ヴェンゲル監督が「アーセナルで獲得失敗した最強スーパースター」ベスト11

アーセナルで長く指揮を執ったアーセン・ヴェンゲル監督。各国から様々なタレントを引き入れて成長させることに長けた指揮官だった。

今回は『Planet Football』から「アーセン・ヴェンゲル監督が獲得することに失敗した世界的スーパースター」をご紹介する。

ジャンルイージ・ブッフォン

現代のサッカーにおいて最も偉大なゴールキーパーの一人であるブッフォン。パルマでプレーしていた若手時代、アーセナルへの移籍を拒否したことで知られている。

「1998年にアーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督と一度ディナーを食べたことがある」とブッフォンは2016年に明かし、直接誘いを受けたというが、結局彼は2001年にユヴェントスへと移籍した。

ジェラール・ピケ

ヴェンゲル監督がバルセロナのアカデミーから獲得した選手といえばセスク・ファブレガスが有名であるが、ジェラール・ピケも手に入れたいと考えていた。しかし結局彼はマンチェスター・ユナイテッドに移籍し、プレミアでは成功できずバルセロナに戻っている。

「我々はセスク、メッシ、そしてピケを獲得したかったが、結局セスクのみしか成功しなかった」と後にヴェンゲル監督は明かしている。

ラファエル・ヴァラン

アーセナルは長い間クオリティの高いセンターバックを手に入れられずにいた。しかしもしヴァランを若い頃に獲得できていれば、それらの問題は解決できたのかもしれない。

「彼はRCランスにいた。そこで我々は彼を獲得することができたかもしれない」とヴェンゲル監督は『EUROSPORT』で明かしており、フランス・リーグアン時代に目をつけていたにもかかわらず獲得に至らなかったようだ。

ヴァンサン・コンパニ

2006年、アーセン・ヴェンゲル監督はソル・キャンベルの後継者候補としてヴァンサン・コンパニの獲得を考えていたというが、結局はハンブルガーSVが彼を引き入れることになった。そして後にマンチェスター・シティの中心選手になる。

コンパニの代理人だったジャック・リヒテンシュタインは、後にその時の判断について「レアル・マドリー、バルセロナ、アーセナルと会談した。ただヴァンサンは信頼されなければ孤独を感じるタイプなので、トップクラブに行くのは正しいと思わなかった」と明かしている。

ギャレス・ベイル

アーセン・ヴェンゲル監督はイングランドの若手情報に逐一目を通しており、もちろんサウサンプトンでブレイクしていた「左サイドバックの」ギャレス・ベイルも注目していた。

「我々にはアシュリー・コールとガエル・クリシがいたので、もう一人サイドバックは必要なかった。しかし、それは大きな間違いだったと告白しなければならないね」とアーセン・ヴェンゲル監督は後に『EUROSPORT』で話していた。

クロード・マケレレ

ナント、レアル・マドリー、そしてチェルシーで類稀な守備能力を発揮した掃除人クロード・マケレレ。実は1996年にアーセナルへと加入する可能性があったという。ヴェンゲル監督は2006年に以下のように明かしていた。

「マケレレとサミュエル・エトーは我々と契約するところだった。パトリック・ヴィエラが来た直後だったね。1996年8月のことで、彼はまだナントにいた。ただ彼については逃してしまった」もしヴィエラとマケレレがコンビを組んでいたら…もはや世界を獲ったフランス代表である。

ヤヤ・トゥレ

ヤヤ・トゥレについては非常に有名だ。アーセナルで実際に練習参加し、バーネットとのプレシーズンマッチで実際に出場しているからだ。ところが、その後正式に加入することはなく、後にライバルのマンチェスター・シティで中心選手となる。

アーセン・ヴェンゲル監督は「最も後悔している選手の一人だ。ただ、ヤヤ・トゥレとは合意していたし、契約したくなかったわけではないんだ。パスポートや労働許可証の問題があり、それを待つ必要があったため、ヤヤ・トゥレ自身がウクライナ行きを選択したんだ」と明かしている。

リオネル・メッシ

もちろんリオネル・メッシもその一人だ。セスク・ファブレガス、ジェラール・ピケとともにバルセロナのアカデミーからアーセン・ヴェンゲル監督が引き抜こうとしていた選手である。ただ、バルセロナも、メッシ自身も、その移籍には消極的だったという。

「彼は移籍にそれほど前向きではなかった。メッシがバルセロナで快適だったという事実が原因だったんだ」とヴェンゲル監督は2014年に明かしている。

ロナウジーニョ

パリ・サンジェルマンで欧州に進出し、2002年ワールドカップでブレイクし、そしてバルセロナでキャリアの頂点を極めたロナウジーニョ。しかし、実はその前にアーセン・ヴェンゲル監督はすでに手を伸ばしていたという。

「ロナウジーニョがパリ・サンジェルマンに行く前に獲得できたかもしれない。代理人のところを訪ねたこともあった。しかし労働許可証の問題があって、イギリスに連れてこられなかったのだ」とヴェンゲル監督は2005年に『Sky』で明かしている。

クリスティアーノ・ロナウド

メッシもロナウドももしアーセナルでプレーしていたらどうなっていたか。ヴェンゲル監督はこの両者ともに獲得するチャンスがあったという。2018年、アーセナルの公式ウェブサイトで以下のように語られていた。

「我々が逃したビッグネームとして真っ先に思い浮かぶのはクリスティアーノ・ロナウドだ。彼は母親とともにここへ来た。しかしマンチェスター・ユナイテッドが介入してきて、そこにはポルトガル人のカルロス・ケイロスがコーチとして所属していた。アンリとロナウドがともにプレーしていたらどうなっていたか…」

キリアン・エムバペ

今最も世界で価値が高い選手と言えるキリアン・エムバペ。モナコとの契約満了が近づいていた時、アーセナルのヴェンゲル監督は彼の元を訪ねていたという。

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「エムバペについて話すことができる。彼がモナコとの契約を延長するかどうかを迷っていた時、私は彼の家まで訪ねていった。フリーでアーセナルに来ることもできたはずなのだ」ヴェンゲル監督はそのように明かし、獲得のチャンスがあったと悔やんでいた。

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