太平洋戦争末期の宮津空襲から78年となる30日、京都府宮津市万町の桜山会館で慰霊祭が行われた。空襲の体験者らが犠牲者の冥福を祈り、平和への思いを新たにした。
宮津空襲は1945年7月30日午前7時ごろ、米軍機約40機が宮津湾に停泊中の駆逐艦「初霜」などを攻撃。乗組員100人以上が亡くなったほか、市街地にも爆弾が投下され、市民15人が亡くなった。
慰霊祭には体験者4人も参加。当時9歳だった倉橋義和さん(87)=同市京街道=は、朝から水道で散水していたところ、バリバリと音がして爆弾が飛んできたという。当時は各家庭が防空壕を掘っていたといい、倉橋さんも自宅裏の防空壕に逃げ込んだ。
現在もロシアのウクライナ侵攻が続いていることに触れ「戦争は二度とあってはいかん。そのためにどうすべきか考えるべきだ」と語気を強めた。