義務教育を満足に受けられなかった人や外国籍の人が学べる公立夜間中学が、全国で広がりを見せている。不登校経験者らを受け入れ、近年は学びのセーフティーネットとしても存在感が高まる。
昨年4月、神奈川県で3校目の公立夜間中として開校した相模原市立大野南中学校分校で、2人の男子生徒が出会った。フィリピン国籍を持つ牧山裕之さん(18)と日本生まれの山浦健太さん(16)は、ともに3年前の新型コロナウイルス禍で学校に通えなくなり、「学び直したい」との思いを抱えていた。くしくも同じ夜間中学に通い、さまざまな事情を抱える生徒たちと机を並べることになったふたり。彼らの交流を通じ、普段目にする機会の少ない「夜の学びや」のいまを見つめた。(共同通信=矢辺拓郎)
▽コロナで崩れた日常
山浦さんの中学校の卒業証書は広げられることもなく、家の片隅にしまわれている。「午後から始まる不登校の人らが集まる卒業式に行きました。実感はないけど一応卒業したな、みたいな…」。中学2年生のころ、コロナによる休校や分散登校で生活リズムが崩れ、それ以降はほとんど学校に通えなくなった。ひどい低血圧となり、朝起きられない状態が続いた。だるくて体が重く、動く気力さえなかった。
休校が明けてもコロナで外出はほとんどせず、体力は落ちたまま。顔は青白く、体重は40キロを下回るほどやせ細った。当時同級生と顔を合わせたのは、始業式や終業式など数えるほど。「体がついてこなくて、学校に行きたくても行けなかった」
3年生の9月ごろ、自律神経の不調でさまざまな体調不良の症状が出る「起立性調節障害」と診断された。病院に行くまでは本当に病気なのか、面倒くさいと思っているだけなのか分からず、不安になった。だが病気と分かったことで、気持ちは楽に。「自然治癒する可能性もあるから、頑張って」と医師から言われたのも効いた。
その後、相模原市に夜間中学ができたと聞くと、親や先生に背中を押されながら説明会まで足を運んだ。「帰ってきたときには(入学へと)心は決まっていました。このまま高校に上がって、そこから先へ進学しても勉強について行けないっていうのが一番大きいので。それと、学ばなかったら後悔するだろうなと思ったので、学び直したかった」
▽阻まれた日本行き
コロナの脅威が広がった3年前、牧山さんは当時住んでいたフィリピンの首都マニラで途方に暮れていた。春には日本人の父親が暮らす神奈川県に行き、先に海を渡ったフィリピン人の母や妹と新生活を始めるはずだった。だが、通っていた私立校は休校状態に。外出もままならなくなった。オンラインを使った授業が再開されても、「勉強にならない」「どうせ日本に行くのだからもったいない」と家族に反対され、受講は諦めた。
自宅にこもり、スマートフォンでゲームばかりしていた。でも、オンライン授業を受けたい気持ちは変わらなかった。現地の友人と同じ学年でいたかったからだ。自分だけ家でだらだらして、日本に渡るときを待っているだけ…。「後れを取りたくない」との思いが募り日本語を自習してみたが、漢字が難しくて投げ出した。結局学校に通えないまま、あっという間に1年近くが過ぎ去った。
おととし3月の日本渡航後も昼間の学校には通えなかった。語学力などが足りなかったこともある。まずは民間の外国人向け学習教室に通い、日本語や数学などを少しずつ学んだ。しばらくして、ボランティアの先生から、新設される大野南中学校分校を紹介されたのが転機となった。「やっと(公立の)中学に行ける」。そこでかけがえのない友人たちと出会うとは、当時つゆほども思わなかった。
▽初めてできた異国の友
2022年4月、中学3年に編入した牧山さんと中学1年から学び直した山浦さんは、大野南中分校の1期生となった。初年度は15~62歳の男女18人が入学。うち約6割が外国籍だった。不登校などで十分に学べなかった「形式卒業者」や、母国で義務教育相当の教育を受けられなかった外国人―。ゴールは高校進学とは限らず、通う目的もばらばらだ。それでも多様な価値観に触れることは意義深いとして、この夜間中学では日本語の習熟度や学年が違っても同じ教室で学んでいる。
山浦さんに出会った頃の印象を、牧山さんはこう語る。「優しそうで、静かっていうか、あんまり関わりたくない人なのかと思ってた。それで少しずつ私から話しかけた」。学校の最寄り駅で顔を合わせるたび、大好きなゲームやアニメなど趣味の話で盛り上がるように。山浦さんが新しいゲームの話をし出すと、聞き逃すまいと必死で耳をそばだてた。学校では漢字を教えてもらったり、逆に自分が英語を教えたり。「ほんと、スマホの翻訳機能いらなかった」と笑う。
