。俳句や書道の勉強も続けた。そして昨年6月。思い描いた理想とはほど遠い形ではあったものの、ユリヤさんは、憧れの国にたどり着いたのだった――。

戦禍にある祖国を思い、心が壊れそうになる思いをしながらも、ユリヤさんは創作に励んでいる。彼女の心の支えとなっているものの一つが、日本の伝統的な修復技法なのだという。

「私は昔、ウクライナの教会で『日本には金継ぎという素晴らしい技がある』と教わったことがあります。割れたつぼや欠けた皿、壊れ物は普通なら捨てるしかないかもしれません。でも、その破片はゴミではありません。その物の歴史のパートです。そして、金継ぎの技法を使えば、割れた食器は修復できるだけでなく、その価値を高められるのだと」

さらに、次のように説かれたのだという。

「人の心も同じ。とてもつらい経験をして壊れてしまった心も、決してゴミではない。きちんとつないで修復すれば、人の心はさらに成長することもできるのです」

その言葉を胸に、ユリヤさんは日本で金継ぎの技術を改めて学んでいた。そして、故郷で破壊された日用品をアートへと昇華させるのに、その技術を応用したのだ。

「すべてのウクライナ人の、いえ、戦争を目の当たりにしたすべての人の心はいま、もしかしたら壊れてしまっているかもしれません。でも、それで終わりじゃない。きちんと修復すれば、また希望を持って前を向ける日が必ず来るはず」

大好きだったウクライナの青い空。そんなかつての日常が戻ってくることを祈りながら、彼女は今日も創作活動を続けている。

【後編】日本での生活開始から1年、ウクライナ避難民家族の「たった一つの願い」へ続く

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