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ウクライナから広島に避難している姉妹が、初めての夏を過ごしています。「戦争の被害を直視できない」―。そう話しながらも、ふるさとに帰る日を迎えようとしています。
ウクライナ・キーウから広島に避難しているファジリャ・ボロジナさん(20)と妹のマリアさん(19)です。8月6日、自分たちで準備した花を手に平和公園を訪れました。
マリアさん
「女性の帽子に丸いバッジが…」
マリアさん
「ウクライナから遠く離れた人たちがウクライナの平和を祈って応援してくれているのはうれしい」
2人は慰霊碑に花を手向けました。
ファジリャさん
「ウクライナの平和、日本の平和、世界中の平和について祈りました。この場所で全てが傷ついた光景はイメージできないけど、今は平和できれいな場所で、それがずっと続くことを願います」
2人はふるさとで仕事を続ける母と離れ、去年9月から広島で暮らしています。
日本に来てから毎日欠かさず戦況を確認してきましたが、人々が傷つき、街並みが壊れていく様子に心を痛め続けてきました。
母のエディヤさんと電話がつながったときには、真っ先に母の無事を確認します。
そうした状況について2人はこれまでに何度か、カメラの前で話をしてくれましたが、特に姉のファジリャさんは戦争の話になると、涙があふれそうになります。
ファジリャさん
「わたしにとって、戦争について話したり考えることは辛い。でも、それを伝えることが日本や世界の人にとって大事なことだと思うし、ウクライナの状況について知ってほしい。そのためにわたしも何かできると思う」
ことし5月、ゼレンスキー大統領が来日し、G7広島サミットに対面で参加しました。
2人はゼレンスキー大統領に声を届けようと平和公園に足を運びました。ふるさとに帰りたい。一刻も早く戦争を終わらせてほしい…。期待はふくらみました。
マリアさん
「ロシアとどう対話するか議論して、犠牲者なしに戦争を終わらせてほしい。それがこのG7サミットで一番願うこと」
マリアさん
「広島に来て、最初に来たところがここだった」
― 原爆資料館を見学するのはどう?
ファジリャさん
「今は難しいかな」
来日以来、平和公園を何度も訪れました。ただ、資料館の中には入ったことがありません。けがに苦しむ人々の写真や放射線による被害を直視する心の準備ができていないと話します。
マリアさん
「広島の、原爆の歴史を知っているけど、写真や展示資料を見る準備はできていないかな…」
ファジリャさん
「ほぼ毎日、ウクライナ関連のニュースで被害を受けた町の写真を見るけど怖い」
戦争の終わりは、まだ見えません。
ファジリャさん
「多くの国が資金面や装備の面で援助をしてくれるようになったけど…。世界が変わるにはもう少し時間がかかると思う」
7月。2人にとってうれしい出来事がありました。
― 今どんな気持ち?
マリアさん
「完璧には表現できない! とてもわくわくしています」
母のエディヤさんが仕事の休暇の合間に日本にやってきたのです。2人はエディヤさんの姿が見えると…
およそ1年ぶりの再会。お互いの身を案じながら過ごした、長い1年でした。
ファジリャさん
「お母さんです!」
母・エディヤさん
「娘たちをサポートしてくれてありがとう。支援してくれた人の話はたくさん聞いていました」
さっそく、姉妹が宮島を案内したり、日本食を一緒に食べに行ったりしているといいます。
マリアさん
「広島に来たばかりのときに撮った写真と同じ場所で、今はその同じ場所にお母さんが一緒に写真に写っているということがすごいこと!」
2人の生活にも変化がありました。妹のマリアさんの大学入学を機に、来月、ふるさとに戻ることになったのです。
マリアさん
「ようやく帰れそう。なんて言ったらいいかわからないけど、本当に信じられないし、うれしい」
ファジリャさん
「広島ではすばらしい生活を送ったけど、でもウクライナは私たちのふるさと」
長い間、待ち望んだ、ふるさとに戻れる日。ただ、日本に来たときに思い描いていた「帰国する日」とは状況が違います。
― でも、ウクライナはまだ安全ではない状態です。
ファジリャさん
「…難しい質問。今後、どうなるかはわからないから…。でも帰りたい。もちろん、怖さはある。でも友だちや家族に会いたい」
大切な家族や友人のそばで暮らしたい。戦争の終わりが見えないまま、ふるさとに帰る日を迎えようとしています。