困難を経験した高校生が学ぶ 原爆を生き抜いた 広島菜の産地・川内地区を訪ねて

虐待やいじめなどに苦しんだ全国の高校生が、先週、平和学習などのため、広島を訪れました。研修先の1つが「広島菜」の産地・広島市の川内地区です。広島菜栽培で原爆を生き抜いた地区の話をどう受け止めたのでしょうか?

広島市安佐南区 川内地区。130年の伝統を持つ広島菜、最大の産地です。先週末、ここを訪ねたのは、虐待やいじめ・親の失そうなどの困難を経験した全国8つの県の高校生11人です。

生徒
「今回の農業体験、すごく楽しみにしていました。よろしくお願いします」

農家の 上村隆介 さん(40)は、さっそくハサミを渡しました。ミニ広島菜の収穫です。

農家 上村隆介 さん
「やってみてください。どうぞ」

生徒
「おっ、いけた」

生徒たちは初めての体験でしたが、すぐにハサミを動かしていました。

高校3年生(17)
「おじいちゃん・おばあちゃん、家で農業しているんですけど、あまりやりたいっていう気持ちが出なかったですけど、こういう体験させてもらうと楽しいって思うから」

主催したのは、困難な状況の若者を支援する財団法人「教育支援グローバル基金」です。高校生を対象に平和都市・広島のさまざまなな取り組みを学ぼうという研修…。研修先の1つが広島菜の産地でした。

教育支援グローバル基金 高橋久美 主任補佐
「広島県では、平和を大切にしようと活動されている方にお会いするのはもちろんなんですけど、とてもすごく地域を大切にされている方が多いと思いましたし、肩を組むように活動を展開されている」

人間関係に苦しんできた彼らにとって、川内地区の営みが参考になるというのです。

コーディネーターは、料理研究家の 花井綾美 さん(むすぶ広島代表)です。

上村さんら若手農家が集まりました。上村さんの父が、原爆のときの話をしました。あの日、川内地区のある集落の人たちは、爆心地近くの建物疎開に駆り出され、働き盛りの男性を中心におよそ190人全員が被爆死しました。

上村さんの父 利樹 さん(69)
「残った人が子どもとか、女の人とか年寄りしか残っていません。今からどうやって生活していこうかっていうときに、ちょうど広島菜があって、それを栽培して漬物にして、生計を立てられたそうなんです」

あれから78年、広島菜は今も川内の特別な作物でした。

上村隆介 さん
「川内には広島菜があって、それを守りたい。いかに手をかけて、いいものを作って、みんなに食べてもらえるか考えて農業をやっています」

昼食は、花井さんたちがキャベツの代わりにミニ広島菜を入れたお好み焼きを作りました。名付けて「川内焼き」です。

生徒
― どうですか?
「おいしい。キャベツを入れるより、こっちの方がシャキシャキしていて、好きです」

コーディネーター 花井綾美 さん
「きょうの印象をどういうふうに生かしていきたいか、ちょっとお聞きしたいんですけど」

高校2年生(16)
「みなさんはおいしいもの届けたいとか、伝統を守りたいとか、そういう気持ちで農家をやられている。自分もがんばっていこう、そういうふうに思いました」

農家 上村隆介 さん
「若いうちからちょっとずつ、みんなの輪を広げる」

上村さんに頼んで人脈を作る秘訣を教えてもらう生徒もいました。

高校3年生(17)
「まじでうまい。広島に住みたい。決めた、広島に住む」

わずか3時間の滞在…。それでも川内の人たちとの交流は生徒たちに「何かにがんばってみる、やる気」を与えたようでした。

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