社説:シベリア抑留 終戦後の悲劇、調査と継承を

 粗末な丸太小屋に、わずかばかりのパン。吹雪の中でも、土木作業をさせられる人たち。

 昨年12月に公開された映画「ラーゲリより愛を込めて」は、終戦後、極寒の地に連れ去られた日本人の姿を描く。

 第2次世界大戦後、旧日本軍の将兵や民間人が旧ソ連の捕虜となり、劣悪な環境下で強制労働に従事させられた。シベリア抑留の開始から78年がたった。

 厚生労働省の推計では、旧満州(中国東北部)や朝鮮半島にいた約57万5千人が、旧ソ連やモンゴルの強制収容所に送られ、約5万5千人が重労働や飢え、病気などで死亡したとされる。うち約1万4千人は今も身元不明のままだ。

 「戦後最大の悲劇」とも言われる苦難の歴史を、国は後世に伝えていく責任がある。

 抑留者への救済は、長年置き去りにされてきた。2010年に成立したシベリア特別措置法は、対価なく労働させられた抑留経験者に一時金を支給し、未解明な点が多い抑留の実態調査を政府に求めた。

 政府は、ロシア政府から提供された死亡者名簿や抑留者登録カードなどに基づき、抑留中に亡くなった人たちを特定する作業を行っている。日本人の埋葬地を調査し、民間団体と協力して遺骨の収集も進める。

 だが、20年以降、業務が滞っている。新型コロナウイルスの世界的な流行に加え、昨年2月から続くロシアによるウクライナ侵攻のためだ。

 厚労省によると、職員がロシアで行う資料の確認や埋葬地調査ができない状態で、再開できる見通しは立たないという。

 旧ソ連地域などで行われていた抑留者遺族の慰霊巡拝も、3年前から毎年「延期」されている。遺族にとっては、もどかしい思いだろう。

 抑留中の死亡者に関する資料の提供や遺骨の引き渡しなどは、日本と旧ソ連との間で結ばれた協定で決められている。交渉を途絶えさせず、粘り強く継続を求めねばならない。

 舞鶴市の舞鶴引揚記念館は、所蔵するシベリア抑留・引き揚げ関連資料が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界の記憶(世界記憶遺産)に登録されている。11年にも及んだ抑留者の収容所での写真や「岸壁の母」のモデルとされる女性が息子に宛てたはがきなどが知られる。

 15年度からは史実を伝えるため、「語り部」養成講座を開く。講座を修了した地元の中高生や大学生ら30人以上が修学旅行生らを案内している。

 抑留経験者は高齢化し、年々少なくなっている。同館では、経験者の語り部は21年を最後にいなくなった。若い世代への継承だけでなく、若い世代による継承が重要になっている。

 抑留者たちの思いをつなぐ取り組みを、政府や自治体は一層後押ししてもらいたい。

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