「批判だけでなく、その先へ」被爆地の記憶と向き合った芥川賞作家で被爆2世・青来有一さんの思い 元長崎原爆資料館長が考える核問題【思いをつなぐ戦後78年】

長崎の「土地の記憶」をテーマに執筆を続ける芥川賞作家で被爆2世の青来有一さん=2023年6月29日、長崎市内

 原爆や潜伏キリシタンなど、長崎の「土地の記憶」をテーマに執筆を続ける芥川賞作家で被爆2世の青来有一さん(64)。長崎市職員時代に長崎原爆資料館長を8年余り務め、継承の現場で、被爆地の記憶と向き合ってきた。被爆78年を迎えた5月の先進7カ国(G7)では、共同文書「広島ビジョン」で核抑止論を肯定した。ロシアのウクライナ侵攻で、核使用の懸念も高まる中で、私たちは核問題とどう向き合うべきか。青来さんに尋ねた。(共同通信=調星太)

 ▽当事者でないと「書くのは困難」

 1960年代に爆心地のある浦上に住み始めたが、原爆の爪痕もほとんど残っておらず、今と変わらない町並みだった。ただ、被爆当時を知る人は今よりずっと多かった。浦上川を指して「ここでたくさんの人が死んだんだよ」と語る人もいて、遠い昔の話ではない、土地の生々しい記憶として感じられた。
 長崎市役所に就職した83年頃に小説を書き始めた。被爆2世で周りに被爆者も多かったが、当時を経験していない自分が原爆のことを書いたら、「そんなもんじゃなかった」と思われるかもしれない。中途半端には書けないとも思った。かえって原爆をテーマにするのは難しいと感じていた。

インタビューに答える青来有一さん

 ▽さまざまな方法で語り関心をかき立てる

 結局、たどり着いたのは「土地の記憶」として書くこと。長崎は歴史的な事件が多く、土地にまつわる話が多く伝えられている。原爆に関しても、そうした伝承の一つと捉え、95年のデビュー作「ジェロニモの十字架」では、潜伏キリシタンの殉教などと結びつけて自由に物語を書いた。
 その後も、当事者ではない「偽の語り部」としての不安はあったが、被爆者で作家の故林京子さんに「自由に書いていいのですよ」と言われたことで、そのこだわりは消えた。当事者ではなくとも、さまざまな方法で長崎を語り、読者の関心をかき立てることが、記憶の継承につながるのではないかと考えるようになった。

元長崎原爆資料館長で芥川賞作家の青来有一さん

 ▽理想と現実に引き裂かれた矛盾と困難

 長崎原爆資料館長だった2018年に発表した「フェイクコメディ」は、トランプ米大統領(当時)がこっそり資料館を訪問する奇想天外なフィクションだ。大統領は悲惨な展示に涙しながらも、核兵器がどれほど重要か分かったと語る。原爆の惨状を知ったら誰もが被爆者の苦しみに共感し、許されない残虐な兵器だと考えるが、一方で自国民を守るために核兵器に頼ろうとする。そこに理想と現実に引き裂かれた現在の矛盾と困難がある。

長崎原爆資料館で展示を見る青来有一さん

 5月のG7広島サミットでは、核兵器の悲惨さを伝え、その使用も威嚇も許されないと訴えながら、「広島ビジョン」で、核抑止力の重要性を説いた。「フェイクコメディ」と同じ矛盾と困難に引き裂かれ、被爆地・広島の核廃絶の素朴なメッセージがなかなか伝わらない。「けしからん」と批判するだけではなく、その先の解決について考えるしかない。

インタビューに答える、元長崎原爆資料館長で芥川賞作家の青来有一さん

 ▽自由な想像力を解放するのも文学の役割

 ほとんどの国は核兵器を保有していない。大国の核戦争など地球環境の破壊でしかない。まずは「核には核を」という、抑止力に頼る安全保障の考えのこわばりを解きほぐす糸口を探ることが必要ではないか。そのための大胆で自由な想像力を解き放つのも、文学の役割だと考えている。

継承の現場で、被爆地の記憶と向き合ってきた青来有一さん

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 せいらい・ゆういち 1958年長崎市生まれ。2001年、「聖水」で芥川賞。07年に「爆心」で谷崎潤一郎賞と伊藤整文学賞。

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