「ジャングルジムから落ちた」6歳の少女の命を奪った兄はうそをついた ネグレクトされた異父兄妹の10日間【大津女児虐待死事件(上)】

2021年8月に6歳の女児の遺体が見つかった公園のジャングルジム=大津市

 2021年の夏、大津市の小学校に通う女児(6)が、当時17歳の兄に暴行され命を落とした。周囲から「良いお兄ちゃん」だと思われていた兄は、母親のネグレクトによりヤングケアラー状態に陥り、ストレスを爆発させるように幼い妹に暴力を振るい続けた。
 女児の死亡から2年余り。私たちは幼い命がなぜ奪われたのかを考えるため、事件の詳細を改めて取材した。母親の不在、養父の逮捕、複雑な家族関係、そして薬物がすぐ身近にある生活。見えてきたのは、親に振り回された子どもたちが、異様な環境の中で孤立し、追い込まれていくまでの過程だった。(共同通信=山本大樹、吉田有美香、小林磨由子、三村舞)
 ▽「妹がジャングルジムから落ちた」少年からのSOS
 蒸し暑い夏の朝だった。2021年8月1日午前9時半ごろ、大津市郊外の住宅街で、ある一軒家のインターホンが鳴った。
 家主の男性は玄関を開けて外を見たが、誰の姿も見えない。いぶかしく思った男性が視線を動かすと、玄関前の階段を下りたところにある門扉の向こう側から1人の少年が顔を見せた。
 10代半ば、高校生くらいだろうか。茶髪でラフな格好をしているが、その顔に見覚えはなかった。少年は憔悴した表情を浮かべ、もごもごと何かを言っている。
 「何かあったの?」
 「妹が…ジャングルジムから落ちた」
 「救急車は呼んだの?」
 「呼んでない」
 「電話は?」
 「持ってない」
 ジャングルジムがある公園は家の目の前にある。少年の顔色を見てただ事ではないと感じた男性は、携帯電話を取りにいったん家の中に戻った後、彼をせき立てるようにして公園に向かった。

女児の遺体が見つかった位置。仰向けで、多年草に頭をもたせかけるような姿勢だった

 敷地内に入ると、一番奥にあるジャングルジムの下で幼い女の子があおむけに倒れているのが見えた。駆け寄って声をかけたが反応は無い。よほど強く体を打ち付けたのだろうか。頭部は転落時のけが防止用に植えられた多年草にもたれかかっていたが、意識がないのは一目瞭然だった。顔は青白く、口元に手をかざしても呼気を感じなかった。
 「これはまずい」。男性は慌てて119番し、見たままの状況を伝えた。「見る限り、息をしてない状況です。できるだけ早く来てください」。救急車は数分で到着したが、少年はぼんやりしたまま。セミの声が鳴り響く中、か細い声で「僕はどうしたらいい?」と尋ねる彼に、男性は「責任者はあなたしかいないんだから、一緒に病院に行かないと」と励ますように言葉を返した。
 救急隊は少女を手早く収容すると、少年にも同乗を促し、すぐさま救急車を出発させた。男性はサイレンの残響を聞きながら、万に一つの可能性を信じて少女の無事を祈った。

大津警察署

 ▽約100カ所の皮下出血、傷害致死容疑で兄逮捕
 その日の昼過ぎ、滋賀県警大津署は「傷病人の発見について」というタイトルで、この女児の事案を報道発表している。「公園内で倒れている少女を兄が発見、救急搬送先の病院で死亡が確認された」との内容で、亡くなった少女は小学1年の女児(6)、死因は捜査中とされていた。
 事態が急展開したのはその3日後だ。大津署は女児の遺体を司法解剖した結果、死因は度重なる暴行に伴う外傷性ショックだったと断定し、傷害致死容疑で第1発見者の兄(当時17)を逮捕した。6歳の少女の体は肋骨が数本折れ、副腎が破裂、殴打の跡とみられる皮下出血が約100カ所あった。

兄妹と母親らが住んでいた大津市の住宅=2021年8月

 兄は逮捕後の捜査に容疑を認め「妹の世話がつらかった」「暴行を隠すため、ジャングルジムから落ちたように装った」などと供述している。当時は未成年だったため、8月25日に大津地検から大津家庭裁判所に送致され、少年事件の審判を受けることになった。
 年の離れたこの兄妹は一体どんな関係で、2人に何があったのか。県警の捜査や家庭裁判所の調査、関係者の証言をもとに、家庭環境や事件までの流れをたどってみる。
 ▽複雑な家族関係、なし崩し的に始まった兄の同居
 警察は報道発表していないが、亡くなった女児の氏名は清水実愛(しみず・みあい)ちゃんという。彼女の短い人生を記録するため、ここに名前を明記しておきたい。実愛ちゃんと加害者である兄は当時、実母(43)との3人暮らしだった。といっても、3人が一緒に暮らすようになったのは事件のわずか数カ月前。それ以前は、兄は京都府の里親家庭、妹は大阪市の児童養護施設にいた。
 母親にとって兄は第1子の長男、実愛ちゃんは第3子の長女に当たる。母親には他に次男と三男がいるが、この2人は事件当時も今も別々の児童養護施設で暮らしている。長男(兄)と第2子の次男は同じ父親だが、実愛ちゃんと末子の三男はいずれも別の父親の子だ。

