雅子さま 式典で“伝説の看護師”にかけられた感慨のお言葉…中東の地で接点も

連日のように猛烈な暑さに包まれている今夏、真っ白なスーツ姿の雅子さまは、7月27日に「第49回フローレンス・ナイチンゲール記章授与式」に臨席するため、東京都内のホテルに到着された。

「明治時代に昭憲皇太后が国際赤十字に寄付されたことをきっかけに、皇室は日本赤十字社(日赤)の活動を古くから支援してきました。こうした経緯から、原則として総裁職や名誉職をお務めにならない皇后陛下が、唯一の例外として日赤の名誉総裁を務めており、令和となってからは雅子さまがその職に就かれています。

全国赤十字大会やこのフローレンス・ナイチンゲール記章の授与式には、名誉総裁を務める雅子さまを筆頭に、名誉副総裁職の女性皇族方が出席されてきました。今年の授与式は、コロナ禍以前に恒例だった看護学生たちによるキャンドルサービスも復活し、従前に近い形で開かれました」(宮内庁関係者)

キャンドルサービスが始まると、72人の看護学生たちがゆらゆらと炎が揺れるろうそくを手にして、照明の落とされた会場を歩きだす。オレンジ色の明かりが、壇上の雅子さまのお顔を照らすと、目を細めて学生たちと受章者のほうを見つめられていたーー。

「同章は、赤十字国際委員会(ICRC)が世界各国で2年に1度、特に優れた功績のあった看護師などに贈ります。今回受章した3人も看護師として優れた業績を重ねた方々です」(皇室担当記者)

今回選ばれたのは、放射線防護などに関する活動に取り組み、雅子さまにもご進講を行ったことがある大分県立看護科学大学名誉学長の草間朋子さん(81)、近代看護教育の確立に尽力してきた今村節子さん(98)、そして海外の紛争地や大災害の現場で国際救援活動に携わってきた姫路赤十字病院の看護副部長を務める髙原美貴さん(57)だ。

「草間さんと今村さんは長年の功績が評価されたと思いますが、髙原さんは50代の現役看護師。さらに、日赤に在籍している看護師が受章する例は多くないのです。

髙原さんは、2002年に参加したアフガニスタン紛争犠牲者の救援で、地雷などによる犠牲者の遺体を生前の姿に近づけて修復する『整体』の技術を現地スタッフに教授するなど、これまでの11カ国17回にも及ぶ国際救援活動が高く評価されており、まさに“伝説の看護師”といえる存在です」(前出・皇室担当記者)

お若いころから雅子さまは、先進国と発展途上国との経済格差や貧困の問題について学ばれ、皇室に入られる前も、外務省職員としてこうした問題と向き合おうと志されていた。

「雅子さまは、とくに恵まれない境遇にある子供たちに心を寄せられ、“軸”に据えて活動されてきました。それだけに、アジアや中東、アフリカなどの紛争地域や災害の被災地で活躍してきた髙原さんのお話を聞きたいと願われていたのでしょう。

髙原さんは現在も内戦が続くシリアで活動しており、授与式のために一時帰国しました。雅子さまは式典後に開かれた懇談の席で、『シリアの状況はどうでしょうか』と髙原さんに質問されていたそうです。

また、両陛下が先月訪問されたインドネシアで、髙原さんは2005年のスマトラ沖地震、2006年のジャワ島中部地震の救援活動を行っています。髙原さんがインドネシア赤十字社への日赤の支援について話すと、雅子さまはしきりにうなずかれながらお聞きになっていたようです」(前出・皇室担当記者)

■中東の地で感じた雅子さまとの接点

式典が終了した7月27日夕方、本誌は改めて髙原さんに取材した。日本から遠く離れた中東の地で、雅子さまとの接点を感じた瞬間があったという。

「今日は同じテーブルにICRCの方もいたので、雅子さまは自然に美しい英語でお話を始められたことが印象に残っています。

私が2015年にヨルダンでシリア内戦の難民への救援活動を行っていたとき、現地のスタッフから“いまも雅子さまがいらっしゃったときの写真をとても大切に展示しています”と聞きました。そのことを、雅子さまに懇談の場でお伝えしたのです」

雅子さまは1995年1月、ご成婚後2度目となる外国ご訪問のため、天皇陛下とともに中東3カ国を歴訪されている。帰国する直前、雅子さまはヨルダンの首都アンマンにある赤新月社の病院を訪れていたのだ。髙原さんはこう続ける。

「写真のことをお伝えすると、『あれは、阪神・淡路大震災の後のことでしたね』と懐かしみながらも、お言葉には感慨がこもっていたように思います。私からは、『ぜひまた、ヨルダンにお越しになってください』と申し上げました。“赤十字の看護師は(心身ともに)強い”という話題になったとき、誰かが“赤十字が看護師を強くするんです”と話すと、雅子さまは『そうですよね』と、このときだけ日本語でおっしゃっていました」

授与式を終えた髙原さんは、すぐにシリアに戻る予定だという。30分ほどの懇談だったが、髙原さんをはじめ、苦しむ人々に寄り添う看護師たちとの魂で抱き合うような交流に、雅子さまも決意をさらに固められてーー。

「雅子さまは、適応障害との診断を受け療養に入られてから、ご体調が優れない状況にあっても、都内の児童養護施設『福音寮』をたびたびお一人で訪問されるなど、おしのびでの支援や養護施設の子供たちとの交流を続けていらっしゃいました。

雅子さまからは、“命を懸けて子供たちを救う”という決意を感じました。そうした思いは今も変わらず、今後のご活動にはより反映されていくでしょう。日本国内のみならず、世界規模でのご活動を展開する覚悟をさらに強固なものになさっているはずです」(前出・宮内庁関係者)

看護師たちとの交流を糧に、雅子さまはまた新たな一歩を踏み出される。

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