学生など2500人以上が犠牲 “東洋一の兵器工場” への米軍による爆撃から78年 地元で追悼式典が開かれる「恒久平和に向けて全力を尽くす」 愛知・豊川市

2500人以上が犠牲となった豊川海軍工廠(こうしょう)への爆撃から7日で78年。地元愛知県豊川市では追悼式典が開かれました。

「東洋一の兵器工場」と言われた豊川海軍工廠は、1945年8月7日にアメリカ軍による空襲で壊滅的な被害を受け、学徒動員の学生など2500人以上が命を落としました。

ことしの式典は、4年ぶりにコロナ禍前の規模での開催となり、遺族や市民ら約580人が参加。空襲が一番激しかった午前10時半に1分間の黙祷が捧げられ、犠牲者の冥福を祈りました。

その後、豊川市の竹本幸夫市長が「戦争のない世界、核兵器のない世界の実現を目指し恒久平和に向けて全力を尽くす」と平和宣言を読み上げ、参加者は平和への祈りを新たにしていました。

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