小池龍太や犬飼智也も苦しんだ“膝蓋骨骨折”。福井Uの北川滉平が「悪夢のダブル骨折」を乗り越えたワケ

サッカー選手にはつきものと言える「怪我」。選手によっては数ヶ月や1年以上に及ぶリハビリを余儀なくされることもあり、それによってキャリアを終えなければならない場合もある。

北信越フットボールリーグからJリーグを目指しているクラブの「福井ユナイテッドFC」には、昨年から数ヶ月に及ぶリハビリを経て戻ってきたFW北川滉平がいる。

ジュビロ磐田の下部組織で育ったあと桃山学院大学に進み、2015年にV・ファーレン長崎でJリーグにデビュー。その後藤枝MYFCとヴェロスクロノス都農を経て昨年福井ユナイテッドへとやってきた。

そして2022年のシーズンでは11試合で11ゴールを決めながら、3試合を残して腓骨骨折で離脱。得点王のタイトルもあと一歩で届かず、さらに長い間チームから離れざるを得なくなった。

しかし、その厳しい時間を乗り越えて今季はピッチに復帰。その際立ったゴール感覚を再び見せ始めている。

怪我を負ったときのこと、そしてリハビリの日々を振り返り、北川滉平は以下のように話していた。

北川滉平

「去年の9月に腓骨を骨折して、そこから3ヶ月のリハビリをして復帰したんです。

ただ今年の2月、復帰戦でびわこ成蹊スポーツ大学とのフレンドリーマッチに出場したときに、右膝の膝蓋骨を接触プレーで骨折してしまったんです。

サッカー選手では結構珍しい箇所の怪我なので、それを手術してくれた先生も『復帰まで1年単位でかかるんじゃないか』と。しかも『本当に骨がくっつくのかどうかわからない』とも言われていたんです。

手術もしましたけど、なのでリハビリも本当に辛かったですね。去年に引き続きの怪我で、しかもどれくらい時間がかかるのかわからないというものだったので、引退も考えました」

膝蓋骨というのはいわゆる「膝の皿」と言われるもので、ふとももの筋肉の力を効率よく脛に伝えるための役割を果たす。骨折した場合は太ももの筋肉と腱の間で力が伝わらなくなり、激しい腫れと痛みが生まれてしまう。

Jリーグでは昨年当時浦和レッズに所属していた犬飼智也が負ったほか、今年3月には横浜F・マリノスの小池龍太がその診断を受けたことで知られる。

北川滉平はその「サッカー選手には珍しく、復帰時期がわからない」という膝蓋骨骨折でどのようなリハビリをしてきたのか。

「どんなメニューが最もタフな経験でしたか?」と聞くと、北川滉平は以下のように答えていた。

北川滉平

「リハビリメニューで一番厳しかったのは、やはり単純なランメニューですよね。トラックを18周走るというものなんですけど、タイム制限が課せられていて、しかもそれを一人で走るんです。これは一番大変でしたね。

トレーナーにも『なんでこんなメニューをやらなきゃいけないんだ』と文句を言いながら(笑)。あれは思い返してもキツかったですね。効果は…あったと思いますけど(笑)そう信じてやっていました。トレーナーも本当に親身になって寄り添ってくれたんです。

本当は文句を言わずにやらなきゃいけないんですけど、多少不満も言いながら(笑)。ここまで来られたのはいろいろな方のおかげなので、本当に感謝だけですね。

プライベートでは家族ができたばかりでした。自分一人だったら乗り越えるのはムリだったなと思います。奥さんと子どもにはすごく感謝しています。

まだ子どもは小さいので喋れないんですけど、奥さんには結婚してからあまりいいところを見せられていないので(笑)、今年はしっかりJFLに昇格して、いい景色を見せてあげられたらなと思っています。

怪我をしたときにはもう、本当に涙が止まらなかった。今こうやってサッカーができていることがとても幸せです。

とはいえ、サッカーをしていても結果がついてこなければダメだと思うので、支えてくれた周りの方々に少しでもいい姿を見せたいなと思います」

結婚して子どもが生まれてからまもなくの悲劇であったが、それと同時に家族がいなければその苦しみを乗り越えられなかったという。

福井ユナイテッドFCは現在10試合を終えて勝ち点24を獲得し、北信越フットボールリーグの首位に立っている。目標のJFL昇格に向けては優勝がマストであり、残り4試合はクラブにとってとても重要なものとなる。

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次の試合は8月20日の午後1時、本拠地テクノポート福井で行われるアンテロープ塩尻戦である。復活の北川滉平がどんなプレーを見せるのかという点にも注目だ。

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