長崎を思い「未来に平和を」 東京の被爆2世・佐戸さん 娘を過労死で失い絶望 命の重さ伝え続ける

佐戸恵美子さんの長女未和さん(左)と両親(右下)の遺影(恵美子さん提供)

 長崎原爆の被爆2世、佐戸恵美子さん(73)=東京都=は、特別な思いで9日を迎える。今は亡き被爆者の両親を戦後も苦しめ続けた「あの日」から78年。そして、過労死したNHK記者の長女未和さん=当時(31)=との別れから10年がたった。「遺された者の苦しみを、もう誰にも味わわせたくない」。そう強く願う。
 戦後4年目の長崎。恵美子さんは松永家の長女に生まれた。「火」を見ると取り乱す父昇さんの姿が、幼心に刻まれている。暴れ回ったり、ストーブを倒して火事を起こしたり。原子野の暗い記憶が父の心をむしばんでいた。
 昇さんは数回だけ体験を語ったことがある。船の設計技師で、爆心地から数百メートル以内の山里地区周辺に妻と幼い息子と暮らしていた。8月9日、職場で被爆した昇さんが自宅に駆け付けると、隣に住む母(恵美子さんの祖母)は建物の下敷きのまま炎にまかれ、妹2人も既に黒焦げで亡くなっていた。妻子は大やけどを負い、数日後に死亡。遺体を昇さんが火葬した。
 昇さんは戦後、背中にやけどの痕がある被爆者の女性と再婚。その間に生まれたのが恵美子さんだ。
 精神を患った父は荒れ、家庭は崩壊寸前だった。それでも長崎市内の短大を卒業後、就職した地元企業の同僚男性と新たな家庭を築き、1982年に長女を授かった。「いろいろなことがあったけど今が一番の幸せ」。後世に苦悩を残す戦争や原爆がない、平和な未来を生きてほしい-。そんな願いを込めて「未和」と名付けた。
 人の笑顔を心から願う優しい女性に育った未和さん。ジャーナリストを志し、就職活動の書類には「弱い立場の人に寄り添いたい」とつづった。一橋大卒業後の2005年、NHKに入局。現場を飛び回り活躍したが、13年7月、長時間労働による過労で倒れ、帰らぬ人となった。
 恵美子さんは絶望に打ちひしがれながらも、過労死防止やNHKの組織改革に向けた活動を続けている。未和さんと離れたくなくて納骨はできずにいたが、10年の節目となる今年、娘の死に向き合うと決めた。
 今春、祖父母や両親らが眠る松永家の墓じまいのため来崎。墓石に刻まれた命日に息をのんだ。「8月9日」がずらりと並んでいた。「命の重さ」を伝え続ける今だからこそ、多くの家族に先立たれ、苦しんでいた父の心情も理解できた。
 恵美子さんは今年から、東京の被爆2世グループ「おりづるの子」で本格的に活動。9日、長崎市の平和祈念式典に東京都代表の遺族として臨む予定だったが、台風の影響で参列はかなわなかった。
 ロシアのウクライナ侵攻が続き、核兵器廃絶も見通せない世界。多くの人の笑顔を願った未和さんが「天国で嘆いている」と、恵美子さんは思う。悲しみは終わりにしたい。だから最後の被爆地に思いをはせて、今日も祈る。
 「未来に平和を」

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