事件発生当時の家族関係

 母親は若い頃からたびたび薬物事件などで実刑判決を受け服役していたため、子どもたちは児童養護施設や親戚の家などを転々としながら育ってきた。兄は幼少期と小学校高学年の時に数年間、母親と暮らしたことがあるが、妹は0歳の時に施設に入所してから6歳になるまで、「家族」と暮らしたことは一度もなかった。

兄(上)、実愛ちゃん(左下)、母親(右下)の3ショット写真=関係者提供

 それでも、母親は一人娘を溺愛し、周囲には「あの子とは絶対に離れたくない」と語っていたという。施設にいた彼女を引き取るため、2020年11月に当時の夫と大津市内に木造2階建ての家を借りた。生活費を得るため介護の仕事も始めた。児童養護施設や大阪市の児童相談所の支援を受けながら、外出や外泊といった交流も約1年にわたって継続。正式に一緒に暮らすことが決まったのが2021年3月、実愛ちゃんが小学校入学を控えたタイミングだった。
 ちょうど同じ時期、高校を退学した兄は京都の里親とトラブルになり、その家庭を出ることになる。兄は当初、京都府の児相による調整の下、解体工事業者で働きながら自立生活を送る予定だったが、母親と連絡を取るうちに里心が付き、なし崩し的に同居することになった。

滋賀県の大津・高島子ども家庭相談センター

 ▽「家族」の破綻、薬物と男たちのたまり場に
 母親が再婚した養父に子どもたちとの血のつながりはなく、兄と妹も一緒に暮らすのは初めて。母親を介することで、他の3人がかろうじてつながっている。そんな不安定な生活はすぐに破綻した。
 養父は2021年5月ごろから自宅に戻らなくなり、6月には覚醒剤を所持していたとして京都府警に逮捕される。残された3人が住む家には、母親の知人男性たちが複数出入りし、彼らのたまり場のようになった。近隣住民らによると、40~50代の男たちがタバコのポイ捨てをしたり、公園のフェンスで立ち小便をしたりして問題になったという。「けんかか何かで警察沙汰になったこともあった」と話す人もいた。女児死亡後の県警の捜査では、家の中から大麻や覚醒剤の使用に使ったとみられる大量の注射器が見つかった。
 5月下旬から6月にかけて、母親と兄、妹の3人ともが新型コロナウイルスに罹患した。母親は新型コロナに感染したため介護の仕事ができなくなったとして、生活保護を申請。この頃から家を空けることも増えた。
 7月に入ると、実愛ちゃんは学校で「お母さんがいない日がある」と打ち明けるようになる。心配した教師らは「お母さんはいてるか?」「ちゃんとごはん食べてるか?」と声をかけ、家まで様子を見に行くこともあった。

兄妹が深夜に訪れていたコンビニの駐車場

 ▽ボール遊びに付き合う「良いお兄ちゃん」
 急ごしらえの家族関係が破綻し、見知らぬ大人たちが出入りするようになっても、兄妹の関係は良好とみられていた。近くに住む女性は「夕方になると、よく2人でボール遊びやスケボーをしていた。良いお兄ちゃんだった」と話す。一家の親族の男性も取材に対し「兄も最初の頃は幼い妹をかわいがっていた」と語った。
 家から約1キロ離れたコンビニでは、2人が連れ立って買い物に来る様子が何度も目撃されていた。1学期が終わり、夏休みの初日となった7月21日未明にも、2人はこのコンビニを訪れたことが確認されている。この時は実愛ちゃんから「千円ほしい」と声をかけられた女性客が不審に思い、子どもの深夜徘徊事案として警察に通報した。
 コンビニオーナーの男性はこの日のことを「防犯カメラに映っていた2人は、駐車場の端っこの方で遊んでいるように見えた。女の子もお兄ちゃんになついている感じだった」と振り返る。来店が真夜中だったことを除けば「ごく普通の兄妹に見えた」という。
 家庭裁判所によると、兄が妹に暴力を振るうようになったのはこの翌日からだ。

