<社説>麻生氏抑止力発言 「覚悟」の強要許されない

 極めて危険な発言である。過剰な抑止力の誇示は国民を危機に陥れる。 自民党の麻生太郎副総裁は8日、訪問先の台湾で講演し、中国を念頭に台湾海峡の平和と安定には強い抑止力を機能させる必要があり、そのために日本と米国、台湾には「戦う覚悟」が求められると主張した。

 麻生氏は、台湾海峡の安定化に向けた日本の強い意志を示したつもりなのだろう。しかし、国民の大半は発言にあぜんとしたはずだ。「専守防衛」を大きく逸脱し、中国を挑発するものである。「戦う覚悟」の強要は許されない。

 抑止力保持を名目とした基地の過重負担を強いられる沖縄、中でも自衛隊配備が急速に進められた宮古、石垣、与那国の住民にとって、麻生氏の発言は聞き捨てならないものだ。有事の際、戦闘に巻き込まれる恐れがある地域の住民に、いかなる「覚悟」を強いるつもりなのか。

 日本に求められるのは、自衛隊の「南西シフト」で増強した抑止力を掲げ、「戦う覚悟」を中国に見せつけることではない。緊張緩和に向けた対話を重ねることだ。

 講演の中で麻生氏が「今、われわれにとって最も大事なことは、台湾海峡を含むこの地域で戦争を起こさせないことだ」と述べるように、誰も戦争は望んでいない。しかし、ここで麻生氏が持ち出すのは「強い抑止力」だ。

 抑止力について麻生氏は抑止する「能力(防衛力)」、行使する「意志」と「国民的合意」、そして行使する意志を「相手に知らせること」で構成されると説く。武力で相手を黙らせるという姿勢だ。

 政府は南西諸島で自衛隊の増強を急速に進めた。憲法解釈をねじ曲げ、集団的自衛権の行使容認に踏み切り、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有などを明記する新たな安保関連3文書を閣議決定した。国民の意思とは関わりなく防衛力とそれを行使する環境整備を強行した。国民的合意を一貫して放置したのだ。

 麻生氏はどのような手続きで国民の合意を得られると考えているのか。武力行使について国民は政府に白紙委任状を提出しているわけではない。日本の防衛政策を大転換させた安保3文書も国会論議を経ないまま、閣議決定で済ませた。およそ民主的な手順を踏んだとは言えない。国民的合意などほど遠いのだ。

 もうすぐ日本の敗戦から78年の日が巡ってくる。沖縄における地上戦、全国各地の都市を襲った空爆、広島と長崎の原爆投下による無差別大量虐殺を経て、私たちは非戦を誓った。それを形にしたのが憲法の戦争否定だ。そして日本の加害責任も厳しく問われてきた。

 敗戦から今日にいたる戦後78年の歩みに照らしても、麻生氏の「戦う覚悟」は到底容認できるものではない。「非戦の誓い」こそが、いま一層重要となっている。

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