夏の甲子園8強の舞台で、岩手県大船渡市の中学の同級生による対戦が実現した。岩手・花巻東の北條慎治投手と、仙台育英の仁田陽翔投手。2011年の東日本大震災当時5歳だった2人。中学で指導した鈴木賢太さん(34)は「チームメートには親や家族を亡くした人もいる。多くの人の思いを背負い、笑顔で思いきりプレーしてほしい」とエールを送った。
2人は、プロ野球ロッテ佐々木朗希投手の母校でもある大船渡市立第一中の野球部出身で、現在3年生。鈴木さんによると、ともに真面目な性格で、負けず嫌いの度合いも当時から互角という。
仁田投手は中3で130キロ台中盤の直球を投げ、エースとして活躍。北條投手は、4番打者の野手として主にプレーしていた。中2から投手の練習を始めたが、仁田投手らの存在があり、登板機会はあまりなかった。
中3の時は新型コロナの影響でほぼ全ての大会が中止になった。最後の大会は地区大会のみ開催。鈴木さんは「活躍の場が奪われても前を向いて練習していた。私より精神的に大人の中学生だった」と振り返る。