母が見た対馬丸の悲劇 栃木・上野さんが宇都宮で講演

多くの児童らが犠牲になった対馬丸事件について語る上野さん=6日午後、宇都宮市雀宮町

 太平洋戦争中に米軍の攻撃を受けて沈没した沖縄の学童疎開船・対馬丸の生存者の長女で、語り部として活動する栃木市大平町西野田、上野和子(うえのかずこ)さん(76)の講演会が6日、宇都宮市南図書館で開かれた。対馬丸の悲劇は、当時の沖縄県警察部長で宇都宮市出身の荒井退造(あらいたいぞう)が疎開を進める中で起きた。「相反するものはあるが、生き残った母の苦悩とともに退造のことも伝えていきたい」と思いを語った。

 講演会は、退造の顕彰事業に取り組むNPO法人「菜の花街道」が主催した。

 上野さんの母新崎美津子(にいざきみつこ)さん(享年90歳)は1944年8月、沖縄を出発した対馬丸に引率教員として乗船していた。米軍の潜水艦の攻撃を受けて海に投げ出され、板につかまって漂流。その間、周囲にいた児童たちが力尽きていったが「(手を)放しちゃだめ」と声をかけるのが精いっぱいだった。

 母の経験を語り継ぐ上で上野さんは、退造について「立派な人だと分かっても対馬丸の遺族の気持ちをどう考えればいいのか」と悩んだという。退造について知るため沖縄に赴き、足跡をたどったこともある。「今は荒井さんのことも、対馬丸のことも隠すことなく伝えなければいけないと思える。諦めずに戦争はいけないと言い続けなければいけない」と締めくくった。

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