事件後に開催された滋賀県の検証部会

 ▽「おまえなんか死ね」と言われ激高
 家庭裁判所が兄の処分を決めた際の決定文や、関係者の話を総合すると、実愛ちゃんは7月後半から母親の不在を理由にぐずることが多くなったようだ。「お母さんのいるところに行きたい」。年端もいかない妹にそう訴えられても、兄は携帯電話すら持たされておらず、連絡を取るすべは無かった。
 夏休みで学校のない時期。2人きりで過ごす時間が長くなるにつれ、兄の中で妹への愛憎相半ばする感情が膨れ上がったのだろう。慣れない家事に苦労する日々の中で、いらいらを募らせた妹から股間を蹴られたり、「おまえなんか死ね」と言われたりしたことに激高し、何度も手を上げるようになった。家庭裁判所の認定によると、凶器は使用していないものの、自宅で殴る蹴るの暴行を執拗に繰り返したとされる。

大津家庭裁判所の入る庁舎

 兄の暴行が始まってから妹が亡くなるまでの約10日間で、一晩だけ、母親が自宅に戻り子どもたちと過ごした日がある。この時、母親は「一緒にお風呂に入ろう」と娘に声をかけたが、断られている。服を脱げば、兄から暴行を受けていることがばれると考えたのかもしれない。その後、一家3人は同じ部屋で床に就いたが、実愛ちゃんは最後まで何が起きているのかを母親に伝えられなかった。
 7月26日と27日には大津市の職員などが家庭訪問し、短時間、兄妹と接触しているが異変には気付けなかった。その後も兄の暴行は続き、妹は8月1日に死亡した。
 ▽「責任を少年のみに負わせるのは酷」裁判官の同情
 2021年9月17日、家庭裁判所は兄を少年院送致とする保護処分を決定した。担当の横井裕美裁判官は決定文で「(犯行の)態様は執拗かつ危険で悪質。わずか6歳の被害者の生命が奪われた結果は重大である」と指摘しつつ、2人の生活環境について以下のように述べている。
 「通信手段も気晴らしの方法もない閉鎖的な空間で、精神的に不安定な被害者と2人だけで過ごし、頼れる人もいないまま、慣れない家事や被害者の世話をする中で、少年が感じていたストレスは相当なものであった」
 兄の成育歴についても言及し「(妹に対する暴力は)幼少期から養育者が頻繁に入れ替わり、暴力やネグレクトを受けた中で形成された少年の未熟な性格によるもの。本件非行に至った少年の心情は理解できないものではなく、責任を少年のみに負わせるのは酷な面がある」と、その境遇に同情する言葉もあった。

兄妹の自宅から公園へ向かう途中にある橋

 ▽1学期しか通えなかった小学校
 家庭裁判所の決定文を読んでも分からないことが一つある。それは、自宅で暴行されていた少女がなぜ公園で倒れていたのかだ。
 少年事件の審判は非公開で行われるが、関係者によると、兄は審判の中でこう説明したという。
 「8月1日の朝、妹が公園に行きたいと言い出したので、途中までは一緒に歩いて行った。でも妹が途中で歩けなくなったから、そこからはおぶって公園に連れていった」
 この説明が本当だとすれば、少女は公園で見つかる直前まで生きていたことになる。自宅から公園までは約500メートル。少し急な坂をのぼり、高速道路の上を通る橋を渡って、10分もかからない道のりだ。この公園では以前、兄妹が一緒に遊んでいる姿も近所の人に目撃されていた。6歳の少女は兄の背中で何を思ったのだろうか。
 実愛ちゃんは短い人生のほとんどを児童養護施設で過ごし、大津市での新生活はわずか4カ月余りで幕を閉じた。小学校に通うことができたのは1学期だけで、別の児童の保護者らによると、途中からは休みがちになっていたという。

家の前に置かれたアサガオの植木鉢。側面に女児の名前が書かれていた=2021年8月

 2学期最初の日。所属していたクラスでは、彼女がもう学校に来られなくなったことだけが告げられた。死後しばらくの間、家の前には学校で育てていたアサガオの植木鉢が置かれていた。その側面にはしっかりと「しみずみあい」という名前が書かれていたが、私たちが事件後に訪ね歩いた近隣の家々では、彼女のことをよく知る人には出会えなかった。
 ▽なぜ養育を放棄したのか、記者は母親に取材を申し込んだ
 一家を巡る事件はこれで終わりではなかった。兄の保護処分が決まった1カ月半後、母親は違法薬物を所持、使用したとして麻薬取締法違反などの容疑で逮捕されている。県警や大津地検の捜査には一貫して無罪を主張したが、大津地裁は2022年12月、懲役2年4月の実刑判決を言い渡した(母親はその後、控訴している)。
 家庭裁判所の決定文が指摘したように、母親の不在が事件の背景にあったことは間違いない。彼女は子どもたちとの同居を望みながら、なぜ養育を放棄したのか。その言葉をじかに聞くため、私たちは拘置所にいる彼女に手紙を書き、面会を申し込むことにした。
【大津女児虐待死事件(中)】https://nordot.app/1064372543443157720?c=39546741839462401
【大津女児虐待死事件(下)】https://nordot.app/1067648091165098431?c=39546741839462401

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