中島克己 さん(91)
「もう入学してから、授業いうのは1週間ぐらい。あと学校のグラウンドをね、サツマイモを作るために毎日、開墾ですよ。で、これがすんだら、今度は市内の建物疎開作業に行きだしたんですよ」
78年前のことを語ってくれたのは、中島克己さん、91歳。原爆投下の3日前から食料を求めて長崎にいたので被爆を免れましたが、建物疎開の作業中だった同級生195人を失いました。
中島さんが通っていたのは、市立造船工業学校。現在の広島市立広島商業高校(市商)です。市商は戦時中、国策で「商業」ではなく、「造船」を学ぶ学校に変えられたのです。この歴史が、生徒たちの手で演劇になりました。
きょうのテーマは、受け継がれていく平和への思い―。戦禍の市商物語「ねがいましては」を深掘りしました。
広島市立広島商業高校の演劇部です。おととし、学校創立100周年を記念して上演されたのが、「ねがいましては」です。学校の歴史を振り返り、平和への思いが込められた作品は、全国高校総合文化祭出場も果たしました。
2年ぶりの再演に向けて生徒たちは、さっそく準備に取りかかりました。まずは出演キャストのオーディションです。
審査をする田辺さんは、1年生のとき、全国大会で主人公の生徒役を演じました。
佐藤正一役 田辺寿明くん(3年生)
「3年生になったので、やっぱり1年生のときもベストな舞台だと自分は思うんですけど、やるからにはもっと上のレベルをいきたい」
演出を担当するのは、2年生の 小早川偉月 さんです。
演出担当 小早川偉月 くん(2年生)
「この演劇部に入りたかったから市商に入学したのもあるので。『ねがいましては』が、きっかけでここに来た。だから、どうしても演出もやりたいなと」
いよいよ配役を勝ち取るためのオーディションです。
小早川偉月くん
「では、準備はいいですか? はい、いきます。1、キュー」
オーディションに挑む部員たち
「昭和19年3月20日。それは、突然のことでした」
「今、話したように広島市立第一商業学校は…」
部員たちは、自分が演じたい役をチャレンジしていきます。
すべてのオーディションは、終わりましたが、多くの部員が手を上げてくれたため、審査は難航しました。悩みに悩んだ末、ついにキャストが決まりました。
部員たち
「やったあ!」
これから上演に向けての練習がスタートです。連日の猛暑で体調不良を訴える部員が続出。そして、感染症も影響を与えました。
上演を翌日に控えたこの日、なんと10人を超える欠席者が出てしまいました。
小早川偉月 くん
「万が一は台本を読みながら、要は朗読。朗読劇という形でやっていく可能性もあります。それくらい、今、ヤバいです」
キャストは代役を立てて、練習に臨みます。
演劇部 顧問 黒瀬貴之 先生
「ここまで休みが多いというピンチの状況は記憶にない。これは1つの試練であり、訓練の場でもあるので」
演出の小早川さんも代役を務めます。
部員たち
「ねがいましては!」「靖男、靖男…」
そして、迎えた本番当日―。会場は武道場です。2年前、先輩たちは、ここで練習を重ね、全国大会へ出場しました。
体調を崩していた正一役の田辺さんも元気に戻ってきました。いよいよ、本番です。
演出担当 小早川偉月 くん
「これから『ねがいましては』の上演を始めます。昭和19年、市商が造船工業学校へと改編された場面です。準備はいいですか? いきます。1、キュー!」
語り部
「昭和19年3月20日。それは突然のことでした」
佐藤正一役
「先生。ぼくらは商業が学びたくて、商業に入学しました。それが、何もしてないのになんで学校が変わるんですか。もう商業は勉強できんのですか。何で勉強したら、いけんのですか」
教師役
「今、日本は非常時なんじゃ。この戦争に勝つための瀬戸際なんじゃ。そんなお国の一大事に、国策の役に立たん商業をやっとる場合じゃない。今から船を作る。飛行機を作る。武器を作る。そうやって、お国のために尽くすのが、われわれの役目なんじゃ」
佐藤正一役
「商業が役に立たんゆうて何ですか。商業はお国の役に立つ、大切な学問じゃないんですか。先生がそう教えてくれたんじゃないんですか。先生だって商業科でしょう。なんで自分の科目のことをそんとに言うんですか!」
将校役
「黙らんか、この非国民が! きさまは大日本帝国を勝たせんつもりか。国民全員が一丸となって、この難局を乗り切ろうと必死になっとるときに、きさまは何をたわけたことを言うとるんか! 今、やらんといかんのは、簿記だの、そろばんだの経済だの、役に立たんままごと遊びではない。戦う武器を作ることじゃ。きさま、その歳になって、そんなこともわからんのか。このくそったれが!」
教師役
「山田大佐。お願いです。もうそのへんにしとってやってください。こんなやつでも貴重な戦力ですから」
将校役
「お前らの教育が悪いけえ、こんとなやつが出てくるんじゃ。商業なぞ、クソの役にも立たん証拠じゃ」
戦争に翻弄された学生たち―。台本は、事実に基づいて顧問の 黒瀬貴之 先生が仕上げました。
語り部
「昭和22年3月1日。市立造船工業学校廃止。広島市立第一商業学校として、市商は復活しました」
教師役
「佐藤正一。右のものは、本校の課程を終了したので、これを称す。おめでとう。
佐藤正一役
「ありがとうございます」
教師役
「今までいろいろあったが、ようがんばったの」
佐藤正一役
「先生、これ、ぼくの卒業証書ですか?」
教師役
「当たり前じゃないか。なに、バカなことを言っとるんや。これからの新しい日本は、おまえらにかかっとる。がんばるんど」
佐藤正一役
「いや、でも…。違う。これは、ぼくの卒業証書じゃない」
教師役
「どういうことや」
佐藤正一役
「これには、『広島市立造船工業学校』と書いてあります」
生徒役たち
「え?」
佐藤正一役
「ぼくは、市立商業学校に入学して、市立商業学校を卒業したんです。なのに、なんで造船工業なんですか」
教師役
「しかたないんじゃ」
佐藤正一役
「しかたないって、どういうことですか。なんで」
教師役
「佐藤、残念ながら卒業できんかった生徒もようけおるんじゃ。お前の仲間にもおるじゃろう。このご時世で卒業できただけでもありがたいと思わんといけんぞ」
上演を終えて、部長の水野さんが、部員の思いを代弁してくれました。
演劇部 水野凜香 部長(3年生)
「原爆のこと、当時の市商生の願い・考えとか、みんな、自分なりに考えるいいきっかけになったと思います」
8月6日の「広島・原爆の日」―。部員たちは、建物疎開中に犠牲になった ”先輩たち” 195人の慰霊碑を訪れました。
そして、慰霊碑の裏に刻まれた「造船工業学校」の歴史についてもあらためて考えました。『ねがいましては』に込められた思いは、部員たちにしっかりと受け継がれています。
◇ ◇ ◇
青山高治 キャスター
熱が感じられる演劇で引き込まれました。こうやって、学びたくても学べなかった自分たちの学校の歴史を演劇を通して知ることで戦争や平和について考えるいいきっかけになりますね。
小林康秀 キャスター
演じながら身をもって考える。平和学習っていろんな形があるんだなと思いましたけど、本当に自分の中にすっと入ってくる取り組みじゃないでしょうか。
河村綾菜 キャスター
ストーリーに生徒たち自身の演劇に対するまっすぐな思いが加わるからこそ、よりダイレクトに心に響くのかなと思いました。