「なんのために民主主義は生まれたのか」長崎で被爆した祖母の体験を胸に若者の政治参加を促す能條桃子さん 【思いをつなぐ戦後78年】

インタビューに答える、「NO YOUTH NO JAPAN」代表の能條桃子さん=2023年7月7日午後、東京都港区

 若者の政治参加を促す団体「NO YOUTH NO JAPAN」代表の能條桃子さん(25)。神奈川県平塚市で生まれ育ち被爆3世としての意識は薄いが、長崎市出身の祖母が話してくれた戦争や原爆の影響は自身の「社会観をつくる基盤」と語る。戦争の歴史を学び、市民を左右する政治に興味を持った。能條さんに、若者や女性の政治参画にかける思いを聞いた。(共同通信=小林ひな乃)

 ▽「被爆者」の祖母を一番知らないのは父だった

 父方の祖母は4歳の時に長崎市で被爆し、高校卒業後に平塚市に移り住み、家庭を持ちました。ただ、自身が被爆者であることは息子である私の父にも話してこなかったそうです。なので、私がイベントで祖母の話をしたとき、父は「おばあちゃんは、そんな経験をしたんだ」と驚いていました。そんな祖母が、私たち孫には当時の記憶を話してくれるようになった。きっかけは、戦争体験を家族に聞く小学校の宿題でした。

能條桃子さん

 ▽祖母の話は、わたしの「社会観の基盤」

 祖母が重い口を開いたのは被爆から60年以上が過ぎ、差別や偏見が薄れたことや、自身と家族の健康に影響が出ることはなさそうという安堵感のためだったのだと思います。今はしわで目立ちませんが、祖母は頭と腕にやけどの痕が残り、常に長袖で覆っていたことを覚えています。
 優しい祖母が、戦争に関しては「絶対にだめ」と強く言い切り、結婚や出産後も健康被害への不安を抱え続けたことを教えてくれた。祖母の話は「わたしの社会観をつくる基盤」になりました。一方で、大学時代に訪れたマレーシアの歴史資料館では日本の加害責任を痛感しました。

能條桃子さん

 ▽留学先で知った、同世代の若者がいる政治

 被害と加害の両面の歴史を学び、気付いたのは「戦争や核兵器の影響を最も受けるのは、意思決定する為政者から一番遠い市民だ」ということ。市民の生活を左右する政治に興味を持つようになりました。
 大学生だった21歳の頃、デンマークに留学して驚いたのは、私と同年代の候補者がいること。低調な日本の若者世代の投票率も、同年代の候補者がいれば、政治に関心を持ちやすくなるのではと感じました。

 ▽平和だからこそ、若者や女性の政治参画に取り組みたい

 こうした思いから今年7月、選挙に立候補できる年齢の引き下げを求めて東京地裁に提訴しました。女性の政治参画にも取り組み、国や世論に問題提起することで、若者や女性の意見が政治に反映されやすくなることに期待しています。
 政治を誰かに任せて「いい感じにやってもらえる」と考えるのは甘い期待。戦争を知る当事者が高齢化するなかで、若い世代がまずできるのは、加害と被害の歴史を知ることではないでしょうか。
 平和があるからこそ、これまでジェンダーや人権問題に取り組めましたが、戦争が起きれば差別は正当化され、利用されてしまいます。
 なんのために民主主義が生まれたのか、よく考えてみてほしい。そう願っています。

能條桃子さん

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 のうじょう・ももこ 1998年生まれ。神奈川県出身。2019年に若者の政治参加を促す団体「NO YOUTH NO JAPAN」を発足。コメンテーターとしてテレビにも出演する。 

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