交流を重ねるにつれ、牧山さんは日本についての理解を深めていった。冬休み前の終業式、山浦さんが急に礼儀正しく真剣な表情になったのを、今も鮮明に覚えている。最初は不思議に思ったが、「こういう時にはちゃんとするのが、日本の文化」と気づかされた。また、日本人のイメージも変わった。「アニメの見過ぎだと思うんですけど、不良とか怖い人が多いのかと思ってて。でも日本人って優しいんだなって」
山浦さんは以前、入学予定者を前にこの学校に通うことになったいきさつを話す機会があった。「他の生徒より遅れていても関係ない。やり直したいと決めたから、今ここにいる」。牧山さんは、その意志の強さに心動かされたという。コロナを乗り越え、初めてできた日本の友―。「友達として好きになっちゃったんです」と少し照れくさそうに話した。
▽勉強は好きじゃなかった
2人の通った学校が最も重視するのは、まさに授業だ。直感的に理解できる理科の実験やローマ字を振った日本語…。教員たちは工夫を重ね、一つの授業研究に10時間費やすこともある。
また授業には複数の教員が補助に入る。生徒たちは日本語能力も人生経験もそれぞれ違うため、1人の教科担当だけでは対応しきれないのが実情だ。そのため教員たちは事前に話し合い、授業内容や狙いをみっちり共有する。生徒ファーストの理念を掲げ、ワンチームで試行錯誤を繰り返してきた。
そのかいあってか、2人とも授業は「面白い」「分かりやすい」と口をそろえる。山浦さんは外国籍や年配の生徒らとともに受ける授業から、新たな魅力を見いだした。「昼間の中学でやる内容を深掘りして教えてくれたり、他国の文化を知ろうという授業もあったり。その国の歴史や料理などを知ることができた」
牧山さんはサポートの手厚さに驚かされたという。社会の授業でプリントが配られると、漢字に英訳が付いている。「スペイン語もちゃんと書いてあるし、こういうのは本当に初めて」。また、数学では習った計算式が、実生活にどう生かされているかを学んだ。身近にあるコピー機を使い、拡大・縮小の倍率に「平方根」が使われていることを確認した。「そもそも考える力がないっていうか、勉強が好きじゃなかったんですよ。でもこの夜間学級に入って、その面白さに気がつけた。先生は分からせるとか、怒るんじゃなくて、これは将来役に立つよと。ちゃんと教わっていると感じた」
夜間中学に来て、学ぶ機会や友人に恵まれた2人。牧山さんは昨年の夏休み前、父親や先生に「高校進学せず、夜間中に残りたい」とまで頼み込んだ。また山浦さんは雪で1日学校に行けなかったことを、何日も悔やんだ。
▽ずっと一緒にいたかった
今年3月に卒業した牧山さんは1年間の学校生活を、こう振り返った。「毎日が思い出に残るんです。授業もそうなんですけど、それによって勉強がもっと楽しくなって。ずっとここに居たいぐらい、この学校が好きになっちゃって。健太が初めての日本人の友達でした。本当に優しいし、こんなに日本語が話せないのに話してくれて、何かと気を使ってくれた。毎日彼と一緒に過ごす時間が多くなって、ずっと一緒にいたかった―。でも先に進まなきゃ」。一方、山浦さんは「チャットでつながっているので、会おうと思えばいつでも会える」と一見そっけないが、少し寂しそうだった。
▽いつかまた…
2人はそれぞれの道を歩み始めている。
2年生になった山浦さんは「(昼間の学校の)2、3年生でできなかった分をやり直して、ちゃんと卒業したい」と意気込む。病気の方は自然治癒に任せて、今は通院もせず薬も飲んでいない。将来の夢は、趣味を生かしたゲームクリエーターになることだ。牧山さんは県立高校に通い、美術大学を目指している。「絵が好きですから」。ゆくゆくはイラストレーターになりたいという。
「独り立ちしたら、(1期生の何人かで)一緒に住もう!」「おお、いいじゃん!」―。卒業前に交わした言葉を、2人は今も忘れていない。
関連動画はこちら
https://youtube.com/watch?v=s0ffcq4VeuA&feature=share
【公立夜間中学校】
貧困や差別を理由に通学できなかった人の学びの場として戦後混乱期に誕生。近年では不登校経験者や外国人の受け皿としても期待される。一般の中学校と同様に授業は週5日で、全課程を修了すれば中学卒業資格が得られる。学費は無料。2016年末に成立した教育機会確保法に基づき、国は各都道府県と政令市に1校以上の設置を促している。文部科学省によると今年4月時点で17都道府県に44校。25年度までに28都道府県に拡大し、新たに14校が設置される見通し。