世界的AI「Bard」に、「日本代表の歴史上最高のストライカー5名」を聞いてみた

このところ世界的に大きな話題を巻き起こしている人工知能(AI)。インターネットの情報を瞬間的に検索することができ、質問に対して様々な答えを返してくれる。

今回はGoogleが展開するAI「Bard」に、「日本代表の歴史上最高のストライカー5名」を聞いてみたぞ。

5位:岡崎慎司

所属したクラブ:清水エスパルス、シュトゥットガルト、マインツ、レスター・シティなど

日本代表での成績:119試合50ゴール

『Bard』が選んだ5位は岡崎慎司だった。滝川第二高等学校から清水エスパルスに加入し、3年目の途中からレギュラーに定着。豊富な運動量と豊かな闘争心を武器に活躍し、2011年1月からヨーロッパへと進出した。

レスター・シティ時代にはジェイミー・ヴァーディとともに2トップを組んでプレミアリーグを席巻し、驚きの優勝に貢献。日本代表としても3度のワールドカップに出場し、119試合50ゴールという成績を記録しており、これは歴史上3位の得点数となっている。

4位:大久保嘉人

所属したクラブ:セレッソ大阪、マジョルカ、ヴィッセル神戸、ヴォルフスブルク、川崎フロンターレなど

日本代表での成績:60試合6ゴール

『Bard』が選んだ4位は大久保嘉人であった。国見高校からセレッソ大阪に加入して活躍し、アテネ五輪のメンバーとして大会に出場した。欧州にも2回挑戦し、マジョルカとヴォルフスブルクでプレーしたが、そこでは怪我の影響もあってレギュラーに定着することはできなかった。ベテランになってから川崎フロンターレで再ブレイクを果たし、Jリーグでは晩年まで日本屈指のストライカーとして名を馳せた。

日本代表では60試合6ゴールであるが、ベスト16進出を果たしたワールドカップ2010では左サイドのウイングとして献身的なプレーに挑み、チームに大きく貢献。松井大輔とともに守備から攻撃への切り替えで重要な選手となった。

3位:高原直泰

所属したクラブ:ジュビロ磐田、ボカ・ジュニオルス、ハンブルガーSV、フランクフルト、浦和レッズなど

日本代表での成績:57試合23ゴール

『Bard』が選んだ3位は、現在も沖縄SVで現役を続けつつオーナー兼監督と忙しい立場になっている高原直泰だった。ジュビロ磐田伝説の「N-BOX」で中山雅史とともにストライカーとして多くのゴールを決め、後にドイツ・ブンデスリーガでもオリヴァー・カーンの無失点記録を止めるシュートを叩き込んでいる。

日本代表ではエコノミークラス症候群のために2002年大会の出場を逃し、アテネ五輪のオーバーエイジ参加も不可能となり、さらにドイツで行われた2006年大会では不調のチームの中で苦戦するなど、大舞台で運に恵まれなかった印象である。

2位:中山雅史

所属したクラブ:ジュビロ磐田、北海道コンサドーレ札幌、アスルクラロ沼津

日本代表での成績:53試合21ゴール

2位に選ばれたのは「日本人として初めてワールドカップでゴールを決めた選手」中山雅史であった。大学時代はディフェンダーとしてもプレーしていたが、ヤマハ発動機(後のジュビロ磐田)でストライカーとして大ブレイクしたほか、明るいキャラクターでメディアでも活躍した。

日本代表では「ドーハの悲劇」を経験したあと、1998年のワールドカップに出場。ジャマイカ戦で大会唯一のゴールを決め、骨折しながら最後までプレーし続けた。さらに2002年大会では10番を着用してメンバー入りし、秋田豊らとともにベテランとして若いチームを支えた。

1位:三浦知良

所属したクラブ:ヴェルディ川崎、ヴィッセル神戸、ジェノア、横浜FCなど

日本代表での成績:89試合55ゴール

『Bard』が選んだ1位は現在も現役を続ける鉄人「キングカズ」こと三浦知良だった。ワールドカップへの出場経験はないものの、日本代表では89試合に出場して55ゴールという記録を持っており、これは釜本邦茂に続く歴代2位である。

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Jリーグ創設からヴェルディ川崎の主力として活躍を見せ、ラモス瑠偉らとともに日本サッカーのスターとして知名度の向上に大きく貢献。そして56歳を迎えた現在もポルトガルのオリヴェイレンセでプレーしている。

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